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優先権主張のリスクを考える上で知っておくべき判決(人工乳首事件)

2010.08.10

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人工乳首事件 平成 14年 (行ケ) 539号 審決取消請求事件
「人工乳首事件」でGoogleで検索すると、色々な人が書いた論評がたくさん出てきます。極めて衝撃的な事件です。この事件で問題になったのは、後の出願の請求項1(本願発明1)について優先権が認められるかどうかです。


【請求項1】乳幼児の哺乳窩に当接可能な先端部を有する乳頭部と,乳幼児が舌により蠕動運動を行う際に舌を波うつように移動させることができる表面を有する乳頭部及び乳首胴部と,哺乳瓶と接続するためのベース部と,を有する人工乳首であって,前記乳頭部及び乳首胴部のシリコンゴムから成る壁面の内側に,この壁面より肉厚の薄い伸長部が形成され,この伸長部に隣接して,この伸長部より肉厚が厚い剛性部が交互に形成されていることを特徴とする人工乳首。


この請求項1の内容は、先の出願にしっかりと記載されており、そのままでも実施可能要件が満たされていたと考えられます。国内優先権出願をしなかった場合、請求項1には拒絶理由がなかった、という点が重要です。
国内優先権出願では、図11の実施例11が追加されました。この実施例は、「伸長部が螺旋状である」という実施例です。
この人工乳首事件のポイントは、「『伸長部が螺旋状である』という実施例を追加すると、拒絶理由がなかった請求項1に拒絶理由が生じた」というところです。
判決の論理構成は、以下の通りです。
1.「伸長部が螺旋状である」という形態は、請求項1の範囲内である
2.「伸長部が螺旋状である」という部分は後で追加されたので、優先権が効かない。
3.「伸長部が螺旋状である」という部分には拒絶理由がある
  (先の出願と後の出願の間に29条の2の先願があります。)
4. 従って、請求項1にも拒絶理由がある
一見、もっともなようにも聞こえますが、3→4の論理展開には飛躍があるように思えます。請求項1の内容は、先の出願にしっかり記載されているので、請求項1の特許性の判断の基準日は、先の出願日となるべきです。
上記の論理構成では、事実上、後願によって先願が拒絶されるという恐ろしい結論になります。
この判決によれば、後願によって先願が拒絶されるのではなく、請求項1のうちの優先権が効かない部分が拒絶される結果、請求項1の全体が拒絶されるのである、という説明になりますが、理屈付けはどうであれ、先願にすでに記載されていた発明が後願によって拒絶されたことには変わりがありません。
改良発明をした場合、国内優先権出願をするか別出願にするか迷いますが、この判決の考え方によれば、国内優先権出願によって実施例や実施形態を追加することは、本来であれば無傷な先の出願を危険にさらす可能性がある点を考慮すべきでしょう。
国内優先権出願をすると、(1)39条の拒絶理由を回避可能、(2)別出願よりも審査請求料が安い、(3)先の出願で実施可能要件を満たしているか微妙な場合に実施例を補充すると、うまく行けば先の出願日の利益が得られ、最悪でも後の出願日の時点で実施可能要件が満たされるという戦略が可能である、などというメリットがありますし、先と後の出願の間に引例が現れれば、後の出願で追加した部分を分割するか削除することによって拒絶理由を回避することができると思われるので、国内優先権出願を全くやめにする必要はないと思います。
後の出願で追加した内容を削ると、禁反言の問題が生じると主張する方もいますが、削る部分は権利範囲から除外する意図で削るのではなく、単に、先の出願日の利益を得るために削るので、このような理由による削除補正は、禁反言の根拠にはなりにくいと思います。
ただ、国内優先権は万能ではなく、むしろリスクが高い制度であると認識しておいた方がいいと思います。


(4) 原告は,また,国内優先権制度の実施例補充型といわれるもののうち,先の出願の請求項の発明が先の出願の実施例で十分実証されている場合には,後の出願で実質的に同一の発明が実施例で補充されても,この実施例によって影響を受けず,後の出願の請求項の発明が,先の出願と後の出願との重複範囲であれば,優先権主張の効果は肯定されるとした上,図11実施例発明は,先の出願の【図1】等の実施例で十分に実証されているから,本件出願について優先権主張の効果を否定した審決の判断は誤りであると主張する。
しかしながら,後の出願の明細書及び図面に新たな実施例を加えることにより,後の出願の特許請求の範囲に記載された発明の要旨とする技術的事項が,先の出願の当初明細書等に記載された技術的事項の範囲を超えることとなる場合には,その超えた部分について優先権主張の効果が認められないところ,本件において,図11実施例を後の出願である本件出願の明細書に加えることにより,後の出願である本願発明1の特許請求の範囲に記載された発明の要旨となる技術的事項が,先の出願の当初明細書等に記載された技術的事項の範囲を超えることになり,その超えた部分については優先権主張の効果が認められないことは,上記のとおりであって,本願発明1が先の出願の【図1】等の実施例で十分実証されていたか否かは,この判断を左右するものではない。したがって,審決に原告主張の誤りがあるとはいえない。
(5) 原告は,後の出願において追加された実施例が後の出願の請求項に係る発明の実施例であれば,後の出願の請求項に係る発明は,追加された実施例を含んだものとする審決の判断方法は,実施例に基づいて請求項に記載された発明の要旨認定をしているものであり,請求項に記載の発明の要旨を発明の詳細な説明の記載に基づいて認定するものであって,最高裁平成3年3月8日第二小法廷判決・民集45巻3号123頁の判示に反し,請求項に係る発明の要旨が実施例の記載によって拡大することになり,また,先の出願と全く無関係の実施例を追加する場合以外は国内優先権の制度を利用できないという不合理な結果を招くと主張する。
しかしながら,審決が,後の出願に係る本願発明1の発明の要旨となる技術的事項の確定を,特許請求の範囲の記載を超えて,発明の詳細な説明に記載された図11実施例の構成要素に限定して行ったものではなく,図11実施例を踏まえて特許請求の範囲に記載されたとおり認定したものであることは,上記説示によって明らかであるから,原告引用の最高裁判決の判示に反するものではなく,また,原告主張のような不合理な結果を招くものでもない。原告の主張は,審決を正解しないでこれを論難するものにすぎず,採用の限りではない。

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