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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 自転車の原型「ドライジーネ」の発明家 カール・フォン・ドライス(世界的な異常気象で馬が大量死したので、馬の代わりの乗り物を発明した天才発明家)

2024.01.29

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。自転車が今の形になるまでは、数々の試行錯誤が繰り返されてきました。最初に発明された自転車の原型は、「ドライジーネ」という木製の乗り物です。前後に大きさが同じ2つの車輪を備えており、足で地面を蹴って走行するという方式でした。最高速度は時速15km/hとかなりのスピードを出すことができ、馬車よりも速く走れる乗り物として脚光を浴びました。ドライジーネはやがてヨーロッパに広まっていき、自転車産業の火付け役となりました。このドライジーネを発明したのが、ドイツの発明家として活躍したカール・フォン・ドライスです。彼はドライジーネの特許を取得し、歴史に名を残す人物となりました。今回はそんなカール・フォン・ドライスの生涯を振り返っていきましょう。

カール・フォン・ドライスの生涯(自転車の原型「ドライジーネ」を発明して特許を取る)

カール・フォン・ドライスは、1785年にカールスルーエで生まれました。若くして学問の道に進んだドライスは、ハイデルベルク大学に入学しました。そこで建設業や農業、物理を学んだあと、森林管理官として働き始めました。林業に関する仕事をしばらく行っていましたが、発明分野への興味が沸くようになり、やがて林業から発明の道を選びました。

ドライスの発明家人生は、自転車に取り憑かれた物でした。車輪は太古の時代から存在する道具でしたが、文明が移り変わっても人間が乗りこなせる自転車は発明されませんでした。車輪といえば馬車やリヤカーなど、横に並べるものであり、前後に並べるという発想がそもそもなかったのです。ヨーロッパで蒸気自動車が発明されても、自転車が発明されることはありませんでした。

自転車が発明されるきっかけとなったのは、1815年に発生した、インドネシア・タンボラ山の大噴火です。この影響で、世界的な異常低温気候が続きました。気温が十分に高くならないことで農作物は深刻なダメージを受け、人々は不作に苦しみました。不作によって苦しんだのは人間だけではありません。馬は、物や人を運ぶ家畜として重要な役割を担っていましたが、作物の不作により十分な餌を与えることができず、大量死が発生してしまいます。ドライスも馬がいなくなることには危機感を覚え、どうにか馬の代わりができるものを探していました。そこで、馬の形に似せた乗り物を考案しました。車輪を取り付けた乗り物で、「馬のいらない四輪馬車」として特許を申請しましたが、この発明は画期的なものではないとして却下されてしまいます。それでも諦めきれなかったドライスは、足で地面を蹴って進む「ドライジーネ」を発明しました。1817年にドライジーネを一般公開し、驚異的なスピードで長距離を走ったことでドイツの人々を驚愕させました。駅馬車とレースを行い、勝ったことも歴史に残されています。ドライジーネは二輪車が初めて歴史に登場した記録であり、史上初の二輪車レースだとも言われています。同年、バーデンとパリの登記所で「ドライジーネ」の特許が受理されました。ドライスはバーデンで10年間の商業権を認められ、発明家として大きく羽ばたいていきました。

カール・フォン・ドライス以外の自転車の発明家(他にも自転車を発明した人がいたのかも?)

ドライジーネの他にも、ヨーロッパの各地で自転車の原型が発明されていた、という説もあります。しかし特許の取得によって記録が残されていることから、ドライジーネ起源説はもっとも有力な候補といえるでしょう。また、ドライジーネの発明により、自転車の歴史が始まったことにも着目するべきです。ドライスは特許申請の翌年、パリでドライジーネの試乗会を開催しました。この試乗会は3,000人もの大観衆を集め、新聞や戯画などで報道・表現されました。ドライスの人生をテーマにした劇も公演され、彼の活躍は海を超えてイギリスにまで届きました。イギリスの発明家であったジョンソンはドライジーネの話を聞きつけると、鉄製フレームを使った発明を行い、自転車はますます進化していくことになります。

ドライジーネのほかに、同時代にフランスやソ連で同様の二輪車が発明されていたという起源の主張も存在します。日本でも1970年頃までは、フランスの「セレリフェール」という二輪車を自転車を起源とする説が主流でした。これらの通説は後の研究で否定され、自転車の正史としては認められませんでした。特にイタリアで主張された、レオナルド・ダ・ヴィンチの自転車のスケッチは大きな物議をかもすことになりました。1500年代にレオナルド・ダ・ヴィンチが自転車のスケッチをしたという原稿が見つかったことで、議論が再燃したのです。しかしこれを描いたのは、実際にはイタリアのとある修道士でした。1960年代にダ・ビンチの手書き原稿を修復した際、もともと描かれていた二つの円を自転車の車輪に見立て、ペダルやチェーンなどを加筆したということでした。

今回は、自転車の起源説として根強い人気のあるドライジーネを発明した、カール・フォン・ドライスの生涯を振り返りました。馬車の代わりとして発明された自転車は、のちに人間たちが移動するための手段として高い人気を集めることになっていきます。そこまでの先見の明がドライスにあったのかは不明ですが、人類史に残る大きな貢献をしたことは事実です。

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