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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー メトロノームの発明家 ヨハン・ネポムク・メルツェル(メトロノーム以外にも数々の画期的な楽器を発明した愉快で楽しい発明家)

2024.04.05

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。メトロノームは、音楽のリズムを正確に刻むアイテムです。リズム感の練習のために活用され、演奏技術の上達には欠かせない道具となっています。メトロノームが発明されたのは、偉大な音楽家であるベートーヴェンの時代だと言われています。ドイツの発明家、ヨハン・ネポムク・メルツェルはオランダ人の発明家であるディートリヒ・ニコラウス・ヴィンケルのアイデアをもとにメトロノームを発明しました。彼はメトロノームの特許を取得し、発明されたメトロノームはベートーヴェンが最初に使ったと言われています。またメトロノームの他にも、メルツェルはオートマタやミミトランペットなどの発明でも名を残しています。今回はそんな、ヨハン・ネポムク・メルツェルの生涯を振り返っていきましょう。

ヨハン・ネポムク・メルツェルの前半生(オーケストリオンなどの数々の画期的な楽器を発明して成功する)

ヨハン・ネポムク・メルツェルは、1772年にドイツのレーゲンスブルクで生まれました。オルガン製作者の父を持つメルツェルは、音楽教育を幼い頃から受けていました。楽器の制作に関する知識も父親譲りのものだったのでしょう。1792年、メルツェルはレーゲンスブルクからオーストリアのウィーンへと移り住むことになります。そこでは楽器の製作で生計を立てており、数年がかりでオーケストリオンの発明に取り掛かっていました。オーケストリオンとは、名前の通りオーケストラのような音を出せる楽器のことです。大きな円筒をもち、連続紙やロール紙型のパンチカードを使って演奏します。

オーケストリオンが完成すると、メルツェルはさっそく公開展示を行いました。その後、オーケストリオンは3,000フローリンで買い取られました。メルツェルの創作活動は高い人気を呼び、さらに数々の発明品を世に送り出しました。1804年にはパンハルモニコンを発明し、世界的な人気を呼び込みました。パンハルモニコンは、軍楽隊の楽器群を演奏できるオートマタ(機械人形)です。その演奏の再現度の高さから、メルツェルは世界中から注目を浴びることになります。彼の名前はまずヨーロッパ全体に広がり、オートマタはウィーンの宮廷技術者にも活用されるようになりました。そしてこのとき、偉大な作曲家であったベートーヴェンの目にもメルツェルの活躍が飛び込んでいきました。著名な作曲家たちから高い評価を獲得したメルツェルは大きな財を成したのです。

ヨハン・ネポムク・メルツェルの後半生(ベートーベンと仲良くなりメトロノームを発明する)

1805年、メルツェルは『トルコ人』というオートマタを購入し、パリに持ち込みました。フランス帝室の一員であるウジェーヌ・ド・ボアルネに売却するためです。『トルコ人』は、ハンガリーの発明家であるヴォルフガング・フォン・ケンペレンが作成したオートマタです。チェスを指すオートマタであり、その珍しさから発明当初は大きな注目を浴びたものの、時代の流れとともに人々の記憶からは薄まっていきました。そんな折に、メルツェルはこのオートマタを売却しようと考えたのです。ボアルネは『トルコ人』を買い取り、メルツェルは大きな利益を得ました。その後ウィーンに戻ると、トランペットを吹くオートマタの発明に着手し始めました。まるで生きているかのような動きをするオートマタは、人々の人気に再び火をつけました。メルツェルが作ったオートマタは衣装の早着替えをするものや軍楽を演奏するものなど、非常にさまざまな種類があります。1808年には耳トランペットを改良したり、音楽用のクロノメーターを発明したりといった創作を行いました。

1813年、メルツェルとベートーヴェンはお互いによく知る間柄となりました。2人でコンサートを何度か開催する関係となったものの、ベートーヴェンがメルツェルに激怒し調書を書いたことで険悪な仲となってしまいます。1816年、メルツェルはパリに赴き、メトロノームの製造で生計を立てていました。このメトロノームは、ディートリヒ・ニコラウス・ヴィンケルが作ったものを真似たものでした。1817年、メルツェルとベートーヴェンは和解に至り、メトロノームを通じてさらに親交を深めました。ベートーヴェンは自分の手記にメルツェルのメトロノームについて、興奮した様子でその素晴らしさを書き記しています。アレグロをはじめとする伝統的な速度表示を使用するのを止めると宣言しているほど、メルツェルのメトロノームに心奪われた様子だったようです。

1817年、メルツェルはパリを離れ、ミュンヘンに向かいました。しかしミュンヘンには戻らず、ウィーンで再び暮らし始めました。この頃、ウジェーヌ・ド・ボアルネに売却した『トルコ人』を買い戻す算段がつきます。

数年がかりで機械の発明品を建造・改良してきたメルツェルは、風変わりな装置を展示することに特化した会社を設立しました。

1838年、メルツェルはベネズエラのラ・グアイラに停泊中の船舶の上でこの世を去りました。

今回は、メトロノームの製造で活躍したヨハン・ネポムク・メルツェルの生涯を振り返りました。ベートーヴェンと親しい仲であり、一度は友情に亀裂が入ったものの持ち直して信頼関係を築きました。おもしろい機械を発明し、音楽と発明の両面で人々を楽しませたメルツェルの生涯は、実に愉快なものだったと思われます。彼がいる時代に生まれたら、現代とはまた違った楽しみがあったかもしれませんね。

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