【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー リトグラフを発明した アロイス・ゼネフェルダー(偶然生み出したリトグラフを実用化して、印刷技術に革命を起こした俳優・劇作家)
2025.03.10
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。版画で使われるリトグラフの手法は、水と油の反発作用を活用したものです。「描画」「製版」「刷り」の3工程に分かれ、豊かな質感を醸成できることで多くの芸術家に好まれています。リトグラフが最初に使われたのは、19世紀ごろのヨーロッパです。偶然からこの手法が発見され、以降はヨーロッパ全土に広がり、やがて日本へと伝わりました。リトグラフを発見したのが、ドイツの俳優・劇作家だったアロイス・ゼネフェルダーです。リトグラフの発見によって、印刷技術の進化に貢献しました。今回はそんなアロイス・ゼネフェルダーの生涯を振り返っていきましょう。
アロイス・ゼネフェルダーの前半生(俳優・劇作家として成功し、偶然リトグラフを発明する)
アロイス・ゼネフェルダーは1771年、プラハで生まれました。父は舞台役者で、彼の出演中にゼネフェルダーはこの世に生を受けました。ミュンヘンで育ち、インゴルシュタットで法学を学ぶために奨学金をもらい、勉学に励みました。1779年、父親が死没。彼の他に8人の兄弟姉妹がおり、家族を養うために学業を諦め、俳優としての道を歩み始めました。演者としてだけでなく脚本家としても活動し、戯曲『娘達の鑑定家』はゼネフェルダーの代表作となりました。
俳優としても脚本家としても成功し、彼の人生は安泰と思われましたが、あるとき災難が降りかかります。戯曲『マティルデ・フォン・アルテンシュタイン』を作ったとき、印刷に関する問題によってゼネフェルダーは多額の借金を背負うことになってしまいます。返済に追われ、経済的な余裕がなくなったゼネフェルダーは、新しい戯曲を発表するために自らの手で原画を印刷しようと試みます。インクの製造台として、ドイツのゾルンホーフェンで産出される石灰岩の板を買いました。この板に油性クレヨンでメモを書き、しばらくした後にメモを硝酸で洗い流したところ、クレヨンの跡が残っていることに気がつきました。跡の部分は油の乗りがいいことを見つけ出し、紙を押し付けるとインクの形を写しとることができたのです。これが、現在も版画で使われる「リトグラフ」が発見された瞬間です。
アロイス・ゼネフェルダーの後半生(リトグラフの実用化のための研究開発に打ち込み特許を得る)
それまでの印刷用原版は、彫りを入れたり凹凸を作ったりして、紙に転写したときに模様を出すための工夫が必要でした。しかしリトグラフの手法を使えば、平面のままで印刷用の原板を使うことができます。この手法を確実なものにするために、ゼネフェルダーは実験を進めました。まず石灰岩でできた石板の上に油性クレヨンで字を書き、アラビアゴムと硝酸で作った弱酸性溶液を塗ると、石灰岩に化学変化が起こります。石板の上に水を乗せ、ローラーで油性インクを押し付けると、クレヨンで書いた部分にのみインクが残ります。この上に紙を押し付けることで、紙にインクを転写できるのです。
リトグラフの原理を実用化するため、ゼネフェルダーは音楽出版社を営むアンドレ家と協力することにしました。研究を重ね、石灰岩やクレヨンを化学変化させる方法と、インクを石板から紙に転写するプレス機の仕組みを確立し、1798年に技術として完成させました。当初、ゼネフェルダー自身はこの技術を「ストーン・プリンティング」「ケミカル・プリンティング」と呼びましたが、フランス語の「リトグラフィー」という呼び方が一般的なものとなりました。
ゼネフェルダーはリトグラフに関する特許を、ヨーロッパの各地で取得しました。1818年には、原理を発見したときのことを振り返った自伝を出版し、翌年英語版とフランス版が出版されました。発見のいきさつに加えて、石版印刷を行うための実践的な解説が添えられており、技術書としても高い人気を集めました。
リトグラフは、やがて芸術分野にも広がっていきました。それまでの版画にはエングレービングやエッチングといった技術が必要であり、それぞれに修練が必要でした。リトグラフが生まれたことにより、画家は彫刻刀を持たずとも石版の上に絵を書くことができるようになったのです。1803年にはアンドレ社が『ポリオートグラフィの見本集』と題した画集を出版し、1810年代から美術の技法として急速に広がりました。ゼネフェルダーはバイエルン王国の国王マクシミリアン・ヨーゼフから勲章を贈られ、リトグラフ用の石材が産出されるゾルンホーフェンの町には彼の銅像が建てられました。
1834年、ゼネフェルダーはミュンヘンの地でその生涯を終えました。彼の死から3年、リトグラフはさらなる改良が施されました。複数の版を使うことで、フルカラーでの印刷が可能になったのです。カラー印刷の印刷技法を特にクロモリトグラフィーといい、最初の多色印刷技術として注目を浴びました。
今回は、リトグラフを発見したアロイス・ゼネフェルダーの生涯を振り返りました。リトグラフの発見は、平版印刷の時代を開きました。また、印刷の世界のみならず、芸術分野にも新たな風を吹き込みました。発見自体は偶然によるものですが、それを実用化したことが何よりの功績です。