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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 電磁式指針電信機の発明家 ヴェルナー・フォン・ジーメンス(ドイツにおける電気工学の父と呼ばれる、電気・通信大手のシーメンスの創業者)

2023.11.24

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。世界中に支社を持つ電気・通信大手のシーメンスは、多くの製品で世界シェアトップクラスを誇る大企業としての地位を確立しています。このシーメンスを創業したのが、ドイツの実業家だったヴェルナー・フォン・ジーメンスです。軍事的な立場から工業についての知識を深めていき、数々の発明を行ったジーメンスは、退役後に事業を起こしました。製造業での活躍は世界中に広まり、今ではあらゆる産業分野の発明品を開発しています。そんな大企業に成長したシーメンス社の創業者・ヴェルナー・フォン・ジーメンスの生涯を振り返っていきましょう。

ヴェルナー・フォン・ジーメンスの生涯(学校を中退して軍人になって工学を学び、退役後に製造業を起こして大成功する)

ヴェルナー・フォン・ジーメンスは、1816年、ハノーファー近郊のレンテで生まれました。レンテは現在のゲールデンの一部です。実家は農家であり、14人の兄弟とともに幼少期を過ごしました。兄弟の中には、シーメンス平炉を発明したウィリアムや、蓄熱式加熱法を活用したガラス用の炉(シーメンス炉)を発明したフリードリヒなどがおり、工業に関する発明で有名な兄弟となっていきます。

ジーメンスは学校に通って勉学に励んでいましたが、卒業前に中退。その後はドイツ軍に入隊し、工学を学んでいきました。この時の経験が、のちの製造事業に大きく活きることになります。ジーメンスは軍属中、モールス符号を使わないで針で文字盤の文字を指すことで電文を伝える装置電磁式指針電信機や地下ケーブルなどを発明し、軍事力強化に貢献していきました。近代のヨーロッパでは軍事衝突が激しく、ドイツ軍も周辺諸国と戦争をしていました。ジーメンスは従軍中も兵士として活躍し、周囲からも高い評価を得ていました。

戦地から帰還すると、ジーメンスは軍を離れる決断をしました。軍隊で培った発明の技術を活かして、製造業を立ち上げようと考えたのです。陸軍将校時代に特許の関連で知り合った技術者のハルスケとともに「ジーメント・ウルス・ハルスケ」を創業しました。これがのちのジーメンス社の立ち上げとなります。創業してからすぐ、国内で熱い人気を獲得し、まもなく世界へと進出していきました。兄弟に各地の支社を任せ、イングランドやサンクトペテルブルクなどの支社は独立採算として経営を行っていきました。

ジーメント・ウルス・ハルスケは飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長していき、世界各地に支社を拡大していきました。数々の産業分野で画期的な発明をし続け、多くの人々に多大な貢献を果たしました。1888年に叙爵され、「ヴェルナー・フォン・ジーメンス」と名乗るようになりました。叙爵から2年後、ジーメンスは表舞台から引退。さらに2年後の1892年、ジーメンスはその偉大な人生に幕を下ろしました。

ヴェルナー・フォン・ジーメンス亡き後のさらなる大発展(明治時代に日本に進出して古河財閥のバックになる)

ジーメンス・ウルト・ハルスケ(現在のシーメンス社)は怒涛の勢いで支社を増やし、世界各地で活動するようになります。現在では情報通信、電力関連、交通・運輸、医療、防衛、生産設備、家電製品など多岐にわたる分野でその活躍が知られています。近年では鉄道車両やMRI、補聴器などを発明しており、社会貢献の寄与という意味でも多くの人々に注目されています。

そんなシーメンス社が日本に上陸したのは、1861年のこと。徳川将軍家のもとにドイツの外交使節が訪れ、シーメンス製の電信機を献上しました。5年後、倒幕運動によって大政奉還が行われると、日本は明治時代に突入します。明治の初め、ドイツのヘルマン・ケスラーという人物が日本を訪れました。彼の目的は、シーメンス社の勢力を日本でも拡大することです。これを機に東京事務所が開設され、その後日本でも根強い人気を誇るようになります。19世紀にシーメンスが行った事業の代表例として、足尾銅山への電力輸送設備設置や九州鉄道へのモールス電信機据付、京都水利事務所など多数の発電機供給、江ノ島電気鉄道株式会社への発電機を含む電車制御機および電車設備一式の供給、小石川の陸軍砲兵工廠への発電機供給などが挙げられます。

1901年にはシーメンス・ウント・ハルスケ日本支社が創立され、発電・通信設備を中心とした製品供給が続き、八幡製鐵所、小野田セメント、伊勢電気鉄道、古河家日光発電所、曽木電気(のちの日本窒素肥料)などへ発電設備を供給しました。通信省には電話関係機器の多量かつ連続的な供給を行い、日本の電力事業に欠かせないポジションを獲得しました。豆知識ですが、古河財閥の富士電機と富士通の名前に含まれる「富士」とは、古河の頭文字「ふ」とジーメンスの頭文字「じ」に因んだものであることは有名です。

その後二度の世界大戦が勃発し、激動する情勢の中でも需要を維持し続け、現在でも息長く活動を続けています。

今回はシーメンス社の創業者であるヴェルナー・フォン・ジーメンスの生涯を振り返りました。軍人としても優秀で、偉大な発明を残したジーメンスはまさに歴史に名を残す人物としてふさわしいでしょう。世界に誇るシーメンス社の活躍には、今後も期待できますね。

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