ブログ

【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 工作機械の発明家 ヘンリー・モーズリー(「工作機械の父」として尊敬されている天才発明家)

2023.08.04

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。その代表的な例として、工作機械が挙げられます。私たちが日常で使うすべての道具は、複雑な加工を行うことによってその形に仕上げられているのです。このような作業を簡単に、そして効率よく行うための機械が工作機械であり、これがなければ現代のような産業の発展はあり得なかったと言えるでしょう。この工作機械を作り上げ、「工作機械の父」として現代に名を残しているのがイギリスの技術者であるヘンリー・モーズリーです。彼は若い頃から工学に親しみ、その技術を高めていきました。数々の製品を作る中で生み出された工作機械は、人類の科学を飛躍的に進化させる礎となりました。今回はそんなヘンリー・モーズリーの生涯を振り返っていきましょう。

ヘンリー・モーズリーの前半生(優秀な技術者として活躍する)

ヘンリー・モーズリーは、1771年、イギリスで生まれました。父親は工兵隊の車輪製造工として働いていましたが、戦闘中の負傷によって引退、その後はロンドンのウリッジ王立工廠の倉庫番を任されていました。7人の兄弟がいて、モーズリーはその5番目の子供として誕生しました。父の死後、モーズリーは12歳にして父と同じ王立工廠で働くようになり、薬莢に火薬を詰める仕事を行うようになります。戦争が終結すると大工道具店へと転職し、15歳で修行を始めました。鍛冶職人の才があったモーズリーはみるみる頭角を表し、特に軽くて複雑なものを作ることにかけては他の追随を許さないほどの才覚を示しました。

モーズリーの技術力はたちまち評判をよび、発明家のジョゼフ・ブラマーの耳に入ることになります。モーズリーはブラマーの依頼を受け、タンブラー錠を開発し始めました。ブラマーはタンブラー錠の特許を取得していたものの、複雑な設計を高精度に再現できる確実な腕前を持つ職人が見つからずに苦心していたのです。ブラマーはモーズリーの才能に驚き、雇い入れることを決めます。モーズリーは才能を遺憾なく発揮し、特別な工具や工作機械を設計していきました。安価なタンブラー錠の製造に成功したブラマーは事業の成功を喜び、モーズリーの評判はさらに広がっていきました。

タンブラー錠の開発中も、他の製品について開発を行っていました。当時の水圧機は設計が不十分であり、求めている水圧に耐えうる機構を作り出すことに苦戦していました。そこでモーズリーは改良を行い、新たな水圧機はブラマーを満足させるものでした。さらにモーズリーはスライドレストが付属している旋盤を開発し、寸法が決まっている製品を量産させることに成功。これによって、機械加工に革命をもたらしました。このようにモーズリーは、数々の発明と改良でブラマーに多大な貢献をしましたが、ブラマーからの報酬は微々たるものでした。

技術者として多くの発明を残したモーズリーは、やがて工房の主任を任されるようになります。このころにブラマーのハウスメイドだったサラーと結婚し、さらに4人の子宝に恵まれました。家族ができたモーズリーは、それまでのような薄給で家計を支えることは厳しく、ブラマーに昇給を求めましたが、ブラマーはこれを拒否。週あたり30シリング、日本円にしてわずか30円ほどのものですが、昇給は認められませんでした。これをきっかけに、モーズリーは独立を決意します。8年もの間ブラマーのもとで働いたモーズリーでしたが、後味の悪い幕切れを迎えました。

ヘンリー・モーズリーの後半生(独立して数々の工作機械を発明する)

独立後、モーズリーはロンドンで小さな店と鍛冶場を開きました。ここでも確かな技術をもったモーズリーの評判はよく、売り上げも順調でした。1800年になるとキャベンディッシュ・スクウェアでさらに大きな建物に移りました。

最初の大仕事は、滑車製造用の木工機械の設計でした。海軍の帆船に取り付ける操作用滑車の生産に用いるためのもので、完成した機械は専門工場であるポーツマス滑車工場に据付けられました。それまで滑車の生産には100人を超える従業員の動員が必要でしたが、モーズリーの発明によってたった10人での稼働に成功しました。また、モーズリーは実用的なねじ切り旋盤を作り出したことでも知られています。ねじ山を一定の大きさに統一して量産できる機械であり、工房での加工技術を格段に向上させた発明品です。

この他、旋盤や船舶用機関、テムズトンネルを開通させるための排水用蒸気ポンプなど、画期的な発明の数々を行うなど、あらゆる産業場面で活躍していきます。モーズリーの工房からは何人もの優秀な技術者を産み出し、産業全体の技術を向上させていきました。やがてモーズリーは会社を立ち上げると、19世紀初頭のイギリスでもっとも重要な機械製造業者の座を獲得します。この会社自体は1904年に畳むことになりますが、モーズリーの子孫であるレジナルド・ウォルター・モーズレーはスタンダード・モーター・カンパニーを立ち上げ、その技術を後世に残していくようになります。

晩年、モーズリーは天文学に興味を持つようになり、天体望遠鏡の制作を始めました。しかし、開発も半ばで体調を崩し、そのままこの世を去りました。最後は無念の幕切れとなりましたが、モーズリーの残した発明が世の中の役に立ったことは言うまでもありません。

今回は工作機械の父であるヘンリー・モーズリーの生涯を振り返りました。10代の頃から製造や設計に才能を見出し、数々の発明品を残した手腕は称えるべきほかありません。偉大な人の生涯に触れることで、世の中の発明がどんな歴史を歩んできたのかがわかります。偉人たちの足跡を追いかけることで、これからの人生のヒントを得られるかもしれません。

 

アーカイブ