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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 高速ディーゼルエンジンの発明家 フーゴー・ユンカース(ドイツの航空機・エンジンメーカーのユンカース(現在のEADS=エアバス)の創業者)

2024.04.08

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。ディーゼルエンジンは、ドイツの科学者・ルドルフ・ディーゼルによって発明されました。内燃機関であるこのエンジンは効率性に優れており、軽油や重油などを燃料として使用されています。トラックや船、飛行機など、大きなエネルギーを必要とする大きな乗り物を動かすのに相性がよく、現代でもさまざまな場面で活用されているのがディーゼルエンジンです。ディーゼルエンジンは発明されてから、多くの科学者たちがより改良・効率化を行い、実用化に挑戦してきました。ドイツの技術者だったフーゴー・ユンカースもディーゼルエンジンの改良に心血を注いだ人物の1人です。高速ディーゼルエンジン開発初期の先駆者として知られるユンカースは、のちにボイラーやラジエータの製造を行う会社を立ち上げ、やがて航空機や発動機などを製造する会社へと移り変わっていきました。第一次・第二次世界大戦ではユンカース社の航空機が利用され、軍需でも大きな役割を担ったことで知られています。今回はそんな、フーゴー・ユンカースの生涯を振り返っていきましょう。

 

フーゴー・ユンカースの前半生(厚翼単葉構造の航空機の発明で特許を取る)

フーゴー・ユンカースは、1859年生まれの技術者です。ユンカースは若い頃にエンジンの技術者として成功を収めました。高い技術と知識を持ち、エンジンの製造分野で高い評価を獲得しました。現場を離れてからはアーヘン工科大学で教鞭を取った経歴があり、指導する立場に回っていました。しかし、航空機の製造に関わり始めたのは中年期以降、40歳をすぎてからのことです。

ユンカースは1900年代後半、すべてを金属で構築した厚翼単葉構造の航空機を製造し、特許を申請しました。当時は固定翼の飛行が実用化されてからまだ間もない段階でした。ユンカースの発明は先鋭的な技術であり、業界内の注目を浴びました。第一次世界大戦中には、それまで前例のなかった全鉄鋼製の戦闘機を開発し、終戦後には世界初の全ジュラルミン製輸送機の開発に成功しました。ユンカース式のジュラルミン機体は、軽量さと頑丈さを両立したことで、次世代の全金属モノコック構造が出現する1930年代初頭までは最も先進的な存在でした。自社製機材を運航する航空会社も設立、1920年代にはクラウディウス・ドルニエと、旅客機による大西洋定期航路の構築を競いました。

 

フーゴー・ユンカースの後半生(高速ディーゼルエンジンの開発に取り組む)

またユンカースは、対向ピストン式の2ストロークディーゼルエンジン開発に取り組むなど、独創的なエンジニアとして数々の実績を残しました。

ディーゼルエンジンは圧縮着火のため高圧縮比となります。一般にピストンエンジンは圧縮比=膨張比であることから、高圧縮比、高膨張比エンジンとすると熱効率が高まります。圧縮比を上げることを気体の熱力学だけで解析すると、対数的に効率は上がり続けるものの圧縮比15を超えると伸び率は低下します。一方、高圧縮の場合は摩擦損失と可動部品の重量増による慣性損失を増大させ、特に高回転で機械損失が急増します。また高圧縮になるほど着火しやすいですが、むしろ着火により完全燃焼しにくくなるため、適正な圧縮比は14台だといわれています。

ディーゼルエンジンは圧縮比の高いエンジンであるため、発火点さえ確保できればサラダ油や廃潤滑油などの精製度が低く安価な燃料も使用できます。ただし、これを行うためには高価な前処理装置や、特殊なエンジンオイルが必要です。さらに、エンジン本体に高い圧縮比に耐え得る構造強度が必要になるため、ディーゼルエンジンの機構はより大きくより重くする必要があります。そのため、初期費用がかなりかかってしまうことや他段階の変速機が必要になることから、かつては実用化は困難でした。

ディーセルエンジンは、大きい乗り物に搭載するのに最適なエンジンです。実際に超大型の低速ディーゼルエンジンが大型商船の主機関として広い用途に使われています。拡散燃焼という特徴があり、気筒容積あたりの出力が低い代わりに容積には制限がないため、エンジン自体も巨大なものになります。熱効率がよいため、必要な出力が得られるまでエンジンを大型化できるのもディーエルエンジンの特徴です。

70歳を超えるまで、ユンカースの開発意欲はとどまることを知りませんでした。晩年までは固定翼航空機用の高速ディーゼルの開発に取り組んでいましたが、彼が開発から遠かったのはナチスからの弾圧を受けたためです。ユンカースは自由主義的な思想を持っており、独裁的な政権を振るったナチスを批判していました。しかしナチ党はユンカースの反発を見逃すことはなく、ナチス政権はユンカースを弾圧しました。ユンカース社はナチスのもとに収奪され、ユンカース本人は経営からも追放されてしまいました。ユンカースはナチス政権の監視下にあり、軟禁生活の中でその生涯を終えました。

 

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