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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー ギロチンの発明家【ではありません】 ジョゼフ・ギヨタン(死刑制度の廃止を訴えたが、世間からはギロチンの発明家と勘違いされた可哀想な医師・政治家)

2023.09.01

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。それは日常的に使用されている製品だけに限った話ではなく、用途と使用場面が限定されるようなアイテムもイノベーションによって生み出されたものが多数存在します。罪人を裁くための死刑は、かつて残虐な方法によって執り行われていました。中世で行われていた主な処刑は、処刑者の足を牛や馬に結びつけて走らせ、バラバラに引き裂く「八つ裂きの刑」や、車に結びつけて引き裂く「車裂きの刑」などです。これらの方法はあまりに残酷だったため、反対する声も多数ありました。処刑者に罪を償わせるにしても、過度に苦痛を与える方法は好ましいものではなく、やがて斬首刑が主流となっていきました。しかし、斬首刑は執行が難しく、失敗すると処刑者への苦痛が余計に大きくなってしまうことが問題でした。そこで登場したのが、有名な処刑器具であるギロチンです。大きな斧で首を切り落とす器具は恐怖の対象としても知られていますが、確実に処刑を執行できる道具としてその存在価値を高めていきました。このギロチンの導入に関する法整備を進めたのが、フランスの医師・政治家として活躍したジョゼフ・ギヨタンです。名前からギロチンの開発者だと思われることも多い人物ですが、彼の行ったことはギロチンの開発ではなく、あくまでギロチンを実用化するための環境整備でした。今回はそんな、ジョゼフ・ギヨタンの生涯を振り返っていきましょう。

ジョゼフ・ギヨタンの前半生(医師・政治家として活躍)

ジョゼフ・ギヨタンは、フランスのサントで生まれました。親は弁護士をしていて、ギヨタン自身も優秀な頭脳の持ち主でした。1756年からイエズス会のメンバーとなり、敬虔なキリシタンとして信仰を深めていきました。信心深くあり、さらに教養を高めていったギヨタンはやがて文学士の学位を取得し、その後は教授となり文学を教える立場となりました。教授を勤めた後にイエズス会からは離脱し、ギヨタンは医師になるための勉強を始めました。ランスやパリの大学で医学を修め、1770年に卒業。卒業後は内科医として活躍しました。

ギヨタンは、1789年にパリ選出の議員となりました。医療の分野で有名だった彼に票が多く集まり、政治への期待も高かったからです。ギヨタンは議員になると、立憲議会にギロチンの使用を提案しました。当時のフランスにおける死刑制度は、貴族には斬首刑、平民には絞首刑、そして重い罪を犯した平民には八つ裂きや車裂きなど、身分に応じて執行される刑が決められていました。フランス議会では、処刑の方法を身分に関係なく統一し、八つ裂きや車裂きなどの非人道的な処刑は廃止する方向性で議論が進められていました。ギヨタンはこの時に処刑の執行方法を斬首刑に統一することを提案しました。

ところが、実際に刑を実施するにあたって、斬首刑の難しさが課題となりました。剣による人力の処刑は、一発で首を切り落とせないことも多く、かえって処刑者に苦痛を与える結果となってしまうことも多くありました。この問題を解決するために、失敗のない斬首のやり方を考案せねばなりません。そこで、議会は確実に斬首刑を実行できる機械の設計を外科医のアントワーヌ・ルイに託しました。ルイと執行人のシャルル=アンリ・サンソンはギロチンを設計し、やがて実用化へと至りました。ギヨタン自身は設計に関わっていないものの、ギロチンを使用することへの法整備を行ったため、一般的にはギロチンを開発した人物として知られることになります。名前が似ていることで世間の誤解を避けるために、ギヨタンの親族は機械の名前を変更することを訴えましたが、結果としてギヨタンは「エポニム」という新しい姓に変更することになりました。

ジョゼフ・ギヨタンの後半生(ギロチンの発明家と勘違いされながらも死刑廃止運動を行う)

ギロチンの使用を提案したこととは裏腹に、ギヨタン自身は死刑制度には反対していました。ギロチンの提案はあくまでもより苦痛のない方法での処刑を考えたものであり、死刑制度の完全な廃止に向けての第一歩となることを期待してのものでした。処刑者に対しても人権が保護されるべきと考えていたギヨタンは、処刑者の権利が守られるようにと行動していきました。それまで公開されていた処刑は個人的なものにし、さらに処刑者の家族が処刑に立ち会うことを望んでいました。ギヨタンは、この改変が後に人道的な死刑制度へと移り変わり、やがて死刑制度の廃止を期待していました。その後、ギヨタンは左肩の癰(細菌感染症・腫れ物の一種)が悪化し、この世を去りました。

今回は、フランスの医師・政治家として活躍したジョゼフ・ギヨタンの生涯を振り返りました。ギロチンは首を撥ねる器具として、残酷なイメージを持つことも多いです。しかし実は、人道的な配慮によって生まれたものなのです。ギヨタンの提案ははじめ嘲笑の的でしたが、何度も熱意を持って提案したことで議会が動きました。ギヨタンの期待する死刑制度の廃止にはまだまだ課題が残されていますが、ギロチンの導入による処刑者への保護の意識は確実に現代にも影響しています。罪人を裁くシステムは必要ですが、その罪人にも権利があることは忘れてはいけません。

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