【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 温度計を発明した ガブリエル・ファーレンハイト(真水の凝固点を32華氏温度、沸点を212華氏温度とし、その間を180等分して1華氏度としたややこしい単位を作ってしまった迷惑な?発明家)
2025.04.17

AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。温度には、さまざまな種類の単位が存在します。そのうちのひとつ、「華氏度」は真水の凝固点を32華氏温度、沸点を212華氏温度とし、その間を180等分して1華氏度としたものです。1960年代までのアメリカでは気候・産業・医療における温度の基準として、日本でも平賀源内が1765年に作った温度計「日本創製寒熱昇降器」に華氏が採用されていました。華氏を考案したのは、主にオランダで活動したドイツ人の技術者ガブリエル・ファーレンハイトです。彼は華氏に名前を残したほか、温度に関するさまざまな発見をしたことでも知られています。今回はそんなガブリエル・ファーレンハイトの生涯を振り返っていきましょう。
ガブリエル・ファーレンハイトの前半生(ガラス吹きをしながら諸国を旅して科学を学ぶ)
ガブリエル・ファーレンハイトは1686年、ポーランド・リトアニア共和国の王冠領プロイセンのグダニスクで生まれました。商人だった両親が1701年に毒キノコを食べてしまったことで死に、ファーレンハイトはオランダのアムステルダムへと移住しました。
天涯孤独の身となったファーレンハイトはアムステルダムで商業を学び始めます。彼が商売を学ぼうと思ったのは、実家が商家であったことに加えて、生きる術を身につけるためでもありました。勉学に励むうちに、ファーレンハイトの興味は物理学へと移っていきました。彼は科学装置を製造する職に就き、ガラスの加工技術を身につけるとともに、ガラス吹きとしても活動しました。ガラス工芸には物理学の知識が必要だったため、ファーレンハイトは気象学の知識も身につけることになります。
1707年、ファーレンハイトは近隣諸国をめぐる旅に出ました。旅の中で、ドイツの数学者・哲学者であるゴットフリート・ライプニッツと文通をしていました。あちこちを訪れながらガラスを吹き、多くの科学者たちとの出会いがファーレンハイトにいくつもの気づきを与えました。彼の旅は10年間続きました。
ガブリエル・ファーレンハイトの後半生(華氏度を目盛りにした水銀温度計を発明する)
ファーレンハイトが旅をしている間、物理学者たちは温度を定量的に表す方法を模索していました。彼も科学者たちから話を聞く中で、標準温度計の必要性を知ったのです。ガリレオ・ガリレイの時代から温度計の発明は行われてきましたが、より正確に温度を測るための指標が求められていました。1702年、オランダの天文学者オーレ・レーマーが塩と氷の混合状態を0°、水の沸点を60°とするスケールを持つ標準温度計を作りました。ファーレンハイトはこの温度計の目盛りを4倍の細かさにしたものを作り、詳細に温度を測ろうとしました。その後、体温を96度とする指標を作り、1714年に水銀体温計の実験を始めます。
1724年、ファーレンハイトは水が氷になる温度(凝固点)を32カ氏温度、沸騰する温度(沸点)を212カ氏温度とする考え方を提唱しました。この温度は中国語でファーレンハイトを示す「華氏」という表記から「華氏度」「カ氏度」などと呼ばれるようになります。華氏度を目盛りにした水銀温度計も作り、彼がどのようにして温度を数値にしたのかは諸説あり、地域によって伝わっている説が異なります。
日本でよく知られているのは、ファーレンハイトが自身の体温を100度、観測できたもっとも気温が低かった日の外気温を0度するものと、「0度」を同量の氷・塩の混合物(寒剤)によって得られる温度とし、血液の温度を96度とするものです。このほか、アメリカやヨーロッパではレーマー温度のスケールを大きくしたという説と、氷枕・人間の体温・羊の直腸温度をそれぞれ基準にしたという説がよく伝わっています。
ファーレンハイトの計測は完全に正確ではなく、水の凝固点や沸点が32度・212度を示していないこともありました。ファーレンハイトの死後、その値が32度・212度となるように調整され、その結果人の体温は96度ではなく98.6度となりました。
ファーレンハイトは水銀温度計の発明に関する論文を発表し、科学者たちの大きな関心を引きました。王立協会フェローにも選出され、偉大な発明をした人物の仲間入りを果たしました。1721年には過冷却された水の震蕩による凝固を発見し、1732年にはオランダの植物学者であるヘルマン・ブールハーフェとともに、混合物の温度に関する実験を行いました。この実験で異なる物質を混合したとき、その時の温度が初めの温度の平均値にならないことを発見しました。これは後にスコットランドの物理学者、化学者であるジョゼフ・ブラックにより比熱で証明されました。
1736年、ファーレンハイトはオランダのハーグで亡くなりました。
今回は、温度の一種である華氏を提唱したガブリエル・ファーレンハイトの生涯を振り返りました。華氏は基準が曖昧であり、現代においても学者の頭を悩ませるテーマのひとつではあるものの、温度を正確に把握するための挑戦の歴史の一部を作った要素でもあります。現在は摂氏を使用することが多いですが、国や地域によっては華氏も使用されています。温度のように定量的に表すのが難しい領域も、先人たちの努力があって現在の形をとっていることは忘れないようにしたいですね。


