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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 蒸気エンジン式の航空機の開発に取り組むが失敗した アレクサンドル・モジャイスキー(幕末の日本で上田寅吉に西洋式帆船の製造技術を伝えたロシア帝国の軍人)

じっくりヒストリー IP HACK

2025.06.20

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。航空機のエンジンには、ジェットやレシプロエンジンなど、さまざまな種類のものが用いられています。これまでに航空機の開発を巡って、多くの発明家たちが改良を重ねてきました。近世ヨーロッパで産業革命のきっかけとなった蒸気機関の発明は世界的に航空機のエンジンにも影響を及ぼし、ロシアでは蒸気エンジンを搭載した航空機が何機も作られました。ロシアで蒸気エンジンを搭載した飛行機の発明に携わり、自ら飛行実験を行った人物として知られているのがロシア帝国で海軍士官を務めたアレクサンドル・モジャイスキーです。彼は開国交渉のために日本を訪れ、宮大工の上田寅吉と深いつながりを持ちました。今回はそんなアレクサンドル・モジャイスキーと上田寅吉の生涯を振り返っていきましょう。

アレクサンドル・モジャイスキーの航空機開発(ロシア帝国の軍人として蒸気エンジン式の航空機の開発に取り組むが失敗する)

アレクサンドル・モジャイスキーは1825年、フィンランドで生まれました。ロシア帝国の貴族として生まれたモジャイスキーは帝国の軍人として、兵器の開発に関わりました。

1860年代、ロシア政府は新兵器開発を推進していました。モジャイスキーは「飛行機械製造計画書」と題した計画を立案し、航空機による敵艦隊への爆撃を目標とするプロジェクトを打ち出しました。ロシア政府はこの計画の指導を決定し、ロシア海軍の最高機密プロジェクトとして航空機開発が推し進められたのです。

計画の指導当初、蒸気機関の開発が検討されていました。エンジンの重量が極端に制約される航空機開発の中で、モジャイスキーは軽量かつ小型な蒸気機関を追求しましたが、当時のロシアの工業力では製造不可能であったため計画は思うように進まず、1880年にロシア海軍は正式に開発の失敗を宣言。モジャイスキーは計画失敗の責任を取って海軍を退官し、自費での航空機開発を決意しました。

ロシアの国家プロジェクトという立場上、海外に必要な備品を求めることはできませんでしたが、自由になったモジャイスキーは理想のエンジンを求めて世界に目を向けました。その結果選ばれたのがヘンソン・ブラザーズ商会が開発したバイブレーティングレバー方式による小型高出力の蒸気機関です。モジャイスキーはこのエンジンを3台購入し、機体側は1870年代にスプリングでプロペラを回転させる模型飛行機を製作し、実験を重ねました。

1884年、モジャイスキーは遂に航空機実物による飛行実験を実施しました。滑走台から走り出した飛行機は30mほどジャンプした後、機体は右に傾き大破しました。ごく短い瞬間の飛行(というより跳躍)であったため、一般的には飛行と認められていませんが、ロシア国内ではこれが世界初の航空機と呼ばれています。この航空機の模型はモスクワ航空博物館に展示されています。

アレクサンドル・モジャイスキーと上田寅吉

ロシアにおいて、航空機の発明と世界初の飛行(ロシア国内における評価)を達成し偉人となったモジャイスキー。彼はある出来事をきっかけに、日本人の上田寅吉と深い関係を持ちました。

1854年、ロシア海軍に在籍していたモジャイスキーは、鎖国下にある日本への開国交渉のために旗艦ディアナ号に乗り、日本を訪れていました。彼らが日本近海に到着したとき、運悪く安政東海地震が発生し、大津波に飲まれて船は大破してしまうのです。修理のために戸田の港に向かうも、ここでも嵐に遭い宮島村(現・富士市)沖で沈没という事態に陥ります。命からがら生き延びた船員たちはひとまず戸田に滞在し、モジャイスキーの指揮の下、帰国のための帆船建設に取り掛かりました。

彼らを助けるため、戸田には数多くの船大工が集められました。宮大工の上田寅吉もその1人です。この船は日本初の外洋帆船となり、ロシア海軍のプチャーチンによって「ヘダ号」と名付けられました。これは日本の西洋型造船の起源とされ、複数が建造された同型のスクーナーは、戸田村のある君沢郡にちなみ君沢形(くんたくがた)と呼ばれました。

沼津市戸田造船郷土資料博物館には、日本最古の銀板写真であるモジャイスキーの肖像写真と、彼がディアナ号の船内で製作した模型飛行機の写真が展示されています。

今回はロシア帝国で海軍の軍人を務め、航空機の発明で功績を残したアレクサンドル・モジャイスキーと宮大工の上田寅吉の生涯を振り返りました。鎖国中の日本で不思議な縁により結ばれた2人の出会いは、のちに日本で西洋型の船が作られるきっかけとなりました。歴史的に他国の重要人物とゆかりのある地域に足を伸ばし、彼らの足跡を辿るのも面白いかもしれません。

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