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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー ガソリンエンジンとモノレールの発明家 オイゲン・ランゲン(オットーと一緒に「オットーサイクルエンジン」を発明してビジネスでも大成功した幸せな発明家)

2024.04.15

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。ガソリンエンジンは、ガソリンを使った内燃機関です。ガソリンを空気を混ぜ合わせて圧縮したのち、点火、燃焼・膨張を繰り返すことでエネルギーを生み出す仕組みとなっています。自動車によく用いられるガソリンエンジンは、今や私の生活になくてはならないものとなりました。そんなガソリンエンジンを開発したのが、ドイツの技術者だったオイゲン・ランゲンです。彼はニコラウス・オットーとともにエティエンヌ・ルノアールが発明したガスエンジンの改良に取り組み、より効率的にエネルギーを生み出すための機構を作り上げました。ランゲンはまた、ヴッパータール・モノレールの開発も行い、世界最古のモノレールを作ったことでも知られています。今回はそんな、オイゲン・ランゲンの生涯を振り返っていきましょう。

 

オイゲン・ランゲンの前半生(オットーと一緒に「オットーサイクルエンジン」を発明する)

オイゲン・ランゲンは、1833年に誕生しました。カールスルーエ工科大学で技術訓練を受けて、高い技術力を身につけました。1857年からは父親であるヨハン・ヤーコブ・ランゲンが経営するJJ・ランゲン&ゾーネに勤務し、技術者として活躍していきました。

1864年、ランゲンはニコラウス・アウグスト・オットーと出会います。当時、オットーはベルギーのエティエンヌ・ルノアールが開発したガスエンジンの改良に取り組んでいました。オットーが開発したのは、ピストンシリンダーを用いて燃料を燃やすことで、より効率的にエネルギーを生産する「4ストロークエンジン」です。

ランゲンはオットーの技術の高さを目の当たりにし、新たなエンジンの開発に協力することを決めました。2人は「NA・オットー&Cie」を設立し、エンジンの開発をさらに積極的に進めていきました。この会社は世界初のエンジン工場として知られています。ランゲンとオットーが共同開発したエンジンは1867年のパリ万国博覧会に出展され、グランプリを受賞しました。のちに開発者であるオットーの名前をとり、「オットーサイクルエンジン」と呼ばれるようになります。オットーエンジンは現代でも用いられるほど汎用性が高く、後世に伝わる画期的な発明となりました。

やがてNA・オットー&Cieは「ドイツ株式会社」と名前を変え、エンジン開発でトップを走る企業へと成長していきます。1872年から1880年にかけてはゴットリープ・ダイムラーとヴィルヘルム・マイバッハ、1904年から1908年10月まではプロスパー・ロランジュ、1907年にはエットーレ・ブガッティ、さらにはロバート・ボッシュなどのちにドイツの自動車製造で有名となる技術者たちが在籍しました。

1884年、オットーは新たに内燃機関の改良を行いました。それまでの燃料は石炭ガスでしたが、移動する乗り物に搭載するのは難しいという問題がありました。このとき、低圧電磁点火装置を導入することで液体燃料の使用が可能となりました。液体燃料エンジンの開発によってエネルギーの生産効率が格段に上がり、より多くの場面でエンジンを搭載できるようになったのです。この発明後、すぐにガソリンとディーゼルで動くエンジンが生まれ、自動車をはじめとするさまざまな乗り物に搭載する設計が行われました。

 

オイゲン・ランゲンの後半生(モノレールを発明する)

ランゲンはまた、鉄道輸送設備の分野にも関わっていました。1894年から、ヴッパータール空中鉄道(モノレール)の開発に取り掛かりました。最初にモノレールのアイデアを閃いたのは、イギリスのヘンリー・ロビンソン・パーマーです。ランゲンはそのアイデアを活用し、ケルンの工場で運搬にモノレールを利用していました。

ランゲンはこの技術を人や物資の輸送に応用できることに気づき、植民地への採用を働きかけました。ランゲンの構想はヴッパータールで採用され、世界初のモノレールが誕生しました。小型にしてカーブ時の遠心力を車体の傾きにより吸収できるというランゲンの構想は、ヴッパータールの土地が持つ特性をよく理解しているもので、実現可能なものでした。

ヴッパータール空中鉄道は、1898年に着工されました。その後、1900年10月24日にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の臨席を受けて試運転が行われ、1901年に部分開通となりました。最初に開通したのは、クルーゼ・劇場駅 – 動物園・スタジアム駅間です。その後、西側終点となるフォーヴィンケル駅まで開通しました。東側終点となるオーバーバルメンまでが全通したのは1903年のことです。建設に使われた鉄材の総量は実に19200トンにも及んだとされています。建設当時ヨーロッパでも最大級の産業都市とされていたヴッパータール市は間近に製鉄所などもあり、資材調達には何ら支障がなかったとされています。

今回はガソリンエンジンの開発、そしてモノレールの開発に関わりエネルギー産業・輸送産業で大きな功績を残したオイゲン・ランゲンの生涯を振り返りました。彼は高い技術力を人々のために活用し、偉大な功績を残しました。ガソリンエンジン(オットー・サイクル)とヴッパータール空中鉄道は現代でも使用され、多くの人々に愛されています。

 

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