ブログ

【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 暗号機の発明家 ボリス・ハーゲリン(通信と情報の保全を専門にする謎に包まれたクリプト社の経営者)

2024.05.31

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。暗号とは、一定の規則にしたがって変換された文章のことを指します。規則性を知らない人間には読み取れず、外部に知られたくない情報がある場合に暗号化することが一般的です。現代でも、ネットワークや製品のセキュリティを維持するために通信を暗号化する技術が使われています。その歴史をたどると、古くは第二次世界大戦時にドイツ軍が使用した暗号機に行き着きます。暗号機を発明したのは、スウェーデンの実業家だったボリス・ハーゲリンです。ハーゲリンは現在のクリプト社の前身にあたる会社を設立し、暗号機の発明で莫大な富を築きました。今回はそんなボリス・ハーゲリンの生涯を振り返っていきましょう。

 

ボリス・ハーゲリンの前半生(工学を学んだ後に暗号機の会社を買収して、ドイツのエニグマを超える暗号機を開発する)

ボリス・ハーゲリンは1892年、コーカサスで生まれました。ルンドベルクス・ボーディングスクールに入学し、後にストックホルムのスウェーデン王立工科大学で機械工学を学び1914年に卒業しました。ハーゲリンはスウェーデンとアメリカの2国間で働き、工学技術を修得していきました。ボリスの父カール・ヴィルヘルム・ハーゲリンは、バクーでノーベル兄弟社に勤めていました。ロシア革命が勃発すると、一家はスウェーデンに戻りました。

1925年、ハーリゲンはダムのクリプトグラフ株式会社を買収します。カールはこの会社の出資者であり、家族の出資代表者にハーリゲンを任命していたのです。この会社は暗号機を販売するために設立されたものであり、製造にはアルヴィッド・ゲルハルド・ダムが1919年に取った特許を使用していました。ハーリゲンは会社を買い取ったあと、1932年にクリプトテクニック株式会社に改組します。

当時、暗号機といえば第二次世界大戦でナチス・ドイツが使用した「エニグマ」が有名でした。しかしクリプトの暗号機は、エニグマよりも大幅に売上を伸ばしました。第二次世界大戦が始まると、ハーゲリンはスウェーデンからスイスへ移り、そこで会社を再度設立しました。この会社は、現在でもツークでクリプト株式会社として営業しています。

 

ボリス・ハーゲリンの後半生(暗号機のヒットで大富豪になるが、数々のスパイ疑惑の対象となる)

クリプト社の暗号機は小型で廉価かつ適度な秘匿性を持っており、ハーゲリンはアメリカ軍がこれを採用することを確信していました。実際にこの暗号機は何万台も生産され、ハーゲリンは莫大な富を財を成しました。歴史家のデヴィッド・カーンは、「ハーゲリンは暗号機製造者として富豪になった唯一の人物」と語りました。

1992年3月、イラン政府はテヘランでクリプト社のトップセールスマンのハンス・ビューラーを「イランの暗号解読コードを西側情報機関に漏らした」という疑いで逮捕しました。ビューラーは9カ月間尋問されましたが、機器には如何なる欠陥も見つかりませんでした。1993年1月、クリプト社が100万USドルの身代金をイランに支払うと、ビューラーはようやく釈放されました。ビューラーが釈放された直後、クリプト社は彼を解雇し、ビューラーに100万USドルを請求しました。スイスのマスメディアとドイツの雑誌デア・シュピーゲルは1994年にこの件を取り上げ、クリプト社の機器が実際に西側情報機関により解読されたかどうかという疑問を追及しました。

この報道を受けて、クリプト社は「単なる作り話」として真っ向から否定しました。プレスリリースでは「1994年3月にスイス連邦検察局はクリプト社に対し広範囲にわたる予備的な捜査を開始し、1997年にこれは終了した。第三者による訴えやマスメディアによる疑惑は繰り返し起きたが根拠があると証明された件は無かった」とも主張しています。しかし後の解説者はこの否定には動かされず、クリプト社の製品は実際に解読されていると表明しました。

今回は、暗号機の製造で大成功を収めたボリス・ハーゲリンの生涯 を振り返りました。暗号機は戦争でよく使われましたが、情報を秘匿してアクセスを制限する技術は現代でもあらゆる場面で活用されています。ハーリゲンが礎を築いたクリプト社は現在も営業活動を行っています。今後の同社の活躍にも期待したいところですね。

アーカイブ