【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー ペダル付きの自転車「ベロシペード」の発明家 ピエール・ミショー&エルネスト・ミショー親子(自転車事業で大成功するがブームが去って破産した悲運の親子発明家)
2023.10.16
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。自転車の量産体制が築かれたのは、近代ごろのフランスでの出来事です。ペダル付きの自転車「ベロシペード」が発明されると、数多くの自転車が生産され、多くの人々に届けられるようになりました。この自転車を発明したのが、ピエール・ミショーとエルネスト・ミショーという親子です。彼らの事業は、自転車業界の発展に大きな影響をもたらしました。1870年に破産するまで、ミショー親子の躍進は続きました。今回はそんな、ピエール・ミショーとエルネスト・ミショー親子の生涯を振り返っていきましょう。
ピエール・ミショーとエルネスト・ミショーの前半生(ペダル付きの自転車「ベロシペード」を発明する)
ピエール・ミショーは、1813年生まれの錠前師・馬具製造業者です。14歳頃から錠前の徒弟修行をしていたピエールは、フランス各地を飛び回って仕事をしていました。あるときパリで馬具の錠前を製造する事業を思いつき、定住することに。それからしばらくはこの事業で生計を立てていきました。
ピエールには、4人の息子がいました。その中の一人、エルネストは当時流行していたドライジーネ型の自転車だと足が疲れてしまうことに気付きました。ピエールはこの話を聞き、クランクを取り付けて前輪を回転させる仕組みを思いつきました。これがきっかけで、のちのベロシペードの発明が行われたとされています。この自転車には、ブレーキの取り付けや前輪の直径の拡大など、様々な改良が行われました。量産体制が構築され、多くの台数を生産したものの、乗り心地は「骨を揺らすもの」と称されるほど粗悪なものでした。
最初は、2台のベロシペードから始まりました。着実に人気に火が付き、1862年にはペダル付きベロシペードを100台製造するほどの規模までのし上がりました。事業の拡大に伴い、ミショー親子は新たな工房を立ち上げて生産を行いましたが、需要増加の勢いはとどまることを知らず、生産が追いつかない事態となってしまいます。売り上げの面ではうれしい悲鳴でしたが、生産体制を持ち直すためにオリヴィエ兄弟と手を組み、合同で新会社を設立しました。この会社は1969年に解体・分散し、ひとつはパリ・ベロシペード会社として新体制を立ち上げました。従業員は150人の規模を誇り、1日に150台のベロシペードを生産できるようになりました。生産だけでなく、修理工房や技能習得のための工房も設立されました。
ピエール・ミショーとエルネスト・ミショーの後半生(ビジネスに失敗して破産して失意の中で親子とも死去する)
自転車事業は、怒涛の勢いで業績を伸ばしました。しかしこの勢いは、長くは続きませんでした。ベロシペードの人気は一過性のもので、ブームが過ぎ去ると購入される機会は激減しました。採算が合わず、ミショー親子の会社は破産という結末に至りました。さらに同時期、普仏戦争が勃発。自転車どころではない市況となってしまったため、自転車業界はさらなる苦難に晒されました。フランスはプロイセンに惨敗し、領土と多額の賠償金を支払うことになります。国全体が危機に陥り、商売人が受けた影響は計り知れないものでした。事業の回復も図れず、ミショー家は没落していきました。ミショー家が破滅に陥っていく中、オリヴィエ兄弟は新たな事業への参入を試みました。しかし結果的に再建はかなわず、オリヴィエ兄弟の事業も解散することになりました。
自転車事業で成功した貯蓄があったため、しばらくは食いつなぐことができましたが、生活にゆとりは生まれませんでした。貧困のために栄養は十分に取ることができず、苦しい生活を送ることになります。事業の主要人物であったエルネストは1882年にこの世を去りました。翌年、父親であるピエールも死去し、ミショー親子の人生は転落のまま終わりました。
今回は、自転車の歴史において特徴的な立ち位置として示されるミショー親子の生涯を振り返りました。当時の自転車の問題点を見抜き、改良に移した観察眼と実行力は、後世に名を残すべき功績だったと言えるでしょう。しかし、時代の流れは残酷です。栄華を極めたかのように思える事業でも、国全体が揺らぐ出来事によってすべてが台無しになってしまいます。自転車事業の成功が彼ら親子の人生のたった一部分にしかならなかったのは、残念というほかありません。歴史が違えば、もしかしたら自転車を流行させた立役者として語られるのはミショー親子だったのかもしれません。そんな視点で物事の歴史を追いかけるのもまた一興です。