【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 多重化電信システムの発明家 エミール・ボドー(偉大な発明をするが経済的には恵まれずに終わった可哀想な発明家)
2023.10.06
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。スマートフォンやパソコンなど、現代においてデジタル通信は欠かせない連絡手段となっています。離れた場所にいる人とも手軽にコミュニケーションをとることで、日常生活や仕事上の連絡も取りやすくなりました。そんなデジタル通信の先駆者として名を残した人物が、フランスの電信技師だったエミール・ボドーです。彼は多重化電信システムを開発し、電信技術の発展に多大な貢献を果たしました。今回はそんな、エミール・ボドーの生涯を振り返っていきましょう。
エミール・ボドーの前半生(フランス郵便電信局で多重化電信システムを発明する)
エミール・ボドーは、1985年に誕生しました。フランスのオート=マルヌ県マニューで、農家を営む家系で育ちました。教育を受けたの小学校のみで、その後は父親の農作業を手伝いながら過ごし、1869年にフランス郵便電信局に入りました。
しかしその後すぐに普仏戦争が勃発。ボドーは一時的に従軍しましたが、1971年に戦争が終わると、ボドーはパリでフランス郵便電信局に戻りました。
フランス郵便電信局で、ボドーは電信事業部局に配属されました。ボドーの仕事は、複数の電信メッセージを多重化するシステムの開発です。当時の電信機のほとんどは文字を送信する時間以外に回線が利用されておらず、時間効率の面で改良が必要だと考えられていました。郵便電信局ではデイビット・エドワード・ヒューズが発明した電信機を活用しており、ボドーはこれを使用して、ひとつの機械で複数の電信メッセージを送るためのシステム開発に取り組みました。最初の実験として、電信における時分割多重化の応用を実践しました。送信側と受信側のスイッチを同期することで、最大5つまでメッセージを同時に送信できる機構です。このシステムは5年後、フランス郵便電信局で正式に採用されました。
ボドーは1870年、電信符号を発明しました。この技術で1874年に特許を取得しました。オンとオフが等間隔の5ビットの符号を使うことで、ローマ字や句読点、制御信号の電信にも対応できるようにしたものです。1874年〜1875年の間に、符号を送信するための機械も完成させています。ボドーのアイデアは画期的な発明であり、多重化電信システムの開発は成功を収めました。
エミール・ボドーの後半生(多重化電信システムが実用化されて大成功するが経済的には恵まれずに終わる)
5ビットの符号を使用した多重化電信システムは、1975年に電信局に受け入れられました。最初の試験はパリとボルドーの間で行われました。2年後の終わりごろには、パリとローマの間で通信が成功し、二重ボルドーの運用が始まりました。このシステムは1878年のパリ万国博覧会で展示され、ボドーは金メダルを獲得しました。この栄誉は全世界に伝わり、このシステムは世界的に広く知れ渡ることになります。
ボドーはシステムの成功後、1880年に郵便電信局の管理人に昇進しました。2年後の1882年には検査技師に任命されるなど、輝かしい経歴を歩んでいきました。
その後も多重化システムは多くの場所で使用され、そのニーズは拡大していきました。1887年にはダブルボドーとして二重化され、送信機と受信機をレコーダー代わりにする実験に成功しました。1890年にはパリ、ヴァンヌ、ロリアンの間に1本のワイヤを介して通信を確立。1894年にはそれまでヒューズの電信機で問題が発生していたパリ・ボルドー間の装置に一本のワイヤーを介して通信を確立し、改良を行いました。同年、パリ証券取引所とミラノ証券取引所の間で、新たな発明である再送信機を使用して、再び1本のワイヤー通信を確立しました。
これだけの功績を残していたものの、ボドーの暮らしは裕福とは言えないものでした。それは、考案したシステムについてフランス電信局からの援助をほとんど受けていなかったからです。システム自体はフランス国内の各地で使用されるほどの評判となり、莫大な利益を産み出しましたが、ボドーの懐に入るお金はごく少量でした。万国博覧会で授与された金メダルを売りに出さなければならないほど生活は困窮し、研究資金の捻出も大きな問題でした。
ボドーの電信システムはフランス国内だけでなく、やがて国外へと広まっていきます。内陸部で最初に導入されたのは、1887年のイタリアでのことです。さらにオランダ、スイスと続き、1897年には海を超えてオーストラリアとブラジルで採用されました。1897年にはイギリス郵便局で採用され、ロンドンとパリを繋ぐ単身回路が完成。翌年からはさらに汎用的な使用が行われました。
1890年、ボドーは結婚しますが、相手の女性は結婚後わずか3ヶ月で亡くなりました。ボドー自身も電信の仕事を始めてから身体的な不調を抱えていました。頻繁に仕事を休むこともありながら、発明の仕事を続けていましたが、1903年にボドーはこの世を去りました。
今回は、電信技術の発展の立役者であるエミール・ボドーの生涯を振り返りました。彼の発明は同時に複数のメッセージを送信できるというものであり、画期的な発明でした。偉大な発明を行った反面、ボドー自身に栄光の時代は訪れなかったことは遺憾に思います。先人の発明に感謝して、今後の生活を送りたいものですね。