ブログ

【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 炭素アーク灯の発明者 パーヴェル・ニコライェヴィチ・ヤブロチコフ(パリ万博で注目を集めて電気照明器具ビジネスでも成功した優秀な発明家)

じっくりヒストリー IP HACK

2025.09.16

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。電気はさまざまな用途で利用されています。その中でもなじみ深いのが、照明として使われる電気です。屋内の屋根や天井に設置される蛍光灯やLEDなどの電球、そして携帯用の懐中電灯など、電気を利用した明かりは私たちの生活に欠かせません。そんな照明装置の一種に、放電灯というものがあります。広義では放電発光を利用したものが放電灯として定義されていますが、狭義では炭素を利用したアーク灯と区別されています。炭素アーク灯が生まれたのは、1808年のイギリス。これは世界最初の電灯となりました。その後のアーク灯の発展に貢献したのが、ロシアの電気技術者パーヴェル・ニコライェヴィチ・ヤブロチコフです。今回はそんなパーヴェル・ニコライェヴィチ・ヤブロチコフの生涯を振り返っていきましょう。

パーヴェル・ニコライェヴィチ・ヤブロチコフの前半生(使いやすい炭素アーク灯を発明して特許を取得する)

パーヴェル・ニコライェヴィチ・ヤブロチコフは1847年、ロシアのサラトフ州で生まれました。

ムィコラーイウ工科大学で軍事工学を学び、1866年に卒業しました。その後3年間をサンクトペテルブルクのガルヴァーニ電気技術専門学校で過ごし、電気に関する技術を身につけました。卒業後、兵役で陸軍に入って活動した後、モスクワでモスクワ=クルスク間鉄道社の電信局長を務めました。ヤブロチコフは電気工学の実験をするための工房を開設し、これはその後の彼の人生において重要な拠点となりました。

その頃、電灯の世界は革新を迎えていました。19世紀初頭、イギリスのハンフリー・デービー という科学者が炭素アーク灯の実験を行いました。1815年にボルタ電池2000個を電源に使用してアーク灯を発電させ、強い光を出すことに成功しました。しかし炭素アーク灯を実用化するには、持続的に発光させるための電源の確保が難しいことや、電極の間隔を改善する必要があったことなどの問題がありました。最終的にアーク灯が実用化されたのは、1862年のことでした。

この炭素アーク灯をさらに実用的なものにしたのが、ヤブロチコフの代表的な発明です。従来のアーク灯が抱えていた電源装置や電極同士の距離を確保する構造などの複雑な機構をすべて取り除いたことで、より使いやすいアーク灯を生み出しました。この電灯をヤブロチコフは「電気ロウソク」と呼び、サンプルを作ってパリで特許を取得しました。その後、彼はベルギーの科学者ゼノブ・グラムが発明した直流発電機を単相交流発電機に作り替え、アーク灯の電源に利用しました。こうして、アーク灯は電気照明システムとしてようやく完結したのです。ヤブロチコフのアーク灯は1887年にルーヴルのマレンゴ市場の照明として使用され、初めて公共の場でその性能を披露しました。1880年までには、このシステムは120のランプを備えるようになり、2年半にわたって運用されました。

パーヴェル・ニコライェヴィチ・ヤブロチコフの後半生(パリ万博で注目を集めて電気照明器具ビジネスで成功する)

1878年、ヤブロチコフはパリ万国博覧会でアーク灯を発表しました。ゼノブ・グラムが彼の発表を宣伝したこともあり、アーク灯は非常に大きな注目を浴びました。万国博覧会の開催側もアーク灯への期待は大きく、オペラ座大通りに半マイルに渡る64個のアーク灯を設置しました。

アーク灯の点灯には高電圧を必要としました。それでもグラム式発電機を使えば1台で済むことから、パリ競馬場では20機を稼働させていたセラン灯と発電機をすべてグラム式発電機とアーク灯に取り替えました。新しい電灯の誕生に、市場は大きく動きました。ガス会社の経営状況は急激に悪くなり、2年の間不景気が続きました。またアーク灯は全世界でも注目され、各国の実業家はヤブロチコフの特許の使用権を獲得するために奔走しました。

アーク灯に関する特許の一部として、ヤブロチコフはファラデーの電磁誘導の法則を利用し、継続的に高圧電流を得る方法を説明しました。一次コイルが交流電源につながれ、二次コイルが数個の「ロウソク」(電灯)に接続されるという仕組みです。

当時はこの原理が注目されることはありませんでしたが、変圧器を用いて同じ交流回路から違う電圧を得る仕組みは、今日の送電・配電システムの先がけとなるものでした。1879年、ヤブロチコフは「発明家ヤブロチコフ電気照明会社」を設立し、ペテルブルクで軍艦および工場用の電気照明器具を生産しました。

1880年代の半ばから、ヤブロチコフは発電の問題に専念するようになりました。彼は「電磁気発電装置」を建造しました。この装置には、現代のコイルの特徴を多く備えていました。さらに化石燃料が持つ化学的エネルギーを電気エネルギーに変換する方法についても研究を行いました。この実験の結果、アルカリン電解液を使ったガルヴァニ電池を考案し、再充電可能な電池(二次電池)を発明しました。

今回は、炭素アーク灯の発明と実用化に大きく貢献したパーヴェル・ヤブロチコフの生涯を振り返りました。電気があることで、私たちは夜でも明るい光のもとで暮らせます。夜道を照らす街灯や街を彩るネオンなど、その活用方法は幅広く存在します。そんな電気の発展は、ヤブロチコフをはじめ多くの人々の尽力あってのものです。電気を使える生活が送れることには感謝しなくてはなりませんね。

アーカイブ