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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 楽器の発明家 ジャン=バティスト・ヴィヨーム(庶民が求める使いやすい楽器を安価に製造販売することに成功した発明家)

2023.08.18

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。楽器においても、様々な研究が行われ、製作技術は進歩してきました。実用的なアイテムの発明ももちろん生活を豊かにするものですが、文化的な発展も忘れずにはいられません。楽器の発明者として名を残す人物、特に楽弓についてはフランシス・トルテの改良が有名です。この改良は完璧であり、ともすればこれ以上手を加える必要がないとも捉えられてしまうことが多いですが、トルテ後も改良に挑戦し続けた人物は数多く存在します。そんな中で、ひときわ異彩を放っていたのがフランスのジャン=バティスト・ヴィヨームです。彼は音楽工房で3,000以上の楽器を製作し、多くの賞を受賞しました。ヴィヨームの行った改良は利便性を高めるものであり、たくさんの奏者に信頼を置かれていました。今回はそんな、ジャン=バティスト・ヴィヨームの生涯を振り返っていきましょう。

ジャン=バティスト・ヴィヨームの前半生(楽器工房を開いて成功する)

ジャン=バティスト・ヴィヨームは、1798年、ミルクールで生まれました。祖父、父と代々続く弦楽器製作者であり、ヴィヨームも家業を受け継ぎ、弦楽器製作者の道へと進みました。1818年になると、ヴィヨームはフランソワ・シャノーの元で修行をするためにパリを訪れました。1821年にはパヴェ・サンソヴール通りに構える工房へと入り、当時の経営者であったシモン・レテと共同で経営をすることになります。ふたりはのちに「レテとヴィヨーム」という名前の工房をクロワ・デ・プティ・シャン通りに開きました。

ヴィヨームの工房は、パリで最も繁盛していました。その後20年間にわたって、ヨーロッパの最大手としての地位を確立します。成功の最大の理由は、1855年にイタリア人楽器商ルイジ・タリシオの相続人からイタリアの名工たちの手による144挺の楽器を80,000フランで購入したことでした。この中には「メシア ストラディヴァリウス」と他24挺のアントニオ・ストラディバリの楽器が含まれていました。

ヴィヨームの楽器は、鉄パイプでできた弓や自分で毛替えができる弓を創作しました。これは楽弓の使用者にとって、あらかじめ束になった毛を購入しておけば弦交換にかかるのと同じくらいの時間で毛替えができる発明であり、管理の手間を省けるものでした。ヴィヨームの工房で作られた楽器には、製作者のサインと個体番号がラベルに記載されていました。これによって見分けがつきやすく、量産体制の確立に大きく役立ちました。使用するモデルと工程は標準化されていたので、品質の維持にも効果を発揮しました。ヴィヨームは一般市民の感覚をよく理解していたので、庶民でも手を出せる安価なモデルにも発明の手を入れています。

ジャン=バティスト・ヴィヨームの後半生(ヴィヨーム式フロッグを発明する)

ヴィヨームが商売で成功した背景には、メーカーとしての実力だけではなく、ディーラーとしても高い技術を持っていたことに起因します。フランス革命のあと、同国の経済は大きく発展していきます。そんな中、イタリア製の楽器に憧れる気運が高まっていきました。1855年にはパリ万国博覧会が開催され、上流階級の人々は高級な楽器を求めるようになります。そんなニーズを敏感に感じ取ったヴィヨームは、ディーラーとしての才能を遺憾なく発揮します。ミラノの楽器商であるルイージ・タリジオから144ものイタリア製楽器を購入し、販売を始めました。購入した楽器の中には、ストラディヴァリの傑作である1716年製メシアやグァルネリ、アマティなど、世界的に有名なブランドの楽器も含まれていました。メインとなったのは富裕層向けの販売でしたが、レプリカ作成の技術にも長けていたヴィヨームは低所得層にも購入できるような金額で販売し、所有欲を満たすような仕組みを作り上げました。市場のニーズを正確に捉え、莫大な利益をあげたの手法は、製作者としての技術とディーラーとしての商才を持ち合わせたヴィヨームだったからこそ可能な芸当だったといえます。

 さらにヴィヨームは、かなりの低音を出すための巨大な三元コントラバスや毛替えを自分でできる楽弓、金属製のスティックで強い音色を実現できるアイアンボウなど、独自性の高い商品を次々に開発していきました。中でももっとも大きな発明は、スティックとフロッグの合わせ面を丸く削ることで合わせの精度を高め、スムーズにフロッグを稼働できるようにした「ヴィヨーム式フロッグ」です。このスタイルは非常に実用的な発明として、後世でも定着しました。

今回は、楽器製造と販売で活躍したジャン=バティスト・ヴィヨームの生涯を振り返りました。楽器への興味関心が高まった中世フランスにおいて、ヴィヨームが発明した楽器は手入れがしやすく、多くの人々の人気を博しました。さらにどんな人でも楽器を購入しやすい体制を築きあげ、商売人としても優秀な面を見せています。当時のフランスの技術だとしても、現代の物と比べて遜色ない技術を発揮したことには驚きを隠せません。楽器の進歩も、これからの時代でどう変わっていくのか楽しみですね。

 

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