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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー バーティツ(柔道をもとにした武道)の考案者 エドワード・ウィリアム・バートン=ライト(大ブームになったバーティツが衰退したあとは理学療法士としてビジネスに苦労した武道家)

2023.07.10

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。これは製品に限った話ではなく、システムや考え方など幅広い意味での発明も行われてきました。歴史の中では、武道の実践を行った人も称えるべき発明家と言えるでしょう。ヨーロッパで初めて柔道を実践し、バーティツを考案した人物として知られるのが、エドワード・ウィリアム・バートン=ライトです。バーティツは護身術として隆興し、時代とともに衰退していきましたが、近年また注目が集まっています。武道の領域で新たな格闘技を生み出したライトは、その功績を讃えられています。今回はそんなエドワード・ウィリアム・バートン=ライトの生涯を振り返っていきましょう。

エドワード・ウィリアム・バートン=ライトの前半生(日本で柔道を学んでバーティツを生み出す)

エドワード・ウィリアム・バートン=ライトは、1860年イギリス領インド帝国のマドラスで生まれました。生まれたときの名前は「エドワード・ウィリアム・ライト」であり、のちに改名することになります。父親は鉄道技師を営んでおり、祖母は政治家という家系で育ちました。1880年代に家族でイギリスへ移住し、ライトはフランスとドイツの二国間で教育を受けました。大学を卒業した後は鉄道事務員として勤務し、その後は土木技師や測量士としても活躍しました。当時はイギリスが植民地を拡大しつつあり、鉄道や鉱山の開拓がさかんに行われていました。マレーシアやシンガポールの鉄道・鉱山の会社で働くようになり、1892年からはエドワード・ウィリアム・バートン=ライトの名を使用するようになりました。

ライトの大きな功績は、格闘技の一種であるバーティツの考案です。きっかけは1895年にアンチモン精錬の技術者として神戸に招聘された際、護身術に興味のあったライトは柔術の流派を見ることになります。それが、神伝不動流と講道館流の二流派です。このときの知識をイギリスに持ち帰ると、2つの武術を組み合わせて独自の護身術であるバーティツを考案しました。考案からの2年間、イギリスのボクシングやフランスのサバット、ラ・カンなどの要素も取り入れました。

1900年、ライトはロンドンでバーティツを教えるアカデミーを立ち上げました。ここでは護身術はコンバットスポーツに加え、理学療法などについても教えていました。英語とフランス語を用いて、様々な国の出身者が学べるようにも整えていました。アカデミーの会員には兵士やスポーツ選手、俳優や政治家など、各分野の著名人も多く集まりました。またライトは護身術の披露宴を開催したり、トーナメント大会を開催したりして、格闘技と護身術の分野で知名度を上げていきました。

エドワード・ウィリアム・バートン=ライトの後半生(理学療法士として活躍)

バーティツはしばらくの間盛り上がりましたが、やがて衰退していきます。バーティツ・クラブの会員数もだんだんと減っていき、ついには閉鎖することになりました。ライトはその後も個人的にバーティツの研究と指導を続けていましたが、1920年代に突入すると理学療法の領域に興味を持つようになります。この頃には護身術の指導をほとんどしなくなり、理学療法士として活動していました。ロンドン各地に治療院を設立して、医療事業をメインにしていきました。

この治療事業では、リウマチや痛風などの痛みを軽減するために様々な器具を使用していました。しかしこの方法は、当時の医学会には受け入れられませんでした。かつての従業員から訴訟を起こされたり、ベンチャー企業への投資に失敗したりして、何度か破産するまでに追い込まれてしまいます。1938年以降は自宅で診療所を開き、医療従事者として働きました。

1950年、ライトはロンドンの柔道クラブ「武道館」の創設者である小泉軍治からインタビューを受け、同年の会合ではヨーロッパにおける日本武道の先駆者として紹介されました。翌年、ライトは息を引き取りました。

ライトの歴史的意義が認識されたのは、1990年代後半になってからでした。主にイギリスの武術史家リチャード・ボーエン、グレアム・ノーブルや、その後に設立されたバーティツ・ソサエティのメンバーによる研究によって、彼の功績が認められるようになりました。

2004年にはバーティツ・ソサエティのメンバーが彼の先駆的な業績を讃えて資金調達プロジェクトを開始しました。

今回は、日本式の格闘技である柔道を取り入れた護身術であるバーティツの考案者、エドワード・ウィリアム・バートン=ライトの生涯を振り返ってきました。ヨーロッパに日本の格闘技を伝達した存在として、彼の功績は讃えられています。生前はバーティツの衰退もあり、その評価を正しく受けられなかったものの、時代の流れとともに考案の価値が見直され、今では彼を称える資金調達プロジェクトやドキュメンタリー映画の作成なども行われています。

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