私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。私たちの生活は、電気によって成り立っています。暗い夜でも電気をつけて周囲を視認できることは、文化的な生活を送ることに非常に役立っています。一般的に、電球としてよく使われているのは白熱電球です。そんな白熱電球を発明したのが、イングランドの発明家のジョゼフ・スワンです。スワンは白熱電球を発明した功績により、王立協会のフェローに選出されています。スワンは電灯を発明したり、「発明王」のエジソンと会社を起こしたりと科学分野で大きく活躍しました。今回はそんなジョゼフ・スワンの生涯を振り返っていきましょう。
ジョゼフ・スワンの前半生(白熱電球を発明する)
ジョゼフ・スワンは1828年にビショップワーマスのパリオン・ホールで生まれました。スワンはまず薬剤師のもとで働き、のちにニューカッスル・アポン・タインのモースン社という製薬会社の共同経営者になったという経歴を持っています。
スワンが大きな発明をしたのは、1848年ごろ。白熱電球の研究に取り組んでいたスワンは、炭化した紙をフィラメントとして活用するアイデアを思いついていました。減圧したガラス球の中に炭化した紙を入れることでフィラメントとして活用して、電球を光らせようとしていたのです。1860年には試作品を実際に発光させることに成功し、イギリス国内で電球の特許が認められました。しかし、このときに発明した電球は、改良するのが難しいという欠点からあまり浸透しませんでした。十分な真空度がなく、電力供給も不十分であったことから、小型化と長寿命化が困難だったからです。
それから15年後、スワンは改良した白熱電球を発明すべく、研究に取り組んでいました。このときの構想は、より真空に近い状態を作る技術と、今度は紙ではなく木綿で作ったフィラメントを使って発光させるというもの。苛性ソーダで処理した木綿糸を炭化させたフィラメントは、電気をつけても燃えることがなく、安定して発光することに成功しました。1878年の12月には寿命時間は40時間を超え、当時の技術では偉大な発明を行ったのです。しかし、このときの発明も両手を振って成功というわけにはいきませんでした。電気抵抗が小さく、電力を供給するためには太い銅線を用意しなければならないという欠点もあり、不便さを払拭するまでの改良には至らなかったのです。
ジョゼフ・スワンの後半生(エジソンと一緒に白熱電球の会社を起業する)
スワンの電球に関する特許が認可されたのは、1878年のこと。発明王としておなじみのエジソンも特許を取得していますが、それより一年早くスワンが特許を取得していたのです。1879年、スワンはニューカッスル化学協会に電球の研究が成功した報告をします。これに伴い、ニューカッスル・アポン・タインでは電球に関する講義と実演を行っています。同年、スワンはイングランドの一般家庭と歴史的建造物に電球の導入を始めました。これがきっかけで、現在まで続く一般家庭の電気文化が確立されました。日中の明るい間しか活動できなかった人々は、夜の間でも家族と団らんを楽しんだり、内職を行ったりできるようになったのです。スワンの家はゲイツヘッドのロウ・フェルにあり、電球が灯った世界最初の家となりました。1881年にスワンは「スワン電灯会社」を創立し、数多くの電球を生産していきました。
電球を発明したスワンとエジソンという2人の天才は、1883年に手を組むことになります。エジソン&スワン聯合電灯会社を創設し、スワンが1881年に発明したセルロース製フィラメントを用いた電球を販売しました。この会社は「エジスワン」と呼ばれ、電球の製造業で先駆者のポジションを取っていきます。セルロース製のフィラメントは業界のスタンダードとなり、多くの企業で採用されるようになりました。しかしこの当時、エジソン社だけはセルロース製のフィラメントを使いませんでした。竹製のフィラメントを使い続けていたのですが、最終的にはセルロースに転向。1892年に合併してゼネラル・エレクトリック社が創設された後のことでした。
1886年、エジスワン社はロンドン北部のポンダーズ・エンドにあったジュート加工所跡に製造拠点を移しました。エジスワン社がイギリス初の真空管を製造したのも、1916年、ポン ダーズ・エンドの工場でのことでした。この地区は、20世紀における電子部品産業の中心地となりました。エジスワン社は、1920年代後半にBTH社とAEI社に吸収されています。
今回は、白熱電球を発明したジョゼフ・スワンの生涯を振り返ってきました。生活を便利にするアイテムの一つとして、大きな意義を果たしています。そんな白熱電球の研究を行い、寿命を長くする工夫を行い続けた彼の情熱は称えるべきでしょう。スワンとエジソンが手を組んで開発を行った歴史があればこそ、今の電球開発があるのではないでしょうか。