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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー グラハム・ベルよりも先に電話を発明した? アントニオ・メウッチ(グラハム・ベルとの特許訴訟に敗北した可哀想な発明家)

IP HACK

2024.11.15

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。電話が発明されたのは、19世紀ごろだと考えられています。それ以前までにも、電気を使わない通信方法や音声ではない信号を使った通信方法は存在していましたが、このような通信には距離や精度の面で限界がありました。19世紀に入ると、ヨーロッパの各国やアメリカなどで多くの発明家が電話の改良にチャレンジするようになります。電話を発明したのは、イタリアの発明家アントニオ・メウッチです。彼は初めて音声通話ができる電話の試作機を開発したことで知られています。電話の最初の発明者については、長い間さまざまな説が囁かれていました。日本において、以前はグラハム・ベルが電話の発明者であると考えられていましたが、現在ではメウッチが発明したとする考え方が主流となっています。今回はそんなアントニオ・メウッチの生涯を振り返っていきましょう。

アントニオ・メウッチの前半生(劇場の舞台技師として活躍する)

アントニオ・メウッチは、1808年イタリアのフィレンツェ(トスカーナ大公国)で生まれました。9人きょうだいの長男として生まれたメウッチは、フィレンツェ美術院に入学し、化学や力学を学びました。金銭問題に苦しんでいたメウッチは、働きながら学業にも務める必要がありました。化学の知識を持っていたメウッチはトスカーナの大公爵夫人の誕生会に招かれることもありました。そのうちの何度かは、花火の事故によって投獄されることも。最終的な釈放の後、ペルゴラ劇場の舞台技師として働く権利を勝ち取りました。

在学中にエステル・モーキと知り合い、のちに結婚することになります。エステルは劇場での効果についての知識が豊富にあり、メウッチにも小さくない影響を与えました。メウッチは化学の知識とエステルとの関わりで培った知識を生かして、遠隔通信デバイスを発明しました。これがのちに、電話の発明へとつながります。

1830年、フランスでは7月革命と呼ばれる市民運動が勃発。ルイ18世による貴族や聖職者を優遇する政策に市民は大きな不満を抱き、体制を変えようとする動きが活発になっていったのです。革命の知らせはヨーロッパの国々に伝わり、周辺諸国に影響を与えました。当時オーストリアの支配下にあったイタリアも、独立と自由を目指す動きが高まっていました。

メウッチは革命の影響で、祖国を離れなければなりませんでした。トスカーナ大公国を出たメウッチは妻とともにキューバに移住し、ハバナのタコン劇場で働き始めます。5年間の契約でしたが、メウッチは15年ほどハバナで過ごし、しばらく暮らすのに十分な財産を獲得しました。タコン劇場では、カーテンと換気システムの開発を行いました。さらにキューバ首都の水処理プロジェクトにも参加し、電気を活用したさまざまな実験を行ったのです。その中のひとつに、リウマチの治療に関する装置の発明がありました。これは別の部屋にいる患者の声を聞けるという装置であり、メウッチはこの装置についての研究を本格的に始めました。

アントニオ・メウッチの後半生(病気の妻と話すために電話を発明するが、グラハム・ベルとの特許訴訟に敗北する)

1850年、タコン劇場との契約がついに終了し、メウッチはアメリカを訪れました。ここでは、ロウソクの工場を設立して経営を行いました。1854年、長年の研究の成果として、電話の試作品が完成します。このとき、妻エステルは重篤な病気に罹り、別室で過ごすことを余儀なくされていました。壁越しでも妻と会話するため、メウッチは是が非でも電話を発明したいと考えていたのです。劇場で働いていた時代、監督室から遠隔で作業者への指示を飛ばせる装置を作ったことが、電話を作るきっかけとなりました。

しかし、ロウソク工場の経営はうまくいきませんでした。会社は倒産し、メウッチ資金難に苦しむことになります。生活は苦しくなったものの、それでも電話の発明は続けていきました。メウッチは友人からの支援に依存していたため、電話の発明についての特許料を支払うことができず、仮の特許を取得して更新し続けることで権利を守っていました。年10ドルの特許料を毎年払っていたものの、1873年を最後に特許の更新は止まりました。

1876年、グラハム・ベルが自身で発明したという電話の特許を取得しました。メウッチはこれが権利の侵害にあたるとして提訴しましたが、メウッチは破産していたために食べ物を買うことすら難しいという状況にあり、裁判を有利に進めることができませんでした。最終的に、メウッチが発明したのは機械式電話、グラハム・ベルが発明したのが電気式の電話という判断により、裁判は1887年、ベルの勝利として決着しました。

この一件で、イタリア以外の国では「電話の発明者はグラハム・ベル」という認識が広がり、一世紀以上にもわたって正しい歴史が伝わることはありませんでした。しかし2002年、アメリカ合衆国議会の決議により、アントニオ・メウッチが電話を最初に発明した人物として認められたのです。

今回は、電話の発明者アントニオ・メウッチの生涯を振り返りました。若くして逮捕・投獄されたり、革命運動の高まりによって祖国を追われたりするなど、波瀾万丈な人生を送っていたメウッチですが、電話の発明という偉業を成し遂げました。発明者という名誉が長きにわたって得られなかったことは非常に残念ですが、今では正史として語られていることがせめてもの救いではないでしょうか。一般的に語られている歴史は、誤っていることも少なくありません。多くの情報に惑わされず、真実を見極めるようにしたいものですね。

 

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