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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 写真の発明家 ニセフォール・ニエプス(偉大な発明をしながらも不遇な人生を送った悲運の発明家)

2023.09.18

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。写真技術の完成は、人類の科学に大きな発展をもたらしました。風景を思い出として残しておくことに加え、科学研究の調査やコミュニケーションのためのツールとしても大きな意味を持っています。手探りで研究を行っていた中世時代、写真は魔法のようなものと考えられていました。風景を切り取って映し出す技術は当時の人々からは考えもつかないもので、原理も不明なままでした。しかしそんな中でも、「わからない」ということに対して真剣に向き合った人々が存在します。写真技術の研究にも、多くの人が原理の解明と装置の開発に挑戦していきました。写真技術の先駆者として知られるのが、フランスの発明家であるニセフォール・ニエプスです。彼はジオラマ画家のダゲールと協力して、世界初の写真画像の作成に成功しました。今回はそんな、ニセフォール・ニエプスの生涯を振り返っていきましょう。

ニセフォール・ニエプスの前半生(フランス革命で没落して科学研究を始める)

ニセフォール・ニエプスは、1765年、フランス中部のソーヌ=エ=ロワール県シャロン=シュル=ソーヌで生まれました。一家は法律家であり、裕福な生活を送っていました。しかしその歴史は、決して簡単なものではありませんでした。当時のフランスでは上流階級の国民に対する反発感情が爆発し、やがてフランス革命という一国を取り巻く大抗争に発展します。多くの市民にとっては権利を獲得した偉大な出来事でしたが、ニエプス一家にとっては没落のきっかけとなるものでした。多くを失った一家は残された資産でなんとか生計を立てていきました。

ニエプスははじめ、ナポレオンのもとでフランス軍の士官を努めていました。フランスを離れ、イタリアやサルディーニャ島で軍役に就いていたものの、体調不良を理由として退役します。その後結婚し、フランス革命後の国内でニース地区を任されるようになりました。1795年には完全に軍人を辞め、兄のクロードと共に科学研究に取り組み始めます。

兄弟で行った研究の中でもっとも大きなものは、「ピレオロフォール」という内燃機関です。これはヒカゲノカズラの胞子を使って粉塵爆発を起こし、エネルギーを得るという仕組みで構築されています。ボートの推進力として用いて、ソーヌ川を移動できるようにしたことで有用性を認められました。世界初の内燃機関として、多くの科学者がこの成功をたたえました。

しかしこの発明は、よい部分だけではありませんでした。兄のクロードはロンドンでピレオロフォールの事業化に取り組みましたが、適切なものではありませんでした。事業は立ち行かず、資金も減っていく中でクロードは一家の蓄えに手を出していました。浪費に近い使い方をしていたため、一家の財産はほとんどなくなってしまいます。いくら資金を投入しても改善の兆しは見えず、クロードはやがて精神を病んでしまいました。

ニセフォール・ニエプスの後半生(写真技術の完成間近で脳卒中のために亡くなる)

ニエプスが写真技術の研究に取り組み始めたのは、1793年のこと。光を使って像を定着させる技術について、多大な関心を抱いていました。1798年ごろにヨーロッパでは石版画が流行し始めますが、まだ注目している人が少ない段階で光に関心を向けていたのはニエプスの先見の明といったところでしょうか。いくつかのカメラを作りましたが、どれも実用化には至らないものでした。

ニエプスは1829年、さらに進んだ写真技術を開発するためにパリで活躍していたマンデ・ダゲールと手を組みました。研究の途中で、ニエプスは脳卒中を患いこの世を去ることになりますが、彼の研究はダゲールと息子のイシドールに引き継がれました。最終的に「ダゲレオタイプ」と呼ばれるカメラが完成し、1839年に二人の研究の成果が身を結びました。ダゲールはこの成果をフランス政府に売り込み、毎年6,000フランの年金を受け取り、ニエプスの遺族にも毎年4,000フランの年金を贈ることが約束されました。しかし、イシドールはこれに反発し、フランス政府に対してダゲールの成果はニエプスの成果を引き継いだだけだと主張しました。しかし当時の技術者の間では、ニエプスの貢献を認めない意見の方が多数でした。現在ではニエプスの研究成果は世界初の成功例だったことが認められています。

ニエプスの墓は、サン=ルー=ド=ヴァレンヌの墓地に建てられました。ニエプスの一家は破産状態であり、墓を立てる資金もありませんでしたが、自治体の資金提供によって墓を立てることができました。この墓地は、ニエプスが世界初の写真を撮影した一家の屋敷の近くに建てられています。

今回は、世界初の写真技術開発の立役者として知られるニセフォール・ニエプスの生涯を振り返りました。偉大な発明をしながらも、兄の事業失敗による破産、研究中の急死、そして発明への貢献を長年認められないなど、不遇な扱いを受けていたことは不便でなりません。無事に評価され、偉大な発明家として名を残した彼のことは、今後とも語り継いでいきたいものです。

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