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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくりヒストリー 真の電話の発明家? イライシャ・グレイ(アレクサンダー・グラハム・ベルに特許紛争で負けた、栄光なき天才発明家)

2023.01.06

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。現在はほとんどの人がスマートフォンを持ち歩いているため、どこにいてもだれとでも会話できることが当たり前になっています。かつて電話がなかったときには手紙でのやり取りが一般的でした。その後、電話が発明されたことで遠方とのやり取りが可能となり産業は大きく発展し、生活も豊かになっていき今に至っています。そんな電話を発明したことで有名なのがスコットランド出身のアレクサンダー・グラハム・ベルです。しかし、彼はある研究者のアイデアを盗んで電話の発明に成功したとも言われています(諸説あり)。そのある研究者というのがアメリカ・オハイオ州出身の発明家イライシャ・グレイ(Elisha Gray)でした。グレイは初期の電話機の試作品を開発したことで有名であり、電話の原点を作り上げた人物です。ベルが電話の特許を取得したため、グレイはベルに比べて有名ではないかもしれませんが、「真の電話の発明家はグレイだ」と言っている人も多くいます。そこで今回は電話機の試作品を作り上げたことで知られている研究者のイライシャ・グレイの生涯を振り返っていきましょう。

イライシャ・グレイの生涯(若くしてさまざまな発明に成功)
イライシャ・グレイは1835年(天保6年)8月2日、アメリカ合衆国オハイオ州のバーンズヴィルで誕生しました。グレイ一家はキリスト教プロテスタントの一派だったクエーカー教徒で、農場を営んでいました。
その後、グレイはオハイオ州のオーバリン大学に進学し、電気デバイスに関する研究をして学びを深めました。オーバリン大学を卒業はしませんでしたが、電気と科学を教えながら実験装置の製作もするなど徐々に頭角を現してきていました。また、在学中の1862年(文久2年)には大学で出会った女性と結婚しました。
1865年(慶応元年)、グレイは電信線の変化に関する絶縁に自動的に適合できる自動調節電信リレーの開発に成功しました。2年後の1867年(慶応3年)にはこの研究成果にて自身初の特許を取得しました。
1869年(明治2年)、グレイはEnos M. Bartonとともにオハイオ州のグリーブランドにGray & Barton Co.を設立しました。そこで彼らはウエスタンユニオン(金融および通信事業に関するアメリカ合衆国の巨大企業。世界約200か国に展開している。)に電信機器を供給する事業を展開していました。翌年の1970年(明治3年)にはウエスタンユニオン電信会社のトップだったAnson Stager将軍によってGray & Barton Co.の資金が手配されるようになりました。グレイは会社の管理職でしたが、電信業界へ大きな利益をもたらす可能性がある発明に集中するということで、管理職を辞めることになりました。
同年、グレイはエレベーター用の針アナンシエーター、さらにタイプライターのキーボードを持ち紙テープにメッセージを印刷することができるマイクプリンターの開発に成功しました。
1872年(明治5年)、ウエスタンユニオンはVanderbiltsとジョン・モルガンから資金援助を受け、Gray & Barton Co.は3分の1がウエスタンユニオンに買収されました。そして、これを機にウエスタン・エレクトリック・マニュファクチャリング・カンパニー・オブ・シカゴに社名を変更し、グレイはそこで研究活動を継続することとなりました。
1874年(明治7年)、グレイは独立して研究をすることを決めました。そしてこのとき開発していた、各トーンを分かれた電信キーで制御するマルチトーン送信機で構成されている高調波電信の特許を申請していました。また、ニューヨークとワシントンでデモンストレーションを行い成功するなど順調に研究活動で成果を残していっていました。
同年の12月29日、教会にてミュージカルトーンを送信するための発明に関する実演を行いました。ここでは電信線を介してなじみのあるメロディが送信されたそうです。実はこの発明品は、2オクターブのピアノキーボードで演奏される単音発振器の振動電磁回路を使用した初期の楽器だったと言われています。その後改良されたモデルではスピーカー機能を搭載することで、受信側で発振器の音がさらに大きく聞こえるようになりました。

