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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくりヒストリー 自動空気ブレーキ+交流送電システムの発明家 ジョージ・ウェスティングハウス(ウェスティングハウスの創業者))

2023.01.27

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。日本は世界でも鉄道大国と呼ばれるほど、鉄道路線が全国に張り巡らされています。車よりも速く走る在来線やさらに速い新幹線のブレーキとして広く採用されているのが自動空気ブレーキです。かつて空気ブレーキが発明される前の時代には、手動で物理的にブレーキをかける必要があり、人力でブレーキをかけることの限界が来ていました。それが原因となった事故も発生し、鉄道の普及の妨げともなってしまっていました。そんな中、圧縮空気を利用した自動空気ブレーキと呼ばれる鉄道ブレーキシステムを発明したのが、アメリカ人発明家のジョージ・ウェスティングハウス・ジュニア(George Westinghouse, Jr)です。この発明により簡単に鉄道のブレーキをかけることができるようになり、自動空気ブレーキ瞬く間に普及していきました。日本の新幹線をはじめとする世界中の高速鉄道のブレーキにも採用されるなど、私たちの生活をより豊かにしてくれた発明でした。そこで今回は自動空気ブレーキを発明したジョージ・ウェスティングハウス・ジュニアの生涯を振り返っていきましょう。

ジョージ・ウェスティングハウスの生涯(自動空気ブレーキの発明)

1846年(弘化3年)10月6日、ジョージ・ウェスティングハウスはアメリカ合衆国ニューヨーク州のセントラル・ブリッジで誕生しました。彼の家は機械工場を営んでいたため、幼いころから機械関連のビジネスに興味を示していました。若いころから機械に関する研究をしてなんと19歳のときに最初の発明をしました。

19歳のときにはロータリースチームエンジン(機体に固定されたクランクシャフトを中心としてエンジンがプロペラと一緒に回転する星形のエンジン。20世紀初期の飛行機に利用された。)を発明しました。そしてその2年後には、カーリプレイサー(脱線した鉄道車両をガイドして再び線路内に戻す道具)という製品、さらにリバーシブル・フロッグ(列車を2本の線路の内一方に案内する分岐器に利用される機器)という製品を発明しました。

ちょうどこの頃の鉄道で利用されていたブレーキシステムは今では考えられないほど原始的なものでした。一般的な鉄道の車両にはブレーキ自体が搭載されておらず、機関車と一部の客車と貨車のみに人力でブレーキをかけることができる状態でした。ブレーキが搭載された一部車両のことを緩急車と呼び、ブレーキをかける係の制動手が乗り込んでいました。そして鉄道がブレーキをかけるポイントに来ると、汽笛の音や屋根の上を走りながら合図するなどして複数の緩急車にいる制動手が一斉にブレーキをかけていたそうです。このようなブレーキシステムが原因となり、機関士が前にいる鉄道を認識していたとしても停車が間に合わず衝突するという事故も発生していました。

このような状況を改善すべく、ウェスティングハウスは機械工学の知識を使いブレーキシステムの研究を始めました。そして1869年(明治2年)、圧縮空気の原理を用いた鉄道ブレーキシステムの自動空気ブレーキを発明しました。自動空気ブレーキでは、機関車に設置された空気圧縮機と各車両に設置された空気溜め、特殊なバルブが使用されていました。これらの装置は空気管によって全車両分が繋がれており、空気溜めに空気を補給すると同時にブレーキを制御するというシステムでした。すべてが連動していたため、同時に全車両にブレーキをかけることができました。さらに、空気管が外れたり破損したりした場合に備えたフェイルセーフ機能が搭載され、異常事態には自動でブレーキがかかるようになっていました。

ウェスティングハウスの自動空気ブレーキはその性能が高く評価され、1872年(明治5年)3月5日に特許を取得しました。

自動空気ブレーキが発明されて当初はコンプレッサーのサイズや価格が原因となりすぐには普及しませんでした。特許を取得してからしばらくした1893年(明治26年)の3月2日にアメリカでは鉄道安全装置法が制定され、1900年(明治33年)に施行されました。この法律によってアメリカ国内で運行される鉄道のすべてに自動空気ブレーキと自動連結器の採用が義務付けられたことで、自動空気ブレーキが大きく普及していきました。自動空気ブレーキが採用されたことで、ブレーキが原因となって発生する事故は激減したそうです。

一方の日本では、1886年(明治19年)頃から、鉄道客車において真空ブレーキ(全車両に繋がるブレーキ配管内の空気をインゼクタや真空ポンプにより真空状態にし、大気圧との気圧差でピストンを駆動し制輪子を動かすブレーキ)が採用されるようになりました。その後は貨車において採用されるようにもなりましたが、真空ブレーキの性能の低さが問題となっていました。1919年(大正8年)にはウェスティングハウスの自動空気ブレーキが採用されるようになり、1925年(大正14年)までにはすべての車両において自動空気ブレーキが搭載されるようになりました。自動空気ブレーキ採用以降はアメリカ同様事故も減り、日本国内では一般的なブレーキシステムとなりました。

蒸気機関車においては、蒸気の力を利用して真空状態を容易に作ることができたため真空ブレーキが使用されることも多くありました。しかし、蒸気機関車の時代が終わるころには、真空ブレーキのメリットがなくなったため、完全に自動空気ブレーキの時代となりました。これにより世界中の鉄道で自動空気ブレーキが利用されるようになりました。

ジョージ・ウェスティングハウスの生涯(その他の活躍)

また、ウェスティングハウスは自動空気ブレーキ以外にも研究を続けさまざまな功績を残しました。ウェスティングハウスは変圧器に改良を加え、交流送電システムの実用化に貢献しました。ウェスティングハウスは他の研究者らと交流送電システムに関して研究を続け、直流送電システムを研究していたトーマス・エジソン(蓄音器、白熱電球など1300もの発明をしたアメリカの発明家であり発明王と呼ばれている)との対決(電流戦争として知られる)ともなりました。

1911年(明治44年)には、交流電流の研究が評価され、アメリカ電気学会AIEEより「交流システムの開発に関する賞賛に値する業績」に対してエジソンメダルが与えられました。

生涯研究を続け、晩年の20世紀初めの自動車が普及したころ、ウェスティングハウスは自動車のサスペンションに使用される圧縮空気ショックアブソーバーを発明しました。

1914年(大正3年)の3月12日、ジョージ・ウェスティングハウスは67歳のときにこの世を去りました。

今回は、現在の鉄道で一般的に利用されている自動空気ブレーキを発明したことで有名なアメリカ合衆国の発明家、ジョージ・ウェスティングハウスの生涯について解説してきましたが、いかがだったでしょうか。ウェスティングハウスの自動空気ブレーキが誕生する前は、ブレーキが原因となる事故が多く発生していました。蒸気機関車の終わりとともに自動空気ブレーキが普及し、事故は激減し鉄道がより身近なものとなりました。現在では世界中の鉄道や、日本の高い科学技術を代表する新幹線でも利用されるまでになっています。自動空気ブレーキ以外にも生涯研究を続け数々の発明をこの世に残し、私たちの生活を豊かにしてくれた人物でした。発明の誕生秘話を知ることで、周りの物事への見方が変わってくるのではないでしょうか。この先、どのような発明が誕生し、どのような世の中に変化していくのかとても楽しみですね。

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