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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー ヘリコプターの発明家 アントン・フレットナー(ドイツとアメリカでヘリコプターの実用化に成功した天才発明家)

2024.02.26

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。空を飛ぶ乗り物は、現代の生活に欠かせないものとなっています。飛行機の最初の発明をした人物といえばライト兄弟が有名ですが、実用化という観点ではもっと多くの人物が改良を繰り返したことで、今の航空技術が構築されていきました。中でも航空機やヘリコプターの設計について、画期的な発明をしたのがドイツの発明家だったアントン・フレットナーです。第一次世界大戦・第二次世界大戦とふたつの戦争を経験したフレットナーは、それぞれの環境で大発明を行い、大きな財を成しました。今回はそんなアントン・フレットナーの生涯を振り返っていきましょう。

アントン・フレットナーの前半生(マグナス効果を応用したローター船の発明をする)

アントン・フレットナーは1885年、ドイツのヘッセン州ハッタースハイム・アム・マインで生まれました。航空機を設計する仕事をしていたフレットナーは、第一次世界大戦中に大きな発明を生み出しました。アムステルダムの航空流体研究所で指揮をとり、ローター船を発明したことはフレットナーの大きな功績のひとつです。フレットナーはスクーナーを購入して、2基の50フィートの円柱を追加しました。この船はマグナス効果(回転しながら進む物体にその進行方向に対して揚力が働く現象)によって動力を得る、世界初の船となりました。

このアイデアは、フレットナーが妻と海岸に来た時に閃いたものです。彼は砂を使って、マグナス効果で帆走できることを証明しました。実用化された船はドイツの地名から「バーデン=バーデン」と命名され、1926年には大西洋の横断に利用されました。通常のスクーナーでは走行できないような悪天候でも、バーデン・バーデンは問題なく航行することができました。しかし1931年の嵐によって破壊され、その歴史は幕を下ろしました。フレットナーはこの設計を本格的に事業に取り入れ、商業船として「バルバラ号」という新しい帆船を発明しました。

バルバラ号はローター船の最初の発明として、帆船設計の礎を築いた発明品です。しかし実用化するには維持費がかかりすぎるため、長い間発明を見送られてきました。1980年代を迎えると、世界各地でロータ船を発明する動きが再開しました。ローター船はエネルギー効率がよく、環境問題対策にもなることから、現代日本では海洋大学が掲げる研究のテーマでもあります。

アントン・フレットナーの後半生(ドイツとアメリカでヘリコプターの実用化に成功する)

第一次世界大戦は、ドイツの降伏によって終結を迎えました。ドイツは多額の賠償金を支払い、植民地を失いました。世界情勢は落ち着いたように見えましたが、戦争の火種はまだ燻っていました。そして数年後、太平洋の広い範囲を巻き込む第二次世界大戦が勃発します。

戦時中、フレットナーはヘリコプターに特化して設計を行うAnton Flettner Flugzeugbau GmbHの社長となりました。元々は回転通風器の発明を行っていたフレットナーですが、その技術をヘリコプターの製造に転用し、再び莫大な富を築きました。なおこの通風器は、改良品が現代でも生産され続けています。

第二次世界大戦中のドイツといえば、ヒトラーが率いるナチス政権が代名詞といえます。ナチスが行ったユダヤ人への迫害は、とてつもなく非人道的なものでした。フレットナーの妻や友人の父親もユダヤ人でしたが、彼をよく知る人物の手引きにより、戦争を無事に生き延びました。フレットナーは最初、海軍の哨戒機としてヘリコプターを発明しました。その後も詳細な設計と改良を繰り返し、ドイツ軍に貢献し続けました。

1945年、第二次世界大戦、および太平洋戦争が終結しました。フレットナーは他の航空機の先駆者と同様にアメリカへ渡り、フレットナー航空機会社を設立してアメリカ軍向けにヘリコプターを開発しました。米国では商業的には成功しませんでしたが、フレットナーの働きは陸軍航空で大きな割合を占めました。世界各地に大きな貢献をし続けたフレットナーの偉大な生涯は、1961年のニューヨークで幕を下ろしました。

今回は、船やヘリコプターの設計で歴史に名を残したアントン・フレットナーの生涯を振り返りました。第一次・第二次世界大戦の両方を経験し、危険な状態にあっても商売を続けた気概は非常に見事なものです。彼の残した技術は現代にも活用されており、その凄さが評価されています。

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