イライシャ・グレイの生涯(液体送信機の発明と特許紛争)
これまでグレイの発明と特許に関する費用を準備してくれていた人物が、フィラデルフィアで歯科医をしていたDr. Samuel S. Whiteでした。この頃、Samuel Whiteはグレイが電話機の研究をすることに対して反対していました。そのためグレイは後に電話となる音声送信技術に関することは誰にも話さずに過ごしていたそうです。
そして1876年(明治9年)2月11日、ついにグレイは米国特許庁に提出するために特許弁護士に対してcaveat(図面と説明がついた仮特許出願のようなもの)の準備を依頼しました。2月14日の朝、グレイは書類にサインして、液体送信機を利用した電話に関する説明があるcaveatが認証されました。すぐに特許弁護士によって米国特許庁に提出されました。ところが、同じ日の朝、スコットランド出身の発明家アレクサンダー・グラハム・ベルの特許弁護士が特許を提出していました。それを知ったグレイは、自身の特許がベルよりも早く到着していると信じるしかありませんでした。また、実際どちらの特許申請が先に到着したかについては現在も議論が続いておりはっきりとしたことはわかっていません。当時、ベルの特許弁護士はアメリカのワシントンDCにいました。このときのイギリスは、イギリス以外の地域で既に申請された発見に関しては受け付けていませんでした。それにより「イギリスで先に特許が提出されるまでアメリカでは提出しないように」という旨の指示を受けていたそうです。ベルの特許弁護士はイギリスで申請されるまでの数カ月もの期間待っていました。
内容には諸説ありますが、2月12~14日の特許庁に対してcaveatもしくは出願が提出される前に、ベルの特許弁護士は金銭の授受と併せてグレイのアイデアについて知ってしまったそうです(1886年に特許審査官によって証言された)。このアイデアが、グレイが提出する予定だった液体送信機のアイデアでした。ベルの弁護士はグレイの草案に対して液体送信機と可変抵抗クレームに関する記述を追加しました。ベルの弁護士は急いで作成した出願を14日の正午前に特許庁に手渡ししました。これはグレイのcaveatが提出された数時間後でしたが、ベルの弁護士が申請書を即座に記録して手続きを進め、ベルの申請が先に到着したと主張できるように要求したそうです。ベル本人はその時ボストンにいたためこの事実を知りませんでした。
グレイ側とベル側から重複する内容の特許がほぼ同時に申請されたことから、両者の特許審査官だったZenas Fisk Wilberはベルに対して、液体送信機(ベルの出願では水銀が使用されていた)のアイデアがベルによって発明されたことの証明を要求しました。ベルは1年前の出願内容(実際には電話送信機において水銀は機能していなかった)を主張し、その主張が受け入れられました。そして3月3日、Wilberはベル側の申請を認め、7日に特許が公開されました。
ベルが特許を取得してから、彼の液体送信機はグレイの製品に似ていたため、電話のアイデアはグレイから盗んだものだと訴えられました。しかし、ベルが3年間も液体送信機の研究をしていたと示され、訴えは取り下げられました。
翌年の1877年(明治10年)後半にグレイは再度特許を出願しました。特許庁は『1876年2月14日のグレイのcaveatにあるように、彼は間違いなく[可変抵抗]の発明を最初に思い付き開示をしたが、他の人が本発明の有用性を実証するまで完成に相当する行動をとらなかったことが、彼にその考慮をさせる権利を奪った』と結論付けました。2年間の訴訟の結果、ベルが電話機の発明者として正式に認められました。
特許紛争があった後もグレイは研究を続け、1887年(明治20年)には電信システムにより手書き文字を送信できるテルオートグラフと呼ばれるデバイスを発明し、複数の特許を取得しました。その後も研究を継続し複数の輝かしい賞も受賞しました。
1901年(明治34年)の1月21日、マサチューセッツ州のニュートンヴィルで心臓発作を起こしこの世を去りました。

今回は電話機の試作品を発明したことで有名なアメリカの発明家イライシャ・グレイの生涯を振り返ってきました。グレイは液体送信機という電話機の原型となる製品のアイデアを考えましたが、弁護士らの行動によって特許紛争へと発展してしまいました。結局ベルが電話機に関する特許を取得し、今ではベルが電話機の発明家として広く知られています。一方で真の電話の発明者はグレイだと主張する声も一定数挙がっており現在も議論がなされています。天才的な発明家で特許紛争に巻き込まれた方は多くいましたが、ニアミスレベルでの出来事が発端となっていた研究者はこれまでいたでしょうか。一般的にはあまり知られていないことかもしれませんが、私たちの生活を豊かにしてくれたことに変わりはありません。このように発明の誕生には激動秘話があったと知るだけでも周囲の物事への見方が変わるのではないでしょうか。今後どのような発明が誕生し、どのような変化が訪れるのか楽しみですね。

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