【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 集積回路を発明して「キルビー特許」を取得した発明家 ジャック・キルビー(「キルビー特許」が「サブマリン特許」になってしまい、多額のライセンス料を稼いでしまった天才発明家)
2024.06.24
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。集積回路(IC)は、さまざまな電子回路をひとつのチップにまとめる技術のことです。電気を通したり、あるいは通さなかったりする性質を持つため半導体と呼ばれることもあります。パソコンやゲーム機などあらゆる電子機器に使用されています。集積回路ができたことによって、より複雑な電子回路を小さなパーツに集め、高性能な電子機器を製造できるようになりました。家電や自動車、携帯電話など、私たちの生活に欠かせないアイテムの数々は、集積回路があることによって成り立っているのです。集積回路を発明し、「キルビー特許」を取得したことで知られているのがアメリカの技術者だったジャック・キルビーです。しかし、集積回路の特許を巡って激しい論争が巻き起こるきっかけともなりました。今回はそんなジャック・キルビーの生涯を振り返っていきましょう。
ジャック・キルビーの前半生(テキサス・インスツルメンツで集積回路の技術を開発する)
ジャック・キルビーは、1923年アメリカのカンザス州グレートベンドで生まれました。地元で育ち、取り立てて特殊な出来事もなく、人並みの人生を送っていました。1947年、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で電気工学の博士号を取得し、1950年にはウィスコンシン大学ミルウォーキー校で電気工学の修士号を取得しました。その後は大学院に進学し、同時にミルウォーキーで働きました。
1958年、キルビーは半導体製造大手のテキサス・インスツルメンツに就職します。しかし年次休暇の数が足りず、夏休みをとることができませんでした。周りの同僚たちが不在にしている間、キルビーは回路設計の問題に取り組みました。複雑な電子回路をひとまとめにするのは骨が折れましたが、半導体のうえに回路を作り、まとめるという解決策を見出しました。夏休みが終わり、経営陣が仕事を再開したタイミングで、キルビーはこの技術を提案しました。彼は提案が実現可能であることを示すために、オシロスコープを使いました。ゲルマニウムとオシロスコープをつなぎ合わせた状態でスイッチを入れると、オシロスコープに正弦波が表示される、という結果が現れたのです。ゲルマニウムの集積回路が問題なく作動しているとして、集積回路の技術を確立させました。
ジャック・キルビーの後半生(サブマリン特許として有名なキルビー特許を生み出してしまう)
1959年、キルビーは集積回路に関する特許を出願しました。この特許は「キルビー特許」と呼ばれています。しかしキルビー特許は、出願されたタイミングが早かっただけであり、技術的には真新しい発見というわけではありませんでした。特許の内容も、1枚のシリコンウェハの上で金線のボンディングで素子を繋ぎ止めるだけのものでした。同年、インテルの創業者であるロバート・ノイスも集積回路に関する特許(いわゆるプレーナー特許)を出願します。プレーナー特許は、現代における集積回路の祖先となりました。しかし、この2つの特許はのちに大きな議論を呼び、特許紛争の火種となってしまうのです。
技術面で言えば、プレーナー特許に軍配が上がるのは技術者たちの共通認識でした。しかし業界の権益が絡むと、どちらの特許が有効であるかを法的に認めさせる争いがおきました。この論争は10年の歳月を経て、ノイスの特許が有効という結論に終わりましたが、現場においてはほとんど意味を成しませんでした。なぜなら1966年の時点で、テキサス・インスツルメンツとフェアチャイルドセミコンダクターをはじめ十数社のエレクトロニクス企業が集積回路のライセンス供与に同意していたからです。また日本においては、1989年に特許が成立しました。この期間中に、「キルビー特許」を出願してから遥かに後に、その技術がすでに技術標準になって突から突然に特許権が成立する「サブマリン特許」が成立してしまっており、集積回路の技術を使用する際には多額のライセンス料が課されました。
そんな紆余曲折があったにせよ、キルビーとノイスは偉大な発明をした人物としてたたえられました。2人はその後、ともにアメリカ国家技術賞を受け、全米発明家殿堂入りを果たしました。
集積回路以外にも、キルビーは電卓やサーマルプリンターを発明し、それぞれ特許を取得しました。大小さまざまな発明を行い、その生涯でおよそ60もの特許を取得しました。
1978年から1985年までは、テキサスA&M大学で電気工学の教授を務めました。1983年、長年勤め上げたテキサス・インスツルメンツ社を退社し、工学の世界から退きました。引退後はがんを患い、闘病生活を送ります。しかし、高齢となったキルビーの身体は、病魔に打ち勝てるだけの体力を残してはいませんでした。2005年、キルビーはダラスでこの世を去りました。
キルビーの死後、テキサス・インスツルメンツはキルビーに関するアーカイブを創設し、遺族は手稿や写真などを寄贈しました。これらのコレクションは、南メソジスト大学の図書館に収蔵されています。
今回は、集積回路を発明した人物の一人として知られるジャック・キルビーの生涯を振り返りました。特許を巡っては利権争いのようないざこざがあり、サブマリン特許の問題点を浮き彫りにすることにもつながりました。とはいえ、集積回路の技術ができたことで、ITの世界が大きく発展したのは間違いありません。私たちの生活を支える IT技術、その歴史を振り返ってみるのも面白いですね。