ブログ

【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 「ムーアの法則」を唱えた ゴードン・ムーア(フェアチャイルドセミコンダクターとインテルの創設者)

IP HACK

2024.08.19

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。私たちの生活には、電化製品が欠かせません。スマートフォンやパソコン、テレビや冷蔵庫に洗濯機など、生活を便利にする道具によって成り立っています。そんな便利な道具を作るのに、半導体は欠かせないアイテムです。世界的に有名な半導体メーカーといえば、「インテル」の名前をあげる人も多いのではないでしょうか。インテルを創設し、世界に技術革新をもたらしたのがアメリカの電気工学者ゴードン・ムーアです。彼は研究所時代の盟友ロバート・ノイスと共同でインテルを立ち上げました。今回はそんな、ゴードン・ムーアの生涯を振り返っていきましょう。

ゴードン・ムーアの前半生(化学を学んでショックレー半導体研究所に入所するが、「八人の裏切り者」として飛び出してしまう)

ゴードン・ムーアは1929年、サンフランシスコ南部の小さな村で生まれました。生まれ育った環境は田舎で、自然が遊び相手でしたが、中学生になるとおもちゃの実験セットを使って遊ぶようになり、科学に興味を持ち始めます。高校時代にはニトログリセリンを作ったこともあり、危険な実験も度々していました。

1946年、ムーアはサンノゼ州立大学へと進学し、化学を専攻して学び始めます。入学してから2年が経ち、ムーアは化学の勉強が物足りないと感じるようになります。さらに学びを深めるため、化学の上級カリキュラムを学べるカリフォルニア大学バークレー校に転籍します。ここでも2年の時を過ごし、1950年に卒業します。卒業後はすぐに同大学の大学院に進学し、赤外線分光学分野の研究で化学博士号を取得しました。修了後はジョンズ・ホプキンズ大学応用物理研究所に入所しますが、研究チームが解散するとムーアは研究所を退所しました。

1956年、ウィリアム・ショックレー博士に誘われてショックレー半導体研究所に入社。ここでムーアは、のちに盟友ロバート・ノイスに出会います。しかし博士は折り合いが悪く、

研究所に務めたノイスを含む7人の仲間たちと、一斉に研究所をやめてしまいます。後にこの8人の研究員は「八人の裏切り者」と呼ばれることになります。

ゴードン・ムーアの後半生(フェアチャイルドセミコンダクターとインテルを創設して、「ムーアの法則」を唱える)

仕事を失ったムーアでしたが、彼のことを気にかけてくれた人物がいます。起業家のアーサー・ロックから支援を受け、1957年フェアチャイルドセミコンダクターを設立します。1961年にはICの大量生産に乗り出し、60年代後半に差し掛かると半導体業界で世界最大規模の企業となっていきました。1963年には同社に面接に来たアンドルー・グローヴを採用し、企業としてもますます大きくなっていくことが誰の目にも明らかでした。

しかし会社が大きくなるにつれて、人事をめぐる問題が発生。経営陣に強い不満を持っていたムーアはノイス、グローヴと共に会社を去りました。退職後、ムーアとグローヴは新しくインテルを設立。同年、グローヴを従業員第一号として雇い入れて、インテルとしての新体制を構築しました。フェアチャイルド時代に見出したIT技術を活用して、さまざまな半導体製品を生み出し続けました。

1965年には、「ムーアの法則」として集積回路の製造・生産における長期傾向の予測法則を論文として発表。この研究は多くの製造業に関わる人たちに注目され、のちに半導体産業のガイドラインのような役割を果たすことになります。

1970年に世界初のDRAMを、翌年には世界初のマイクロプロセッサ4004を開発、発売するとこれが大ヒットし、インテルは名実ともに世界最大のIT企業として名をはせていったのです。1979年、ムーアはインテル会長に就任。ノイスは副会長、グローヴは社長という体制となりました。ムーアは1979年から1987年までCEOを務め、同社を世界的な半導体メーカーに育て上げました。

1987年の退社後、ムーアは妻のベティと共に「ゴードン・アンド・ベティ・ムーア財団」を設立。環境保護活動や科学研究、さらに事業プロジェクトへの寄付など社会貢献活動も行いました。財団の資産は64億ドル、アメリカでも最大級の財団として知られています。

2023年、ムーアはハワイの自宅で死去しました。享年94歳、大往生だったといえるでしょう。

今回はインテルの創設者、ゴードン・ムーアの生涯を振り返りました。その聡明さを存分に活かして、世界中で愛される企業を作り上げた手腕は見事なものです。事業だけでなく、晩年は社会貢献活動にも精を出すなど、人間性の部分でも尊敬できる人物でした。インテルが今後どのような活躍をしていくのか、注目していきたいところです。

アーカイブ