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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 原子爆弾の発明家 マンフレート・フォン・アルデンヌ(ソビエト連邦で原子爆弾を開発するプロジェクトに参加したドイツ貴族)

2023.12.18

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。特許王といえばトーマス・エジソンを思い浮かべる人も多いでしょう。しかし、エジソンのような発明家は長い歴史の中で、世界各地に存在していました。ドイツの物理学者・マンフレート・フォン・アルデンヌは、生涯の中で600もの特許を取得したことで知られています。アンドレアの発明の中で特徴的なものを挙げるとすれば、ソビエト連邦で原子爆弾を開発するプロジェクトに参加したことではないでしょうか。日本に住んでいて、原子爆弾の歴史を知らない方はまずいないでしょう。今回はそんな、マンフレート・フォン・アルデンヌの生涯を振り返っていきましょう。

マンフレート・フォン・アルデンヌの前半生(貴族の家に生まれるが、ギムナジウムを中退して独学で物理学を学ぶ)

マンフレート・フォン・アルデンヌは1907年、ハンブルクの貴族として生まれました。5人兄弟の長男であり、幼い頃から技術に対する興味は人一倍ありました。1913年に父親がドイツ陸軍省に任命されると、アルデンヌ一家はベルリンへと移住しました。アルデンヌの勉強熱心な姿は両親を喜ばせ、教育にも力が入りました。はじめは家庭教師をつけて、自宅で教養を身につけていきましたが、1919年にはベルリンの中等学校であるギムナジウムに通い始めました。ここではテクノロジーと物理学の知識を深め、校内の競技会ではカメラと警報システムの模型を提出し、一等賞を獲得したという記録も残されています。

アルデンヌは15歳のとき、無線通信ができる多機能真空管の特許を取得しました。ギムナジウムを中退し、とある事業家とともに無線工学の開発に携わるようになります。アルデンヌの発明は安価なローカル受信機に活用されました。アルデンヌはこれまでに開発に関する著作物を出版し、特許収入と印税で多額の利益を得ていました。1925年にはこれらの収入を使って広帯域増幅器の改良を行い、現代でいうテレビやレコーダーの基礎を作り上げました。

その後、アルデンヌは大学に通うことを考え始めました。ギムナジウムを中退したアルデンヌには大学試験を受ける資格がありませんでしたが、どうにか大学に通うことができ、物理学や数学、化学などを学ぼうとしました。しかし大学での勉強はアルデンヌが思っていたより不自由なものでした。大学に馴染めなかったアルデンヌは4学期を過ごしただけで大学を辞め、独学で物理学を学ぶようになります。

マンフレート・フォン・アルデンヌの後半生(ソ連に連行されて原爆開発プロジェクトへ参加する)

アルデンヌは、貴族である実家から多額の遺産を相続しました。ベルリンに私設の研究所を設立し、国内外に名前を広めていきました。特にテレビやラジオなどの通信技術や電子顕微鏡についての研究を行いました。

このころ、世界情勢は激しく揺れ動いていました。第二次世界大戦の勃発により、ヨーロッパの各地は戦禍に晒されていたのです。そんな状況でも、アルデンヌの研究を続けられました。1931年からアルデンヌは送受信双方のブラウン管を使ったテレビの開発に取り組みました。1935年には公共テレビ放送がスタートし、翌年1936年にはベルリンオリンピックの生中継がドイツ全土で放送されました。

しかしその後、アルデンヌはドイツを離れることになります。第二次世界大戦の終結後、ソビエト連邦とアメリカは冷戦状態にあり、互いに軍事的な戦略を拡大しようとしていました。ヨーロッパの国々はソ連に狙われ、様々な研究で評価を上げたアルデンヌにもスカウトが届いたのです。アルデンヌを筆頭にしたドイツの研究者4人は「ソ連からの接触があれば残りの人に知らせる」という協定を結びました。しかし4人の中にはすでにソ連からのコンタクトを受けていた人物がおり、4人はソ連に連行されることになります。そこでは原爆開発プロジェクトへの参加を打診されましたが、ドイツに帰れなくなることを危惧したアルデンヌは同位体圧縮の研究を進めることを提案し、ソ連側はこれを承認しました。この研究で確かな成果を上げたアルデンヌは、やがて原子核融合制御に向けたプラズマの研究へと移行しました。

ドイツに帰還する前、アルデンヌは1947年と1953年に2度ソビエト連邦国家賞を受賞しました。賞金として10万ルーブル(日本円にして16万円ほど)を受け取り、東ドイツに新しく研究所を設立するための資金として使用しました。ドイツに戻ったアルデンヌは、ドレスデン工科大学の教授を務めることになりました。ドレスデンにも私立研究所を立ち上げましたが、東西ドイツの統一直後に債務超過で倒産し、その後は別の研究所として再設立されました。

その後は電子ビーム炉の開発や医療関係の開発を進め、数々の特許を取得しました。600もの特許を取得したアルデンヌは、ドイツ史に残る傑物として語られています。

今回は、ドイツの物理学者であるマンフレート・フォン・アルデンヌの生涯を振り返りました。ドイツの貴族に生まれたアルデンヌは、高い才能を持ちながらも中等学校、大学ではうまくいかず、社会に出てからその実力を発揮しました。第二次世界大戦終戦後のソビエト連邦では原子爆弾の開発に関わり、軍事的な意味でも大きな功績を残しました。想像もつかないほど大きな実績を残した偉人たちのエピソードを集めてみるのも、なかなか面白いものですね。

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