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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 輪転機の発明家 イポリット・オギュスト・マリノニ(近代新聞の基礎を築いて大富豪となったマリノニ社の創業者)

2023.10.13

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。新聞や雑誌など、紙媒体の書類には印刷の技術が使用されています。印刷技術を改良し、近代新聞の基礎を築いたのが、フランスの製造業者であったイポリット・オギュスト・マリノニです。マリノニは製造事業を立ち上げ、印刷機の普及に尽力しました。新聞の登場によって各地で起こった出来事を把握できるようになり、人々の生活における情報はさらに豊かになっていきました。近代新聞の功績を築き上げた人物としても知られています。今回はそんなイポリット・オギュスト・マリノニの生涯を振り返っていきましょう。

イポリット・オギュスト・マリノニの前半生(印刷技術の研究をして輪転機を発明する)

イポリット・オギュスト・マリノニは誕生したのは、1823年のこと。父親はブレシアの生まれで、ナポレオンの部下として軍属していました。パリでは国家憲兵隊の将校として活躍したのち、1830年に死去しました。父親の死後、マリノニは徒弟修行の道へと進み、製造に関する技術を磨いていきました。1837年には旋盤に関する特許を取得し、そのほかにも米の脱穀や綿花の綿刳ができる機械を発明して活躍をしていきました。

1838年からは、印刷機製造業者のピエール=アレクサンドル・ガヴォーに弟子入りし、彼の下で働き始めました。ここでは印刷に関連する技術を学び、マリノニのその後の人生に大きな影響を与えました。特に印刷機の発明に関しては、当時の印刷機の問題点を直接体験していたので、自分が発明側に回ったときにさらなる改良を行うための知見が身についていきました。マリノニはおよそ9年間ここで働き、やがて自ら印刷機を発明しました。この印刷機には回転胴が2本備わっており、1時間に1500枚の印刷が可能となりました。この発明とともに、マリノニはガヴォーの下を離れ、製造業の事業を立ち上げました。1850年からはボビンと回転動の改良を行うため、ドイツ人のヤコブ・ヴォルムスに協力を要請しました。彼はボビンと鉛板を用いた機械を扱っていたため、専門的な知見を持つという観点では強力な助っ人でした。ヴォルムスの協力を得て発明した輪転機は世界初の発明でしたが、商品として発売されることはありませんでした。一方、マリノニはリトグラフの印刷機製造にも力を入れていました。1866年には両面印刷が可能で、余白の位置を6つ指定できる機能を備えた輪転機として、「紙折り機能付き輪転機」の特許を取得しました。1872年には従来型の新印刷機よりも構成の巻取式印刷機を製造し、フランスの新聞社で初めて最初の輪転機が納入されました。その後は5台の輪転機が設置されるなど、マリノニの印刷事業は勢いを増していきました。

イポリット・オギュスト・マリノニの後半生(新聞社の株主となってカラー印刷新聞で大成功する)

1882年、マリノニは『Le Petit Journal.』紙の株主となります。印刷における高い技術や発明への知見などを活かして、この新聞の評価をどんどん上げていきました。外部からは「新聞のパトロン」とまで称されるようになり、彼の活躍はパリ中に広まっていきました。特に色彩の重要性は、マリノニがもっとも意識した部分です。モノクロの新聞よりも色合いを巧みに使うことで、見やすさを上げる試作でしたが、これは大きな成功を修めました。1889年に発明した多色刷りが可能な輪転機は多くの新聞社で利用され、マリノニは怒涛の勢いで印刷事業を推し進めていきました。『Le Petit Journal.』紙は『日曜版』『文芸版』『絵入り版』と遷延し、最終的には民衆の支持を獲得するまでに至りました。『絵入り版』は第一面と最終面が色刷りとなっており、様々な出来事をより詳細に伝える役目を果たしました。事業は大成功を修め、マリノニは栄光を掴んだまま1904年に亡くなりました。

マリノニ社は、創業から150年以上が経過した現在でも存続しています。印刷機の製造技術は業界でも高いレベルを誇っており、全世界に知られた企業となっています。とはいえ、常に順調だったわけではなく、吸収や合併を繰り返してなんとか生存してきたという方が正しいでしょう。現在はGOSSインターナショナルグループの傘下に入り、事業を行っています。

マリノニ社の輪転機は、1890年に日本に輸入されました。マリノニが製造した輪転機が日本に輸入されたのは1890年であり、帝国議会の開設に合わせて官報印刷用に導入した内閣官報局と、朝日新聞社に導入されました。このマリノニ輪転機は、8ページ建ての新聞を1時間に3万部印刷することが可能であり、従来の旧型機の20倍相当の効率を誇りました。20世紀に入ると、マリノニ輪転機を参考に製造された国産の輪転機が普及するようになります。これは「マリノニ型輪転機」などと称され、ほぼ半世紀にわたって日本の新聞印刷機の主流となりました。

今回は、近代新聞の基礎を築いた人物として知られるイポリット・オギュスト・マリノニの生涯を振り返りました。印刷事業を進めることで、新聞の表現力が高まり人々の暮らしはより便利なものになっていきました。毎日読んでいる新聞にも、このような歴史があることは意外と知られていません。日常生活の何気ない部分にも、その起源を辿ってみると面白い発見に出会えるかもしれませんよ。

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