【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー ガイガー・ヌッタルの法則を発見した ジョージ・ガモフ(アメリカに移住してアルファ・ベータ・ガンマ理論と火の玉宇宙論を発表し、生物学の研究でも活躍した天才物理学者)
2024.09.02
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。放射性原子核は、アルファ崩壊によって放射線を放出することで知られています。原子力の強大さが発見された当時は、その仕組みについて解明できていませんでした。しかし1928年、放射性原子核のアルファ崩壊に量子論を応用することで、アルファ粒子のエネルギーと崩壊定数の経験的関係を示す方式であるガイガー・ヌッタルの法則が導かれました。この法則を見つけ出したのは、アメリカの理論物理学者ジョージ・ガモフです。彼は物理学だけでなく生物学にも精通し、1954年に彼が主導となって結成し「RNAクラブ」は、研究者同士が交流する社交場となりました。今回はそんなジョージ・ガモフの生涯を振り返っていきましょう。
ジョージ・ガモフの前半生(ロシアで研究者になり、ガイガー・ヌッタルの法則を発見する)
ジョージ・ガモフは、1904年ロシア帝国領(現在のウクライナ)オデッサで生まれました。1923年、ガモフはレニングラード大学に入学して勉学に励みます。その後、ゲッチンゲン大学に行き原子についての研究を行いました。
ガモフは1928年、その生涯でもっとも大きな功績となる発見をします。放射性原子核のアルファ崩壊に量子論を応用し、アルファ粒子が原子核の周りにあるポテンシャル壁をトンネル効果によって通過できるという理論を導き出しました。この理論はガイガー・ヌッタルの法則として知られ、物理学における大きな発見となりました。
1929年、レニングラード大学で博士号を取得後、ゲッティンゲン、ケンブリッジ、コペンハーゲンを経て、1931年にレニングラードに戻りました。1931年には原子核物理学の教科書をオックスフォード大学から出版すると、1933年にロシアを離れて妻とアメリカへと移住。1934年にジョージ・ワシントン大学で教授職に就き、1956年まで勤務しました。
ジョージ・ガモフの後半生(アメリカに移住してアルファ・ベータ・ガンマ理論と火の玉宇宙論を発表し、生物学の研究でも活躍する)
1948年には、ラルフ・アルファー、ハンス・ベーテとの共同論文で、宇宙の核反応段階に関する理論、いわゆる「アルファ・ベータ・ガンマ理論(α-β-γ理論)」を発表しました。といっても、ベーテは実際にはこの研究にまったく関与していませんでしたが、ガモフの「βにあたる人が入れば語呂がいい」という考えでベータを共著者として引き込んだのです。のちにこの理論には誤りが発見され、その指摘をした林忠四郎の名前をとって「α-β-γ-林の理論」と呼ばれることもあります。
また同年、ガモフはα-β-γ理論を元にして「火の玉宇宙」というアイディアを発表し、ジョルジュ・ルメートルの提唱した膨張宇宙論を支持し、宇宙背景放射の存在を予言した。ガモフの予想値は5Kであったが、測定自体が困難であったため検出することはできませんでした。当時、科学界においてはビッグバン理論と定常宇宙論が対立していました。しかし1965年に約3Kの宇宙背景放射が発見されると、ビッグバン理論の存在が確定的となりました。
ガモフは1950年代から、生物学の研究に傾倒し始めました。遺伝情報に関する研究を熱心に行い、ジェームズ・ワトソンやフランシス・クリック、リチャード・ファインマンらと手を組み、1954年に「RNAクラブ」というコミュニティを作りました。RNAクラブは科学者たちの社交場となり、単に交流するだけでなくさまざまなアイデアの発想の場となりました。ガモフはDNAの遺伝情報について、塩基配列3つの組み合わせがアミノ酸の情報になることを予想し、コドン研究が始まるきっかけとなりました。この功績が評価され、1956年ユネスコからカリンガ賞を受賞。1965年にはケンブリッジのチャーチル大学の海外フェローに選出されました。
ガモフは研究活動だけでなく、難解な物理理論を一般向けにわかりやすく解説した書籍を数多く出版しています。コロラド大学で講師を務めながら、著作活動も続けました。ガモフが他界するまで、彼は活動をやめませんでした。
今回は、放射性原子核のアルファ崩壊に初めて量子論を応用したジョージ・ガモフの生涯を振り返りました。導き出されたガイガー・ヌッタルの法則は、原子力の研究を進める大きなきっかけとなりました。さらにガモフは宇宙のビッグバン理論をほぼ確定させる発見をしたり、コドン研究が始まるきっかけを作ったりと、幅広い分野で実績を作った人物でもあります。領域が違っても結果を残せるのは、ガモフの努力あってのことなのは間違いないでしょう。何気なく知っていることでも、その歴史を紐解くと新たな発見があって面白いですね。