【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー プログラミング「Java」の発明者 ジェームズ・ゴスリン(サン・マイクロシステムズでプログラミング【Oak】と【Java】を発明した天才プログラマー)
2025.06.23

AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。コンピュータが処理を実行するためには、指示書である「プログラム」を用意する必要があります。IT機器が多数開発されている現代までに、非常に多くの種類のプログラミング言語が開発されてきました。特に汎用性が高く、さまざまな開発現場で使用されているプログラミング言語のひとつが「Java」です。自動車や家電などに搭載される組み込みシステムやWebアプリケーション、IoTデバイスの開発によく使用されています。このJavaを開発したのは、カナダの出身の計算機科学者、ジェームズ・ゴスリンです。今回はそんなジェームズ・ゴスリンの障害を振り返っていきましょう。
ジェームズ・ゴスリンの前半生(サン・マイクロシステムズでプログラミング【Oak】を発明する)
ジェームズ・ゴスリンは、1955年カナダのアルバータ州カルガリー近郊で生まれました。幼少期から電子工作にのめり込み、自宅のガレージで実験を行っていました。ハードウェア・ソフトウェアどちらのシステムにも興味を示し、学生時代にアルバイトで稼いだお金を使って購入したコンピュータキットを使って試行錯誤を繰り返していました。大学時代には計算機科学を専攻し、在籍したカルガリー大学で学士号を、カーネギーメロン大学では修士号と博士号をそれぞれ取得しました。カーネギーメロン大学時代にはUNIXのマルチプロセサ版や、いくつかのコンパイラとメール転送エージェント(MTA)を開発し、博士課程中にはUNIXで動作する最初のEmacs風エディタ「Gosling Emacs」を開発するなど、熱心にシステムの研究を続けていきました。
大学卒業後は、サン・マイクロシステムズに入社。アメリカに本社を置き、創設から間もなく世界的なIT企業となった同社で、ゴスリンは26年にわたってエンジニアとして活躍しました。その長い期間の中で残したもっとも大きな功績は、プログラミング言語Javaの開発です。
1990年、サン・マイクロシステムズでは新しいプログラミング言語を開発する水面化プロジェクトが立ち上がりました。家電製品の進化が激しいこの時代、製品に内蔵するコントローラを動作させるための言語を作る試みです。リサーチの段階を兼ねて試験的に行われたこのプロジェクトは、やがて実現できることがわかり、会社をあげたプロジェクトへと移行していきます。ゴスリンはこのプロジェクトに参加し、カリフォルニア州メンローパーク市サンドヒルロードに設置されたオフィスで開発を行いました。
当時のIT業界では、オブジェクト指向に基づいて設計されたプログラミング言語が主流でした。このプロジェクトの立ち上げ当初はオブジェクト指向のモデル言語であるC++を移植することを検討していましたが、組み込みシステムに利用した場合の相性の悪さがネックとなり、単純な移植版を開発するだけでは不十分であることに気がつきました。C++の後継となり、プラットフォームに依存しない設計を用意する必要があったのです。さらに他の機器への移植が容易なプラットフォームの開発も急がれました。こうして、新しい言語が動作するための環境となる「Green OS」の開発が始まりました。
C++に代わる新たな言語の開発が着々と進められる一方で、この開発チームにはゴスリンともう1人、ビル・ジョイというエンジニアがいました。彼はMesa言語とC言語の持つ特徴が理想的だとして、Furtherと名付けた言語を提案しました。これを受けて、ゴスリンもC++の拡張言語を提案しますが、不備に気付いたゴスリンはすぐに取り下げた後、改めて設計した言語を1991年に誕生させました。この言語は「Oak(オーク)」と名付けられ、のちにJavaとして生まれ変わることになります。Oakのリリース後も開発は続けられ、サン・マイクロシステムズ社は家電機器のみならず携帯情報端末にも手を広げていきました。
ジェームズ・ゴスリンの前半生(【Oak】を改良して【Java】を発明する)
1992年、サン・マイクロシステムズは新たな事業の実行のためにファーストパーソンという新会社を設立し、この開発チームはそこに移されました。ここではケーブルテレビ用セットトップボックス事業への参入を決め、自社が持つテクノロジーを顧客の候補となる会社に提示していきます。しかし、この柔軟性はむしろ信用を損なう結果となってしまい、新規顧客の獲得には至りませんでした。ファーストパーソンはほどなく解散となり、この開発チームもすぐに本社へと戻されました。サン・マイクロシステムズはテレビやインターネット業界にも参入し、その実力を世界に示していきました。
1994年、この開発チームはOakを「Java」に名称変更しました。1995年の春にはアルファ版が社内で公開され、秋ごろにベータ版が社外に公開されました。基幹システムはすでにリリースが可能な段階に達していましたが、その他の技術は改善の余地がある状態だったため、プラットフォームとして利用するにはまだ早いとの結論に達しました。1996年の1月、最初の公開バージョンである「JDK 1.0」がリリースを迎えました。
Javaの登場はIT業界に大きな影響を与え、1990年代後半まではサン・マイクロシステムズ一強の時代が続きました。しかしその後、業界全体の成長速度についていけずに失速していきます。一度は巻き返すものの、遅れを取り戻すにはいたらず、サン・マイクロシステムズは2010年テキサス州に本拠地を置くオラクル社に買収されました。ゴスリンはこの買収の後、変わり果てた会社に失望して退職の道を選びました。
2011年、ゴスリンはグーグル社に入社しますが、半年ほどでリキッド・ロボティクスに籍を移します。リキッド・ロボティクスは2016年にボーイングに買収され、ゴスリンはAmazonへと転職しました。その後もエンジニアとして活躍を続けています。彼はJavaを開発した功績により、全米技術アカデミーから外国人準会員に選ばれました。
今回は、プログラミング言語Javaの開発者ジェームズ・ゴスリンの生涯を振り返りました。幼少期からプログラムに触れて育ったゴスリンはエンジニアになった後もその技術を大いに振るい、人々の助けとなる功績を残しました。Javaは現在でも使用されている、非常に人気の高い言語です。Javaの登場によって家電の開発だけでなくWebアプリケーションやシステム開発の幅が広がり、私たちにとって便利な製品が生み出されるようになったことに感謝したいですね。


