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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくりヒストリー クロノメーターの発明家 ジョン・アーノルド(時計会社の「アーノルド&サン」の創業者)

2023.04.17

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。私たちが日常生活を送る上で、時計は欠かせないアイテムです。もし時間を確認できない状況になれば、非常に困った事態となることは想像に難くないでしょう。中世ヨーロッパで始まった大航海時代、多くの人々は新しい貿易の相手を求めて海へと駆り出しました。海上では自分たちがいる位置を正確に把握する必要があり、時計はもっとも一般的な方法でしたが、当時使用されていた振り子時計は波の影響が激しい海上では機能しないため、揺れる船の上でも正確に現在地を把握できる時計の開発が求められていました。その海上時計、いわゆる「クロノメーター」を改良したのがイギリスの時計師であるジョン・アーノルドです。彼はスプリング・デテント式脱進機というクロノメーターを開発し、のちのクロノメーターのお手本となる製品を作り上げました。アーノルドの開発があったことで、船乗りは安心して船旅に出られるようになったのです。今回はそんな、ジョン・アーノルドの生涯を振り返っていきましょう。

ジョン・アーノルドの前半生(時計工房の設立)

ジョン・アーノルドは、1736年、イギリスのコーンウォールで生まれました。アーノルドの父親は時計技師を営んでおり、アーノルド自身も時計づくりに惹かれていきます。若い頃から時計づくりに興味を持っていたアーノルドは、父親に弟子入りして時計づくりの修行を積んでいきます。19歳の時、時計職人としての修行期間を終えると、アーノルドは故郷のイギリスを離れてオランダへと旅立ちました。アーノルドはオランダで2年間を過ごし、ロンドンに戻る頃には流暢なドイツ語を操れるようになっていました。優秀なアーノルドは国内でも高い評価を得ていたため、宮廷に入って仕事をすることになります。当時の宮廷にとって外国語を話せる人材は貴重であったため、宮廷で大きく活躍しました。20代の半ばごろには、ロンドン内でも評判の時計技師として有名になっていたと言われています。アーノルドが時計職人として活躍していたある日、アーノルドは2度打ち時計の修理を行います。時計を持ち込んだのは、ウィリアム・マクガイアという人物です。マクガイアはアーノルドの技術に惚れ込み、2人の間には親交が生まれました。アーノルドは自分の工房を持ちたいと考えており、のちにその夢は叶うことになります。アーノルドが工房を開いた時、マクガイアはローンを援助してアーノルドを助けました。アーノルドはロンドンのストランド街、デブルーコートでついに自分の工房を開き、夢を叶えたのです。

アーノルドの活躍は、時の国王であるジョージ三世の耳にも届きました。ジョージ三世に謁見する機会を得たアーノルドは当時の時計の中ではもっとも小さいハーフクォーターリピーター時計を製作し、ジョージ三世に献上しました。ジョージ三世は珍しい時計に大いに喜び、ますます宮廷でも気に入られる時計技師となりました。

ジョン・アーノルドの後半生(クロノメーターの発明)

アーノルドが時計技師として活躍をしていたころ、世の中は大航海時代の最中にありました。当時大きく問題となっていたのが、航海中に現在の位置を把握できずに海難事故が多発していることでした。緯度や経度の計算によって現在位置を求める必要がありましたが、正確な経度を測る道具が発明されていないことが問題視されていたのです。こうした状況の中、海上でも正確に時間を把握できるクロノメーターがジョン・ハリソンの手によって開発されました。初代のクロノメーターも歴史的な大発明でしたが、アーノルドはこの時計をさらに簡単に製造できる仕組みを構築しました。アーノルドが開発したクロノメーターは「スプリング・デテント式脱進機」と呼ばれ、後世に語り継がれることになります。このクロノメーターはさっそく航海に導入され、ジェームズ・クックが太平洋に出た3回のうち2回使用されました。デテント式脱進機を改善したポケットクロノメーターを開発するとイギリス海軍の探検家で海軍将校であるコンスタンティン・ジョン・フィップスはこれを航海に持ち出しました。初期のクロノメーターであるハリソンのものと、アーノルドのものを両方持っていった結果、アーノルドの時計は128日間でたった2分40秒しか狂っていなかったとの記録も残されています。

アーノルドは1764年に息子のジョン・ロジャー・アーノルドとともに時計会社の「アーノルド&サン」を立ち上げました。この時計ブランドは現代でも名を残すほど人々に愛され続けています。会社を立ち上げてから数々の時計を作り、破竹の勢いで名前を広げていきました。やがて年老いたアーノルドは時計職人を引退し、息子のロジャーに会社を託しました。アーノルドは1799年にこの世を去り、以降の会社はロジャーが守っていくことになります。ロジャーの死後、アーノルド&サンは他社に合併される形で一度は無くなったものの、その技術が愛されていたこともあり、スイスのラ・ショー=ド=フォンで復活を果たしました。現在では多機能な腕時計ブランドとして、多くの人々に時間を伝える役割を担っています。

今回はイギリスの時計技師であるジョン・アーノルドの生涯を振り返ってきました。身近にある時計にも、歴史を辿っていくとこのようなドラマに出会えます。アーノルドが発明したクロノメーターは、海に生きる人たちにとって大きな希望となったことでしょう。彼の時計への情熱は、現代でも受け継がれています。時計ひとつにも発明のきっかけを辿ってみると、新しい発見があるかもしれません。

 

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