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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 自動車の発明家 カール・ベンツ(ダイムラー・ベンツ社の創業者)

2023.12.11

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。ドイツの高級車ブランド「メルセデス・ベンツ」にも、実用化に至るまで長い歴史があります。多くの人々が試行錯誤を重ねて、改良を繰り返したからこそ、現在の人気があるのです。メルセデス・ベンツの基盤を築いたのが、ドイツの自動車技術者であるカール・ベンツです。彼の名前はブランド名に冠され、その栄光は今でも語り継がれています。今回はそんな、カール・ベンツの生涯を振り返っていきましょう。

カール・ベンツの前半生(理系の天才児として活躍する)

カール・ベンツは、1844年、ドイツ南西部バーデン大公国の旧ミュールブルクで生まれました。父親は機関運転士をしていて、工学の知識が豊富な家庭で育ちました。両親はカールの誕生時点で結婚しておらず、「カール・フリードリヒ・ミヒャエル」と名付けられました。両親はカールの誕生から数年後に結婚することになります。しかしカールが2歳のときに父親が鉄道事故で亡くなり、父の名をとってカール・ベンツを名乗るようになりました。

一家の大黒柱を失ったベンツ一家は裕福な家庭環境ではありませんでしたが、母は教育に力を入れました。カールはカールスルーエのグラマースクールに入学し、ずば抜けた才能から「神童」の称号をほしいままにしました。父の影響なのかカールは幼いころから工学技術に興味を示しており、9歳のときに理系の学校へと通うようになります。入学時点では錠前の製造技術に高い関心を持っていましたが、彼の情熱はやがて蒸気機関車へと移っていきます。

15歳のときにはカールスルーエ大学の機械工学科の大学入試を受け、合格。そのまま同校に入学すると、機械工学や内燃機関の研究を行いました。19歳で大学を卒業すると、自力走行する乗り物の開発を構想し始めました。それからいくつもの機械工場を転々とし、技術者としての腕前を上げていきました。しかし、彼に合う職場が見つかることはありませんでした。

カール・ベンツの後半生(自動車会社を設立して大成功する)

転職を繰り返して数年が経ったころ、カールは起業を試みました。アウグスト・リッターという人物と共同で機械工作所を立ち上げたものの、リッターは信頼に足る人物ではなく、会社もうまくいきませんでした。最終的にカールは婚約者であるベルタ・リンガーの持参金を使ってリッターの持ち分を買い取り、会社を完全に自分のものにしました。ベルタとは1872年に結婚し、5人の子をもうけました。

カールとベルタは工場の共同経営者となり、開発に取り組みました。初めは2サイクルエンジンを開発し、1879年に特許を取得します。この数年後、カールは発明家としての手腕を遺憾なく発揮し、数々の発明品で特許を取得し続けました。

工場の経営は順調なように思えましたが、融資を受けていたマンハイムの銀行は経費がかかりすぎていることを理由に他の会社との合併を要求しました。融資を断られることを嫌ったカールはすぐに他業種の会社と合併しましたが、ベンツの株式は5%にまで減少し、社長という立場も失いました。会社内での発言権もなくなったため、ベンツはこの会社を離れる決断をしました。

しかし、ベンツの人生はそこで終わりませんでした。彼は自転車という趣味を通じて、自転車修理店を営むマックス・ローゼ、フリードリヒ・ヴィルヘルム・エスリンガーという2人の人物と知り合いました。3人でBenz & Cie.という会社を設立し、驚異的なスピードで成長していきました。この会社では産業機械を製作しており、据え置き型のガスエンジンなどの生産も行いました。

経営が軌道に乗ったことで、カールは自力走行する車両の設計に乗り出しました。かつて思い描いた夢、半ば諦めかけていた目標にようやく挑戦できる機会を得たカールはその才能を存分に発揮しました。1885年に完成した自動車は「ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン」と名付けられました。

その後自動車の販売を開始すると、自動車産業の火付け役となりました。最初はパリで販売を行い、少しずつ自動車の人気を広めていきました。急成長したおかげでマンハイムの工場を拡張する必要に迫られ、1886年に新しい工場を創設。1889年にはBenz & Cie. の従業員は430人という大所帯になり、大企業への道のりを歩み始めました。

自動車産業の爆発によって、競合となる会社も次々に生まれます。中でもシュトゥットガルトのダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト(DMG)は、真っ向からBenz & Cie. に挑戦し始めました。DMGは新たなエンジンを搭載した自動車を発明し、この自動車は「メルセデス」と名付けられました。2つの会社は競い合いながら、次々にヒットする自動車を作り続けました。

激しく競争を繰り広げた両社は、1926年に合併することになります。背景にあるのはドイツ全体の不況であり、ベンツ社・ダイムラー社はそれぞれのブランドを保持したまま生産・販売を行うという「相互協定」を2000年まで続ける契約を結びました。こうして会社名は「ダイムラー・ベンツ」となり、自動車のブランド名は「メルセデス・ベンツ」に統一されました。現代のメルセデス・ベンツが誕生したのはこの瞬間です。それからのベンツ社はご存知の通りの活躍を見せ、現在は高級車ブランドとしての地位を確立しています。

1929年、カールは気管支炎の悪化で亡くなりました。彼の偉大な人生は、自動車の歴史に刻まれ続けるでしょう。

今回はメルセデス・ベンツの創設者であるカール・ベンツの生涯を振り返りました。発明家としても企業家としても高い才能を持ちながら、若い頃は苦労していたことが窺えます。しかしそんな経験があったからこそ、メルセデス・ベンツのような一大ブランドを築けたのかもしれません。街で見かける車たちにもそれぞれの歴史があることを考えると、いつもの景色もちょっとだけ豊かに感じられますね。

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