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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 潜水艦と機関銃の発明家 トールステン・ノルデンフェルト(機関銃を発明するが自己破産し、潜水艦を発明するが実用化には失敗した不運な発明家)

2024.05.10

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。潜水艦と機関銃の発明は、軍事産業に大きな影響を与えました。潜水艦は海中から攻撃できる新しい武器となり、海上戦の様相を一変させました。水中からの攻撃は防御が困難であり、新たな対潜水艦戦術の確立が求められました。さらに潜水艦による機動力の向上と艦隊の脅威が増大したため、海軍力の再編成が必要となりました。機関銃も、連続的な高火力を実現し、歩兵戦の主力火器となりました。高い射撃密度で相手を圧倒できるため、陣地戦や塹壕戦が常態化しました。機関銃の発達により、装甲車両や戦車の需要が高まりました。航空機への搭載も可能になり、空軍の発展にも影響を与えました。このように、潜水艦と機関銃は当時の戦術と戦略に大きな変革をもたらし、それに適応するための新たな兵器や装備の開発競争を加速させました。結果として軍備の拡大と軍事産業の発展につながったと言えます。機関銃と潜水艦の発明で知られているのは、スウェーデンの発明家として活躍したトールステン・ノルデンフェルトです。今回はそんな、トールステン・ノルデンフェルトの生涯を振り返っていきましょう。

 

トールステン・ノルデンフェルトの前半生(軍人の息子に生まれて機関銃を開発する)

ノルデンフェルトは1842年、キンナ郊外のオービーで生まれました。陸軍中佐の息子だったノルデンフェルトは、軍事関係の仕事が身近にある生活を送っていました。青年期にはロンドンに出て、スウェーデンにルーツを持つ会社に勤務しました。1867年には家庭を持ち、イングランドに移住しました。

イングランドを訪れたノルデンフェルトは、義理の弟と共に鉄鋼を扱う会社を立ち上げました。スウェーデン鋼を購入して、イギリスの鉄道レールを建築するためです。鉄道関連の資材を取り扱う仕事をしているうちに、さらに鉄材を活用できる領域を求めて事業を拡大していきました。そうした思惑を叶えるために、軍事産業への介入はまさに最適と言えるものでした。ノルデンフェルトは「ノルデンフェルト銃砲株式会社」を設立し、機関銃の開発に携わりました。機関銃はヘルゲ・パールクランツが設計し、ノルデンフェルトはその設計をもとに製造を行っていました。このときに製造された機関銃は「ノルデンフェルト式機銃」と呼ばれ、さまざまな国から高い評価を受けてました。また、ノルデンフェルトはその後対水雷艇機砲の設計も行いました。ストックホルムやスペインで水雷艇機砲の製造を行っていると、上流階級の人間にも話が及んでいきます。ロスチャイルド家とヴィッカースからの圧力を受け、1888年にノルデンフェルト銃砲株式会社はマキシム社と合併し、マキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社が設立されました。

1890年、ノルデンフェルトは個人破産に至ります。これが理由でノルデンフェルトは会社を追放され、途方に暮れました。行くあてのないノルデンフェルトはイギリスを離れ、フランスへと向かいました。そこで新たにソシエテ・ノルデンフェルト社を設立し、M1897  75mm野砲に使われた偏心螺旋尾栓を設計しました。

 

トールステン・ノルデンフェルトの後半生(蒸気推進の潜水艦を発明するが、実用化には失敗する)

ノルデンフェルトは、銃火器のほかに潜水艦の発明にも関わりました。彼が発明したのは、最初の潜水艦である「ノルデンフェルトI」、「アブデュルハミト(ノルデンフェルトII)」「アブデュルメジト(ノルデンフェルトIII)」の3種類です。ノルデンフェルトの潜水艦はオスマン帝国海軍で使用され、国家の進出に大きく貢献しました。潜水艦の部品はイギリスで製造され、イスタンブールのタシュクザク海軍工廠で組み立てられました。

ノルデンフェルトはイギリス人の牧師補で発明家であったジョージ・ギャレットと協力し、蒸気推進の潜水艦の製造を行いました。最初の潜水艦である「ノルデンフェルトI」は、全長19.5m、重量56トンで、ギャレットが実験的に作製した潜水艦である「リサーガム(1879年)」に類似していました。建造は1884年から1885年にかけてストックホルムで行われた。リサーガム同様、水上では100馬力の蒸気エンジンを使用し、最高速度は9ノットにも達します。水中航行の動力源として蒸気蓄圧タンクを備え、潜行時にはボイラーを消火し、水上航行中に蒸気蓄圧タンクに蓄えた蒸気を使用することでエンジンを駆動しました。ノルデンフェルトIはギリシャ政府に購入され、1886年にサラミス海軍基地に回航されました。受領試験を実施した後、ギリシャ海軍で使用されることはなく、1901年に解体されました。

続いて1886年、ノルデンフェルトはオスマン帝国海軍のために「ノルデンフェルトII」(アブデュルハミト)、1887年には「ノルデンフェルトIII」(アブデュルメジト)を製造。これらの潜水艦は同型であり、魚雷発射管を2つ保有していました。なお、アブデュルハミトは潜行中に水中からの魚雷発射に成功した最初の潜水艦です。そして次に製造した「ノルデンフェルトIV」は、ノルデンフェルトの最後の潜水艦となりました。ロシア帝国がこの艦を購入しましたが、航行が不安定だったためコントロールを失い、ロシアへの回航中にユトランド半島沖で座礁してしまいました。ロシアは代金の支払を拒否したため、ノルデンフェルトIVは解体されました。アブデュルハミトとアブデュルメシドは1914年にイスタンブールでドイツ軍によって発見されました。沿岸防御用に使用することが考慮されたが、船殻の腐食が進んでいたことが分かり、実際に使用されることはありませんでした。

1903年に、ノルデンフェルトはスウェーデンに戻り製造事業から身を引きました。1920年、彼はその生涯を終えました。

今回は、機関銃と潜水艦の発明で名を残したトールステン・ノルデンフェルトの生涯を振り返りました。オスマン帝国やイギリス軍の成長に貢献したノルデンフェルトは、現代でも優秀な発明家として知られています。軍事産業は戦争のための分野ではありますが、そこで活用された技術を他の分野に転用して役立てることも少なくありません。先人たちの発明を追いかけることで、新たな発見が得られるのは楽しいことですね。

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