【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 長距離射程の大砲の発明者 ジェラルド・ブル(イラクで口径1mの大砲の開発「バビロン計画」に関わり暗殺された闇の発明家)
2025.06.30
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。クウェート侵攻を発端に勃発した湾岸戦争で、アメリカをはじめとする多国籍軍とイラクが衝突しました。イラクは戦局を有利に進めるため、強力な兵器の開発に取り組んでいました。その中のひとつ、「バビロン計画」では口径1mの大砲の開発が目指されていました。最終的にバビロン計画は頓挫し、湾岸戦争は多国籍軍の勝利で終結しました。バビロン計画を主導し、イラクに武力を提供していたのがカナダの科学者ジェラルド・ブルです。今回はそんなジェラルド・ブルの生涯を振り返っていきましょう。
ジェラルド・ブルの前半生(スペースリサーチコーポレーション(SRC)を設立して長距離射程の大砲ビジネスで成功する)
ジェラルド・ブルは1928年、カナダのオンタリオ州ノースベイで生まれました。若くして幅広い科学分野に才能を発揮し、薬学を学んだのちに工学へと転向しました。1951年にはトロント大学で史上最年少の博士号取得という記録を樹立し、世界を驚かせました。
ブルはその後弾道学の権威となり、大砲の開発計画に数多く関わりました。
1961年、アメリカ国防省とカナダ国防省は共同で人工衛星を打ち上げるための計画「High Altitude Research Project(HARP)」を立ち上げ、カナダ兵器研究開発所(CARDE後のDRDC)の責任者を務めていたジェラルド・ブルもこの計画に参加しました。戦艦用の16インチ砲の内部のライフリングを削り42.4cm滑腔砲としたものを結合させた砲が3門建造され、ケベック、バルバドスで発射実験が行われました。その後宇宙空間まで砲弾を打ち上げることに成功しますが、この計画は1968年に中止されました。
HARPが中止される前年の1967年、ジェラルド・ブルは、スペースリサーチコーポレーション(SRC)をカナダのケベックに設立し、火砲の設計を請け負いました。SRCの最初の成功は1973年にイスラエルとアメリカを相手にした武器の販売であり、バリー・ゴールドウォーターらの後押しでアメリカ議会からは市民権が与えられました。
SRCが開発した長距離射程の大砲は、改良型の新型砲弾としてオーストリア、南アフリカ共和国、スペインなど世界各国に輸出されました。後に南アフリカがこれを自走砲化させたものを開発してアラブ首長国連邦などに輸出しますが、SRCと共同で開発したアームスコー社の南アフリカは当時アパルトヘイトに対する制裁を受けており、この行為は違法とされ、ジェラルド・ブルは禁固刑に処せられることになるのです。
ジェラルド・ブルの後半生(中国北方工業公司(ノリンコ)と共同で武器開発をして成功し、イラクで口径1mの大砲の開発「バビロン計画」に関わり暗殺される)
釈放後、ジェラルド・ブルはカナダを離れ、SRCはベルギーのブリュッセルに活動の拠点を移しました。出所したジェラルド・ブルのもとには中国の鄧小平が度々訪れ、カナダと中国は水面下でパイプを構築していきました。1986年、ジェラルド・ブルは中国北方工業公司(ノリンコ)と共同でWAC-021 155mm榴弾砲を開発しました。この行為はアメリカの輸出規制に抵触していましたが、アメリカ国防総省は対中貿易管理を見直すため、ブルに協力したとされています。
ジェラルド・ブルの中国での活躍は、イラクの要人にも伝わっていきました。当時のイラクのサッダーム・フセイン大統領の従兄弟であるフセイン・カーミル・ハサンはブルと接触し、1988年にジェラルド・ブルはイラクへの技術提供、アル・マジヌーン 155mm自走榴弾砲とアル・ファオ 210mm自走榴弾砲などの開発、さらに口径1mの大砲の開発契約を交わしました。後者の開発は「バビロン計画」と呼ばれ、全長45m、口径350mmの砲が実験用に建造されました。
しかし、ジェラルド・ブルの生涯は長くなく、暗殺によって命を落とします。1990年、ベルギーブリュッセルの自宅扉前で背後から5発の銃弾を受け殺害されているのが発見されたのです。犯人は特定されておらず、欧米ではMI6やモサド、イランの諜報機関による犯行の可能性があると報道されています。
湾岸戦争終了後の1991年、イラクの武装解除にあたっていた国連の査察官はジェラルド・ブルが発明した巨大な大砲を発見し、バビロン計画が明るみに出ました。計画では全長150m、口径1mの砲が2門建設されるはずでしたが、ヨーロッパから輸出された部品の差し押さえとジェラルド・ブルの暗殺により完成できず、この査察ですべて破棄されました。
今回は湾岸戦争中にイラクにとって重大な軍事計画である「バビロン計画」の当事者として兵器開発に携わったジェラルド・ブルの生涯を振り返りました。彼は工学に詳しく、類まれな才能を発揮していました。暗殺によってその生涯を終えましたが、もし彼が戦争の終結まで無事でいたら、世界情勢はまた変わったものになったのかもしれません。優秀な頭脳は、ぜひ平和のために使ってもらいたいものですね。