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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくりヒストリー 気球のガイド・ロープの発明家 チャールズ・グリーン(何度も気球の事故で死にかけたが、偉業を成し遂げた不死身の発明家)

2023.05.22

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。人が空を移動するには、かつて気球が主な手段でした。気象観測や軍事的な偵察、物資や人員の輸送など、19世紀の人々にとっては気球は欠かせない乗り物でした。そんな気球に熱意を傾け、様々な改良を行ったのがイギリスの気球乗りであるチャールズ・グリーンです。彼は空を愛し、気球を愛した結果、職業としての気球乗りを確立させた人物です。世界で初めて石炭ガスを気球の燃料として活用し、長距離飛行を成功させたことでも知られています。また、気球の操舵と高度調整を補助する「ガイド・ロープ」も発明しました。危険を伴う移動手段であった気球の安全性を確保し、さらに長い距離を飛べるようにしたチャールズ・グリーンは偉大な気球乗りとして現代に名を残しています。イギリス気球・飛行船クラブは、記録的な飛行や気球分野で技術的な貢献を果たした人物に、彼の名を冠する「チャールズ・グリーン杯」というトロフィーを送っています。今回はそんな、チャールズ・グリーンの生涯を振り返っていきましょう。

チャールズ・グリーンの前半生(気球のガイドロープを発明)

チャールズ・グリーンは、1785年、ロンドンの果物屋の息子として生まれました。グリーンは学校にほとんど行かず、若いうちから家業を手伝っていました。そんなグリーンが気球乗りとしての人生を歩み始めたのは、36歳の時でした。1821年、イギリスではジョージ4世が即位。政府はこれを記念して、気球での飛行を執り行いました。そこで白羽の矢が立ったのが、気球に石炭ガスを使用すると考えていたグリーンでした。史上初となる石炭ガスを使用した気球での飛行は無事に行われ、歴史的な飛行として記録が残されています。当時一般的に使用されていた気球の燃料は水素ガスでしたが、高価なうえに気球を膨らませるために膨大な量が必要となり、集めるのに時間がかかるという問題点がありました。また水素の性質上、燃料を燃やして動力とする気球の飛行中に水素ガスに引火し、爆発事故を起こす危険性が非常に高かったのです。そうして状況の中、石炭ガスを用いて安全かつ安価に飛行を行えるようにしたグリーンは、偉大な気球乗りとして多くの人に知られるようになりました。これをきっかけに、グリーンに気球への情熱が芽生えました。グリーンは人生で526回もの飛行を行ったとされています。

そんなグリーンの気球人生は、すべてが安全に行えたものではありません。ジョージ4世の即位を記念した飛行はうまくいったものの、その翌年には命を落としかねないほど危険な状況にも陥りました。グリーンは当時、グリフィスという新聞記者と一緒にチェルトナムからの飛行を行いました。この飛行の裏ではグリーンの飛行距離についての賭けが行われており、賭けを行った人物の関係者が事前にグリーンたちの乗る気球のロープを傷つけていたのです。ゴンドラから離陸した気球はすぐに落下を始めましたが、搭乗していた2人は気嚢に捕まり、一度は落下を防いだものの、その状態のまま飛行を試みました。非常に危険な状態であったものの、結果的には軽傷を負いながらも無事に着陸することに成功したのです。この飛行は、人類の気球による飛行の中でも最も危険なものだったとされています。

また、グリーンは気球の上昇・下降を制御する「ガイド・ロープ」を発明したことでも知られています。操舵が難しい気球を制御するために発明したガイド・ロープは、危険の多い飛行に安全性を高めたとして評価されています。グリーンが発明したガイドロープは、ゴンドラから垂らしたロープと、それを巻き上げる機械で組み立てられています。ロープは、先端が地面に接触していないとき、つまり気球が空中に完全に浮遊しているときは重りの役目を果たします。一方、地面と接触している部分がある場合、気球の荷重は地面と接触している部分の分だけ低減されます。ロープを出すほど地面と接触する部分は多くなり、気球の荷重が減ることで上昇していきます。このように、ロープをどのくらい出すかで高度の調整が可能になり、ガスやバラスト(重り)などを使わなくても、細かな調整ができるようになったのです。

チャールズ・グリーンの後半生(770kmの長距離飛行に成功)

1836年、グリーンは770kmもの長距離飛行に成功します。気球乗りとして名を馳せていたグリーンに、ヴォックスホール公園の所有者であるガイ&ヒューズが資金提供を行いました。「ロイヤル・ヴォックスホール」という名の大型気球で、約7万立方フィートの容積、約5千ポンドの馬力を持つ気球で、石炭ガスを使って飛行するものでした。この巨大な気球に、9月9日に8人を乗せて初飛行。9月21日には11人を乗せて二回目の飛行も成功しました。11月7日には議員のロバート・ホランド、フルート奏者のモンク・メイスンを加え、長距離の飛行に臨みました。午後1時半にヴォックスホール公園を飛び立ち、空の旅を始めました。夕方ごろにはドーバー海峡の上空を越え、翌朝7時にドイツのナッサウ公爵領ヴァイクブルクへと着陸しました。18時間で長距離の飛行に成功して、これも歴史に残る大飛行となりました。この飛行を祝って、ジョン・ホリンズは絵を描きました。この絵は現在、ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーに加えられています。「ロイヤル・ヴォックスホール」はこの飛行を記念して、「ナッサウの大気球」に改名されました。

今回は、イギリスの気球乗りであるチャールズ・グリーンの生涯を振り返ってきました。実家の果物屋を手伝った30年あまりを経て、気球乗りとして有名になった彼の人生は、山あり谷ありで実に面白いものでした。偉業もさることながら、中には死にかける体験をするなど、波乱万丈な人生を送ったとされています。主な移動手段が飛行機に変わり、観測などもドローンがその役目を担うようになった今、気球の持つ役割は非常に限定的なものとなりました。しかし、空中散歩などのアクティビティとして、気球は今もなお人気のある乗り物となっています。気球の歴史を知ったうえで、レジャーとしての空中散歩をしてみると、それまでとはまた違った魅力が発見できるかもしれませんね。

 

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