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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 蒸気機関の発明家 マシュー・ボールトン(ジェームズ・ワットと一緒にボールトン・アンド・ワット社を創業してビジネスでも大成功した発明家)

2023.07.07

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。ものづくりは太古の時代から行われてきましたが、近代的な技術によって産業が爆発したのが中世イギリスにおける産業革命の時代です。このとき、蒸気機関の発明によって人類の産業は目まぐるしく発展しました。そんな蒸気機関を開発し、製造に使用する技術を取り入れたのがマシュー・ボールトンです。彼はジェームズ・ワットとともにボールトン・アンド・ワット社を設立し、製粉・製紙業に革命をもたらしました。さらに貨幣の製造にも技術革新をもたらし、イギリス国内の硬貨を製造した実績を残しています。今回はこのマシュー・ボールトンの生涯を振り返っていきましょう。

マシュー・ボールトンの前半生(父の跡を継いで金属加工業で成功する)

マシュー・ボールトンは、1728年生まれの発明家です。イングランドで生まれ育ち、多くの技術革新を世の中にもたらしました。ボールトンの父はバーミンガムで金属製品加工工場の主として事業を行っていました。幼い頃から製造と経営を身近に感じていたボールトンは、自然と技術について学んでいきました。ボールトンが31歳のとき、父親が逝去。事業を受け継ぎ、工場を大きく育て上げました。やがてソーホー製作所を立ち上げ、事業を統合します。最新技術を取り入れたこの工場は、銀皿やオルモル、その他の装飾品を製造するようになります。ソーホー製作所を設立した背景には、当時のイギリスにおける貨幣製造の技術レベルの低さを嘆いてのものでした。それまでボールトンはルナー・ソサエティの重鎮として、各分野の名士を集めて会合を行っていました。ボールトンが製造した貨幣はデザインが精巧であり、偽造にも強かったとされています。悪貨が良貨を駆逐したことのあるイギリスだからこそ、貨幣偽造に対する意識は高くなっていたのでしょう。

マシュー・ボールトンの後半生(ジェームズ・ワットとの蒸気機関の共同事業で成功する)

このときの事業パートナーは、ジョン・ローバックという人物です。ボールトンは彼に貸していた資金を回収できず、その弁済としてワットの発明に対するローバックの特許権を譲り受けました。これをきっかけに、ボールトンはワットと共同で事業を進めることになります。ボールトンはワットの蒸気機関特許権を17年延長するようロビー活動を行い、国会に認めさせました。ワットの蒸気機関は商品化に成功し、イギリス国内外で鉱山や工場に何万基ものボールトン・アンド・ワット蒸気機関を出荷しました。

ワットとの共同事業も、出だしは順調なものではありませんでした。最初のきっかけは、ソーホー製作所のエネルギー不足が深刻な問題となっていたことでした。夏の間は導水路の水位が下がってしまうため、水力ではエネルギーが足りないことが問題となっていたのです。そこでボールトンは水車用水を貯水設備に循環させるアイデアを閃き、またそれ自身で動力を生み出すために蒸気機関を活用することを思いつきました。蒸気機関の特許はワットが取得していたため、ボールトンはワットに直接手紙を送りました。3年の歳月が立ち、ボールトンはワットに独自の熱交換式復水器を発明しもらって特許を取得しました。ボールトンはこの発明を、水車だけではなくエンジンにも利用できると考えました。

ボールトン・アンド・ワット社は多くの発明を行い、イギリスの人々に便利な生活を提供し続けました。ボールトンは功績を讃えられ、王立協会のフェローに選出されます。

1800年に蒸気エンジンの特許が切れると、ボールトンとワットは引退し、それぞれの息子に事業を託しました。引退後もボールトンはソーホー製作所の経営を続けました。しかしこのハードワークが祟ったのか、腎臓結石を患ってしまいます。1809年には結石が膀胱にまで達し、激しい痛みと闘いつつも衰弱していきました。この年、ボールトンは最期を迎えました。

バーミンガム一帯には、記念碑やボールトンにゆかりのある建物を垣間見ることができます。1766年から亡くなるまで住んだソーホー・ハウスは博物館として、彼が初めて実験のために借りたセアホールミルは一般に公開されており、ソーホー製作所と住まいの記録はバーミンガム市の史料編纂所に寄託されています。バーミンガム市では歴史的な場所をブルー・プラークという青い銘板で示しており、ボールトンが生まれたスチールハウス通りの家とソーホー・ハウスにも掲示しています。バーミンガム中心部のブロード通りに面した旧登記所の建物の前に立つブロンズ像はウィリアム・ボイルが鋳造したボールトン、ワット、マードック記念像、マシュー・ボールトン大学は彼を称えて1957年に改名されました。2009年8月にはサットン・コールドフィールド大学と統合され、バーミンガム・メトロポリタン大学と改称。2009年の没後200年記念日に組まれたさまざまな行事のうち、バーミンガム市議会はその年を「マシュー・の人生と業績と社会的貢献を記念する年」に指定しています。

今回はボールトン・アンド・ワット社の創始者であるマシュー・ボールトンの生涯を振り返りました。蒸気機関の発明からエンジンの発明を閃き、障害の間に様々な功績を残した足跡は現代でも讃えられています。発明家人生を着実に歩んだボールトンは、まさに歴史に名を残す人物と言っても過言ではないでしょう。偉大な人物がどのような人生を歩んできたのか知ると、今後の人生にも学びがあるのかもしれません。

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