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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー オーデコロンの発明家 ヨハン・マリア・ファリナ(オーデコロンを作り続ける「ファリナハウス」を創設した芳しい発明家)

2024.03.11

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。オーデコロンは、香りの持続時間が長いフレグランスアイテムの一種です。よい香りをまとわせることは気分を上げることにも影響し、ファッションのひとつにもなっています。香水の起源をたどると、10世紀ごろまで遡ります。初めは香料として生まれ、その後は数々の研究を経て、人々は香りとともに歩んできました。香料から香水が生まれたのは、16世紀末のフランスです。入浴をする文化がないフランス人にとって、体臭は非常に気になる問題でした。それから香水もさまざまな性質のものへと形を変え、やがてオーデコロンが生まれました。オーデコロンを発明したのは、イタリアの香水職人だったヨハン・マリア・ファリナです。香りによって貴族や王室を感動させたファリナは、その実力を認められて大きく讃えられました。今回はそんなヨハン・マリア・ファリナの生涯を振り返っていきましょう。

ヨハン・マリア・ファリナの生涯(ケルンでオーデコロンを発明する)

ヨハン・マリア・ファリナは、1685年のイタリアで生まれた人物です。彼は1709年、ケルンに香水の工場を創設しました。ここで作られた香水はフランス語で「ケルンの水」と名付けられ、世界一歴史のあるオーデコロンとなりました。ファリナの功績もあって、ケルンは香水の街として世界中に知られるようになり、市庁舎の塔にはファリナの石像が建てられました。

1734年、ファリナは当時のプロイセン王、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世にオーデコロンを納めました。18世紀には、ヨーロッパのほとんどの宮廷にオーデコロンを届け、世界中に知られるようになったのです。オーデコロンは、柑橘系の香りを特徴とする香水です。その香りの爽やかさは各国の国王にも人気を呼び、特にヴォルテールやゲーテといった有名人たちに痛く気に入られることになります。イギリスのヴィクトリア女王もオーデコロンの香りに感嘆し、1837年に即位した際にはファリナの作った「ファリナハウス」を王室御用達の商人として指名しました。やがて国交が広がっていくと、日本にもオーデコロンが渡来しました。1874年には宮内省の御用達にも任命されました。

ヨハン・マリア・ファリナの跡を継ぐ者たち(今でも「ファリナハウス」でオーデコロンを作り続ける)

オーデコロンの中には、「4711」という商品が存在します。こちらも代表的なオーデコロンであり、現在でも販売されている世界最古のオーデコロンとして語られることの多い商品です。少しややこしい話ですが、香水の中の「オーデコロン」というジャンルが生まれたのが起源となり、それから100年後に現在につながるオーデコロンの商品としての「4711」が生み出されました。つまり現在でも販売されている「世界最古のオーデコロン」というときには「4711」を指すと思っておくとよいでしょう。

ファリナが設立した工場は、「ファリナハウス」という名前で現存しています。開発当初からオーデコロンを作り続けており、オーデコロン製造の最先端の研究開発を行う工場として現代でも知られています。ファリナハウスは誰でも入ることができ、工場部分を見学することも可能です。ファリナハウスの中には顧客リストがあり、名だたる偉人たちがオーデコロンを気に入っていた歴史を感じることができます。また、元祖オーデコロン以外にもさまざまな種類のオーデコロンを販売しており、ファン垂涎のアイテムを手に入れることができます。

ファリナが製造した元祖オーデコロンのあと、オーデコロンは大きく3つのブランドへと分岐していきます。さまざまな製法を試し、本家とはまた異なる雰囲気の香りを醸成するオーデコロンが作られ始め、オーデコロンはより大きなブランドとして有名になっていきました。

今回は、オーデコロンの発明家であるヨハン・マリア・ファリナの生涯を振り返りました。はるか昔から香水文化のあるフランスで、たくさんの人々に愛される香りのオーデコロンを作り出した功績は非常に大きなものだったといえるでしょう。ファリナが発明したオーデコロンは、300年以上の年月が経った現在でも、その流れを失っていません。現代は8代目のヨハン・マリア・ファリナが技術を継承しています。香水に興味のある方は、ぜひ一度ファリナハウスを訪れてみてはいかがでしょう。

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