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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー ストロボスコープを発明した ジーモン・フォン・シュタンプフェル(一瞬の光を繰り返し発生させたり、高速回転する物体の動きを撮影したりする「ストロボスコープ」を発明した真面目な学者)

IP HACK

2025.03.07

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。高速で回転する車輪やプロペラが逆回転して見える現象を、「ストロボ効果」といいます。この現象の名前のもとになったのは、一瞬の光を繰り返し発生させたり、高速回転する物体の動きを撮影したりする「ストロボスコープ」という装置です。ストロボスコープは、エンジンやモーター、ファンなど高速で動くものの回転数の計測をはじめ、舞台演出としての特殊照明や、金属の傷検査などに用いられます。ストロボスコープを発明したのは、オーストリアの発明家ジーモン・フォン・シュタンプフェルです。この発明によって、人間の目では捉えることのできない光や物体の動きが見えるようになり、さまざまな産業に進化をもたらしました。今回はそんなジーモン・フォン・シュタンプフェルの生涯を振り返っていきましょう。

ジーモン・フォン・シュタンプフェルの前半生(教師をしながら研究開発をする)

ジーモン・リッター・フォン・シュタンプフェルは1792年、チロル州東チロルのマトライと呼ばれるザルツブルク大司教領ヴィンディッシュ=マットライで生まれました(誕生年については諸説あり)。チロル州はオーストリア共和国を構成する9つの連邦州のひとつです。かつて存在したチロル場の城主だったチロル伯が力をつけた結果、彼の名前をとって領地全体がチロルと呼ばれるようになったのです。

マトライに生まれたシュタンプフェルは、1801年から学校に通い始めます。1804年、リエンツのフランシスコ中高等学校に転校し、1807年まで通いました。途中、哲学を学ぶためにザルツブルクのライセウムに赴いたが、受け入れられませんでした。

その後、シュタンプフェルはミュンヘンでの国家試験に合格し、教師として働くことになります。しかしミュンヘンには行かず、数学や博物学、物理学、ギリシャ語の補助教員として勤めていたザルツブルクに残ることを決めました。その後はライセウムに移り、初等数学や物理学、応用数学を教えました。1819年には教授に任命され、余暇を使って測地学の測定、天文観測、様々な高度での音速測定実験、気圧計を用いた実験などを行いました。

ジーモン・フォン・シュタンプフェルの後半生(ウィーン工科大学で学者として活躍してストロボスコープを発明する)

ザルツブルグで純粋数学の正教授に昇進したシュタンプフェルは、ウィーン工科大学でも実用幾何学の学部長に昇進していました。主に実用幾何学を教えていましたが、他にもさまざまな分野で実績をあげていたシュタンプフェルは、物理学者や天文学者としても雇われていました。

天文学の仕事では天体の観察を行うため、望遠鏡が必須です。しかし当時の望遠鏡はレンズの精度が低く、シュタンプフェルは実際の状態とレンズ越しに見える歪曲した状態の差異がどのくらい大きくなるのかについて懸念していました。レンズについて研究していく中で、人間の視覚で発生する「錯視」という現象がシュタンプフェルに興味を抱かせました。錯視の分野で研究を始めたシュタンプフェルは、1828年に望遠鏡の試験方法、レンズの接触円を決定するための測定方法やガラスの屈折・分散特性の測定法を開発しました。そしてより品質の高い光学製品を作るため、論理的に光の見え方を研究するために色収差のないフラウンホーファー・レンズに注目しました。このことがきっかけで、シュタンプフェルは生涯最大の発明をすることになります。

1832年、シュタンプフェルはとあるイギリスの学術誌の中で、歯車の動きと人間の錯視についての実験を知りました。これはイギリスの物理学者マイケル・ファラデーによるもので、高速回転する歯車の動きを人間の目では追従できなくなるというものでした。

この実験から着想を得て、錯視によって画像を浮かび上がらせる「ストロボスコープ」というディスク製品を発明しました。円周に沿ってスリットが入ったディスクと、回転することで動きが生まれる画像が描かれたディスクを同じ軸の上で回転させると、連続して動く画像が再現できるという原理です。パラパラ漫画やアニメーションのような手法で、この面白さが人々に受けてよく知られるようになりました。

ストロボスコープは錯視を利用したおもちゃのような道具でしたが、その性質から多くの用途で使用されるようになりました。劇場や舞台の演出装置として使われたり、エンジンやモーターの回転数の調査など、その活用方法は幅を広げていきました。現在でもストロボスコープは、工業の進化に役立てられています。

シュタンプフェルの発明を受けて、ベルギーの科学者ジョゼフ・プラトーも非常によく似た装置を開発しました。1833年、ベルギーの科学雑誌にのちに「ファンタスコープ」「フェナキストスコープ」と呼ばれるものを発表しました。発明時期について、シュタンプフェルとプラトーのどちらが先だったのかについて、正確にはわかりません。

今回はストロボスコープの発明で知られるシュタンプフェルの生涯を振り返りました。ストロボスコープの発明によって、人力では限界があった、高速回転するモーターの回転数の計測ができるようになりました。工業の加速に一役買った功績は、偉大だと言って差し支えないでしょう。興味のある分野から、新しい発見をしていく姿勢は素晴らしいものですね。

 

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