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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくりヒストリー 集積回路(IC)の発明家 ロバート・ノイス(インテルの創業者)

2023.02.17

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。現在はIT社会と呼ばれるほど世界中でインターネットが普及し、コンピューターなしでは生活できない状態となっています。現在のコンピューターやそれらのデジタルデバイスを構築する上で、重要な技術として知られるのが集積回路です。集積回路とは半導体表面に微細で複雑な電子回路を形成しそれらを封入した電子部品です。現在のIT社会を実現する上で重要な集積回路を発明したことで有名な人物が、アメリカ人発明家のロバート・ノートン・ノイス(Robert Norton Noyce)です。ノイスは集積回路の発明のみならず、かつて存在したアメリカ系半導体メーカーの「フェアチャイルドセミコンダクター」、さらに世界最大のCPU・MPU・半導体メーカーの「インテルコーポレーション」の創業者でもあります。そこで今回は、集積回路の発明をはじめとする数多くの功績を残し“the Mayor of Silicon Valley(シリコンバレーの主)” と呼ばれた、アメリカ人発明家のロバート・ノートン・ノイスの生涯を振り返っていきましょう。

 

ロバート・ノイスの生涯(幼少期から学生時代まで)

ロバート・ノイスは1927年(昭和2年)12月12日、アメリカ合衆国アイオワ州のバーリントンという街で誕生しました。ノイスの父ラルフ・ブリュースターは会衆派教会(キリスト教プロテスタントの一教派)の牧師であり、母ハリエット・メイ・ノートンも会衆派教会の牧師の娘でした。

ノイスは幼いころに、父と卓球で遊んでおり、父に勝利したことを母に伝えたところ「それはパパが勝たせてくれたのよ」と言われ非常にがっかりしてしまいました。小さいころから人一倍負けず嫌いの性格だったノイスは母に「そんなのはゲームじゃない。やるなら勝つためにやらないと」と言ったそうです。負けず嫌いの性格が、後の成功につながったのかもしれません。

ノイスが12歳になったときには、さまざまなものを作るようになっていました。ラジオを自作したり、古い洗濯機のモーターを用いてソリの後ろに電動プロペラを付けたりしていました。既にこの頃から研究者としての頭角を現していました。

アイオワ州の高校に通っていたノイスは理数系科目が非常に得意であり優秀でした。卒業後には地元にあったグリネル大学に進学しました。大学では物理学専攻だったグランド・ゲイル教授の講義に参加しました。その講義で目にしたのが、ベル研究所(ベルシステムの研究開発部門として設立されたアメリカ合衆国の通信研究所)で発明されて間もないトランジスタでした。ノイスにとって、ここで目にしたトランジスタが衝撃的なものであり、さらに物理学への興味が膨らむきっかけとなりました。

学問への興味があった一方で、ノイスはいたずら好きという一面もありました。野外便所をひっくり返したり、許可なしで花火を打ち上げたり、なんと宴会のために仲間たちと豚を盗んだり学生時代にはいたずらを繰り返していました。

豚を盗んだことを後悔したノイスたちは農場へ謝罪しに行くと、盗まれたことに気づいていなかった農夫に激怒され、それが原因となり1948年(昭和23年)には停学処分そして、なんと町から追放されてしまいました。

追放されてしまいましたが、なんとか復学できその後は物理学と数学への学びを深め学士号を取得することができました。

卒業後ノイスはアメリカ空軍への入隊を希望していましたが、色覚異常が原因でパイロットになることができず、空軍から離れることを決意しました。その後は、大学時代の指導教官からの勧めもあり、マサチューセッツ工科大学へ進学し、物理学をさらに研究し1953年(昭和28年)には博士号を取得しました。

 

ロバート・ノイスの生涯(集積回路の発明とその他の活躍)

1953年(昭和28年)のマサチューセッツ工科大学の卒業後には、ペンシルベニア州フィラデルフィアにあったPhilco Corporationに就職し、研究開発部門で技術者として研究することとなりました。3年後、ウィリアム・ショックレー(アメリカ合衆国の物理学者、トランジスタを発明したことで有名)からのスカウトで、カリフォルニア州マウンテンビューにあったショックレー半導体研究所に勤めることとなりました。しかし、ショックレーと意見が衝突することが多く、1957年(昭和32年)にショックレーの下を離れることになりました。

同年、若手研究者を連れ「フェアチャイルドセミコンダクター」を設立しました。フェアチャイルドセミコンダクターでは集積回路の研究を行いました。ノイスらは研究を続け、1959年(昭和34年)7月、集積回路に関する特許を出願しました。実はこの数カ月前にジャック・キルビー(アメリカ合衆国の電子技術者)も同様に集積回路の特許出願をしていたそうです。しかし、ノイスの集積回路と同じといえる製品ではなかったこともあり、両者が集積回路の発明家として知られています。

20世紀中期、このような集積回路が発明されたことによってさまざまな製品が誕生するきっかけとなりました。また、コンピューターの性能も著しく向上し、さらにテクノロジーが発展するようになりました。

その後もフェアチャイルドセミコンダクターでは集積回路の研究を続けましたが、親会社との意見衝突により、ノイスはフェアチャイルドセミコンダクターを離れることとなりました。

フェアチャイルドセミコンダクターを飛び出した1968年(昭和43年)、ゴードン・ムーア(フェアチャイルドセミコンダクターで一緒に研究していた若手研究者)とアンドルー・グローヴ(ユダヤ系アメリカ人の実業家)とともにインテルを設立しました。ノイスは発想が豊かな夢想家、ムーアは技術面の大家、グローヴは技術分野出身の経営者であり、この3人が手を組んだことがインテルを成功へと導きました。インテルの経営体制は、その後シリコンバレーで成功を収めた各社でも参考にされていたなど、現在のIT社会を実現する上で非常に大きな教えとなっていました。

1979年(昭和54年)にはアメリカ国家科学賞およびファラデーメダル受賞、1987年(昭和62年)にはロナルド・レーガンからアメリカ国家技術賞を受賞しました。1990年(平成2年)には全米技術アカデミーでチャールズ・スターク・ドレイパー賞を受賞しました。

1990年(平成2年)6月3日、テキサス州の病院で心不全により62歳という若さでこの世を去りました。ノイスが生前に取得した特許は13にものぼり、私たちの生活を豊かにしてくれる発明を数多く残してくれた人物でした。

 

今回は現在のIT社会には欠かすことができない集積回路を発明したことで有名なアメリカ人発明家のロバート・ノイスの生涯を振り返ってきました。ノイスは、幼いころから才能を持ちながらも大学時代の停学処分や度重なる離職など波乱万丈の人生を送った人物でもありました。その後は、ノイスらが発明した集積回路によって科学技術は大きく発展し、私たちの生活が豊かになりました。さらに、ノイスらが創設したCPUや半導体を専門とする大手企業のインテルの経営体制が、シリコンバレーで後に成功を収めることとなる企業の見本となったことも輝かしい功績です。世界の最先端技術を多く持つシリコンバレー地域がここまで発展したのは紛れもなくノイスらがいたからでしょう。この先はIT社会としてさらに発展していくことでしょう。現在では想像もつかないような技術や製品が数多く誕生すると思われます。この先どのような発明が誕生し、私たちの生活がどのように変化していくのか非常に楽しみですね!

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