ブログ

【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくりヒストリー 真空管の発明家 ジョン・フレミング(フレミングの「左手の法則」で有名なイギリスの物理学者)

2023.03.31

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。ラジオやパソコン、テレビなどの電子機器は、電気信号を増幅させる真空管が欠かせません。この真空管を発明したのは、イギリスの物理学者・ジョン・フレミングです。フレミングは電磁気現象の記憶法である「左手の法則」を考案し、電気工学分野に大きな影響を与えました。彼の発明によって、通信や放送技術は多大な進化を遂げ、現代でもあらゆる電子機器にその技術が使用されています。今回はそんなジョン・フレミングの生涯を振り返っていきましょう。

 

ジョン・フレミングの生涯

ジョン・フレミングが誕生したのは、イギリスのドーセット州ラングフォード・アビーです。父親はプロテスタントの一派である会衆派教会の聖職者であり、クリスチャンとして生活していました。フレミングが学校に入学したのは、10歳の時。幼い頃から幾何学に興味をもち、入学前から母親から教育を受けていました。工学系の知識は子どもながらに豊富な知識を持ち合わせていた一方、ラテン語は苦手という欠点もあったようです。子どもの頃から技師を目指していたフレミングは、11歳の時に自分の工房を立ち上げます。エンジン付きの船の模型やカメラなどを自作していましたが、様々なものを作るための資金を家計から捻出するのは厳しく、学校に通いながら働いて制作の資金としていました。

1866年、フレミングはユニバーシティ・カレッジに入学。数学と物理を学んでいましたが、フレミングは1870年にキングス・カレッジで化学を学ぶため、ユニバーシティ・カレッジを退学します。キングス・カレッジではボルタ電池に出会い、彼の最初の論文のテーマとなりました。この論文は現在のイギリス物理学会の前身であるロンドン物理学会の議事録1巻目の巻頭を飾りました。学生時代も赤貧は変わらず、勉学に励みながらもパブリックスクールで講師として働いていました。大学での研究の他に独自の研究も続け、ケンブリッジ大学で物理学者のマクスウェルに師事。ケンブリッジ大学を化学と物理学で主席で卒業すると、ノッティンガム大学の教授になったものの、1年も経たずに離職しました。

1882年にノッティンガム大学を去ると、フレミングはエジソン電灯会社で電気技師として勤務します。1885年にはキングス・カレッジ・ロンドンの教授に任命され、そこで数十年にわたって教鞭をとりました。イングランドでは初の電気工学教授職の誕生であり、大きな名誉ではあったものの、実際には機器は黒板とチョークしか提供されなかったと、のちに語っています。

現在でも有名な「フレミングの法則」が生まれたのもこの頃です。フレミングの法則は、右手の法則と左手の法則の2種類があります。フレミングの法則は電磁誘導の方向を人間の手の形で表したものであり、現在では多くの国で義務教育として教えられています。しかし、当時の学生にとって電磁誘導を理解するのは困難でした。そこでフレミングはこの法則を発表し、多くの学生が電磁誘導について理解できるようになりました。この功績が称えられ、フレミングは1892年に王立協会フェローに選出されました。

 

ジョン・フレミングの生涯

1897年、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンにペンダー研究所が創設されました。フレミングは、その所長に就任します。研究所の創設に際して、イースタン・テレグラフ・カンパニー(現在のケーブル・アンド・ワイヤレス)の創業者であるジョン・ペンダーが、5000ポンドを寄付したことを記念して創設されたものです。その2年後、マルコーニ社の科学アドバイザーとなり、間もなくマルコーニ社が大西洋横断無線電信を行うための発電所の設計を行いました。

その後、フレミングは熱電子放出(エジソン効果)について研究を行い、世界初の真空管を発明しました。今日の電気工学は、ここから始まったのです。それまで使用されていた鉱石検波器に取って代わり、フレミングの真空管はラジオ受信機やレーダー受信機に使用されることになります。その後約50年間使用され続け、半導体テクノロジーが登場するまでの電気工学を支え続けました。

真空管はフレミングの残した功績の中でもっとも大きなものでしたが、真空管のほかにも測光や無線電信、電気計測など様々な分野で活躍していきました。フレミングが行なった研究が科学分野に与えた影響は大きく、まさに現代科学の礎を築いた人物と言えるでしょう。

1927年、長い間勤めたユニバーシティ・カレッジ・ロンドンを退職。その後はアメリカテレビジョン学会の初代会長に就任し、新しい技術の発展に貢献し続けました。1928年にはファラデー・メダルを受賞し、1929年にはナイトに叙勲されました。1933年にはIRE栄誉賞を受賞し、その生涯に渡る科学分野への貢献が称えられました。1945年、フレミングは自宅で息を引き取りました。

 

今回は、真空管の発明者であるジョン・アンブローズ・フレミングの生涯を振り返ってきました。幼い頃から科学に興味を持ち続けたフレミングは、技術者として大きな成長を遂げ、様々な発明を世の中にもたらしました。真空管の発明のほか、「フレミングの法則」など、現代でも彼が残した科学の考え方は受け継がれています。ラジオやテレビ、コンピューターなど、今では当たり前のように使っている製品ですが、その起源を調べてみると、新しい発見に出会えるでしょう。

アーカイブ