【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー CDを発明した ルー・オッテンス(フィリップス一筋の生涯を過ごし、CDの開発に大きく貢献した真面目な発明家)
2025.04.11
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。音楽の記録媒体であるCDは、ソニーとフィリップスの共同開発によって1980年代初期に市場に登場しました。これを皮切りにDVDやBlu-rayなど、デジタルオーディオや映像記録媒体の新製品が次々に生まれました。デジタルオーディオ全盛期を迎えられたのは、フィリップスに所属していた数人のエンジニアの努力あってのことです。オランダの技術者、ルー・オッテンスもそのひとりです。彼はフィリップス一筋の生涯を過ごし、CDの開発に大きく貢献しました。今回はそんなルー・オッテンスの生涯を振り返っていきましょう。
ルー・オッテンスの前半生(フィリップスに就職して音響機器のエンジニアとして活躍する)
ルー・オッテンスは1926年、オランダのベリングウォルデで生まれました。幼少期はラジコンやロボットなどの機械いじりに時間を費やし、第二次世界大戦中はBBCのラジオ放送を聞くために、ナチスの妨害電波をすり抜ける指向性アンテナつきのラジオを組み立てていました。終戦後、オッテンスはデルフト工科大学に入学して、本格的に機械工学を学び始めます。在学中はX線技術関係の工場で製図工としてアルバイトをし、学費と生活費を稼ぎながら学生生活を送っていきました。1952年に卒業すると、その後は機械づくりの超大手であるフィリップスに就職しました。
フィリップスでは、アイントホーフェンにある主要グループの機械化部門に配属されました。新人時代から5年間をこのグループで過ごし、プロのエンジニアとして技術を磨いていきました。1957年、フィリップスはベルギーのハッセルトに工場を新設。これに伴い、オッテンスもハッセルトに転属となりました。この工場では、レコードプレーヤーやスピーカーなどの音響機器を製造していました。
1960年、オッテンスはハッセルトの新製品開発部長に就任しました。部長となってからの初仕事は、フィリップスにとっても初の試みであるポータブルテープレコーダーEL3585の開発指揮でした。リリース後、EL3585は好評を博し、100万セット以上を売る大ヒット商品となりました。
ルー・オッテンスの後半生(コンパクトカセットに続いてCDを発明する)
EL3585の開発・販売が成功を収め、フィリップス・ハッセルトは次にポータブルカセットレコーダーの開発に着手しました。持ち運びができる小型の音楽レコーダーで、音質のよさと長時間の電池持ちを両立させることを目標にしていました。当初、RCAとの共同開発を行うという計画でしたが、オッテンスはRCAの製品とフィリップスの製品ではサイズとテープの送り速度が適合しないと考えていました。最終的に、フィリップスはRCAと共同開発はせず、あくまで既存のカセットを参考にする形でフィリップスとしての新しいカセットを開発することになるのです。完成したポータブルカセットプレーヤーが日の目を見たのは1963年のこと。ベルリンで行われた国際コンシューマ・エレクトロニクス展で初公開となりました。発表当初はあまり注目されず、この時点では音楽好きの顧客を取り込むことはできませんでした。
その後、日本の松下電器(現在のパナソニック)やアイワ(現在のソニー)などが音楽機器の製造で力をつけ、数多くの商品を生み出していきます。デジタルオーディオの競合は厳しいものでしたが、フィリップスはコンパクトカセットの特許を無償で公開していました。その影響もあり、現在までに音楽業界を盛り上げる素晴らしい発明品がいくつも生まれたのです。
1969年から1972年まで、オッテンスはハッセルトの所長に就任。コンパクトカセットはフィリップスの看板商品となり、ハッセルトはカセットシステムの生産に注力し始めます。コンパクトカセットの需要拡大に伴い、フィリップス・ハッセルトもその規模を拡大していきました。この爆発的な成長によって、フィリップスの従業員数は5000人を超えました。
1972年から、オッテンスはオーディオ部門の技術監督として開発の指揮を採りました。彼は在任中、研究中のレーザー技術が音響分野にも活用できることに気が付き、新製品の開発に挑戦しました。この研究はやがて「ビデオ・ロング・プレイ」と「オーディオ・ロング・プレイ」の2プロジェクトに分離されます。オーディオ・ロング・プレイでの研究では音楽の再生時間を48時間にしなくてはならず、ビデオ・ロング・プレイのやり方を大きく変える必要がありました。オッテンスは小型ディスクにすることによって、この再生時間を実現したのです。完成した製品は17.8センチのディスクで、テストは成功。最終的に11.5センチの小型ディスクとなり、既存のカーオーディオ・システムに収まるサイズとなりました。その後の研究で、ディスクはより小さくなり、音質を上げるための改良が続けられました。しかしオッテンスの研究チームはアナログ技術には限界があり、レコードの品質に遠く及ばないという現実を突きつけられます。理想のディスクを完成させるため、彼らはデジタル技術の開発にも乗り出しました。1979年、ついに小型ディスクの完全モデルが仕上がりました。このディスクを販売するにあたり、フィリップスはソニーと契約して共同開発することを決めました。
フィリップスとソニーの契約締結は、業界に激震を与えました。デジタルオーディオの開発競争は激化し、目まぐるしく新しい製品が次々と生み出されました。CDの後はDVDやBlu-rayといった規格で標準化を目指す動きがおこり、デジタルオーディオの一時代が訪れました。
長い間フィリップスのオーディオ開発に貢献したオッテンスは、退職後も技術の世界に身を置き続けました。1988年にはオランダ計画運営協会の会長に就任。2016年には、ドキュメンタリー映画「Cassette: A Documentary Mixtape」の中で取材対象の1人として取り上げられました。2021年、オッテンスはダイゼルの町でこの世を去りました。
今回は、デジタルオーディオの開発で一世を風靡したフィリップスで製品の開発指揮を取り、営業活動に大きく貢献したルー・オッテンスの生涯を振り返りました。技術者としても優秀で、リーダーとしての素質も持ち合わせたオッテンスの存在があればこそ、CDやDVDといった画期的な製品が生み出されたのでしょう。音楽業界の躍進のきっかけとなった彼の功績は非常に大きなものです。これからもどんな新しい製品が生まれるのか、楽しみにしたいですね。