【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 心電図を発明した ウィレム・アイントホーフェン(心電図のメカニズムを発見した功績でノーベル生理学・医学賞を受賞した優秀な発明家)
2025.04.04
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。心電図は心臓の動きをグラフに記録できる装置で、医療現場で利用されています。健康状態の観察に優れているため、緊急時の対応もすぐにできることが心電図の特徴です。心電図は1903年に発明され、今では医療現場で使用されているのが当たり前の景色となりました。心電図を発明したのは、オランダの生理学者かつ医師のウィレム・アイントホーフェンです。彼は心電図のメカニズムを発見した功績で1924年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。今回はそんなウィレム・アイントホーフェンの生涯を振り返っていきましょう。
ウィレム・アイントホーフェンの前半生(ライデン大学の教授として心電図を発明する)
ウィレム・アイントホーフェンは1860年、オランダ領東インドで生まれました。父親は医師をしていましたが、アイントホーフェンが生まれる前に他界しました。10歳のとき、母親とともにオランダに戻り、ユトレヒトで暮らしました。アイントホーフェンはユトレヒトの学校に通い、豊かな才能を蓄えていきました。1885年にユトレヒト大学で医学の学位を取得し、翌年にはライデン大学の教授に就任しました。
当時、心臓の鼓動に電流がともなっていることは知られていました。しかしこの時点での技術力では、直接心臓に器具を取り付けなければ正確に電流を測定することはできませんでした。そこでアイントホーフェンは、1901年に単線検流計による心電図のプロトタイプを完成させました。この装置は、強力な電磁石の間を通る非常に細い導線のフィラメントを使用しています。電流がフィラメントを通過するとき、電流によって生成された磁場が弦に触れて作用します。光を弦に照射すると、印画紙のロールに電流の影を記録できるという仕組みです。かなり正確に心臓の動きを記録できるため医療に役立つと考えられましたが、初期の心電計は強力な電磁石を必要とするため、水冷が必要でした。さらに操作には5人の作業員を用意しなくてはならず、重量も約270kgと非常に重いコストがかかっていました。
ウィレム・アイントホーフェンの後半生(心電図が小型化されて実用化され、心電図を発明した功績でノーベル生理学・医学賞を受賞する)
その後、医療機器の製造技術が進化し、より性能が高く小型の心電図装置が生産されていきました。心電図で記録する用語は、アイントホーフェンが使用していたものを踏襲的に使用しています。心電図の屈曲に彼が割り当てたP、Q、R、S、Tという文字は、現在でも場所を問わず使用されています。
心電図は、電極を取り付ける部位によって記録方法が異なります。もっとも一般的な心電図は12誘導心電図といい、四肢に4本、胸部に6本の誘導を取り付けます。さらに肢誘導全体と胸部誘導から1種類ずつ波形を検出するため、12種類の波形が記録できるというシステムです。この12誘導のほか、食道内心電図や心室内心電図、心電図モニタなどの種類があります。それぞれの方法で記録できる心臓の部位ごとの動きは異なるので、症状に合わせて最適な心電図の取り方を選択する必要があります。
アイントホーフェンは1924年、心電図を発明した功績でノーベル生理学・医学賞を受賞しました。それから3年後、彼はオランダのライデンで永遠に眠りにつきました。アイントホーフェンの遺体はウフストヘーストの改革派教会の墓地に埋葬されています。
今回は、心電図を発明したウィレム・アイントホーフェンの生涯を振り返りました。医師の父とは幼い頃に死別していますが、医の心を受け継ぎ自らも医師となり、その後多くの人の命を救うことになる発明を残しました。心電図ができたことによって、心臓の不調をすぐに発見できるようになり、救える命も増えました。医療現場の革新となるような発明は本当に素晴らしいものですね。心電図は現在の医療現場において、欠かせない道具となっています。