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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー パーソナルコンピュータにおける統合開発環境+オフィス用ソフトウェア+カメラ付き携帯電話の発明家 フィリップ・カーン(オフィス用ソフトウェアの分野では、マイクロソフトやロータスなどの大手企業と競合して敗北してしまった発明家)

2023.08.25

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。パーソナルコンピュータも、そのように発明された技術のひとつです。パーソナルコンピュータ上でマイクロソフトのエクセルなどを使って仕事をする便利さは、今では日常生活に欠かせないものとなっています。このパーソナルコンピュータにおける統合開発環境やオフィス用ソフトウェアなどを発明したのが、フランス出身の実業家であるフィリップ・カーンです。彼はボーランド社をはじめとするパーソナルコンピュータにおける統合開発環境やオフィス用ソフトウェアに関する会社をいくつも立ち上げ、成功を収めてきました。ボーランド社で開発された「ターボパスカル」は、1990年代の統合開発環境として大ヒットを記録しました。もっとも、オフィス用ソフトウェアの分野では、マイクロソフトやロータスなどの大手企業と競合して敗北してしまいました。今回はこのフィリップ・カーンの生涯を振り返っていきましょう。

フィリップ・カーンの前半生(フランスで生まれてコンピュータソフトウェアの開発で才能を示す)

フィリップ・カーンは、1952年にフランスで生まれました。学歴として、チューリッヒ工科大学・フランスのニース大学で学問を収め、ニース大学で数学修士の学位を取得します。チューリッヒでは学問のみならず、音楽学校でフルートの演奏と音楽学を学んだ経緯も持っています。特にジャズと西洋クラシックに詳しく、のちにアルバムを出すことになります。

大学在学中の1973年、カーンは独力でMical向けのソフトウェアを開発します。Micralは世界初の完成品パーソナルコンピュータとして開発されたものです。結局Micral自体は商品としては成功しなかったものの、人類初のパーソナルコンピュータとしての価値は非常に大きいと言えるでしょう。

カーンは Fullpower社のソニア・リーを妻にもち、4人の子どもを設けています。環境問題への意識が高く、夫婦で環境問題に関する基金(リー-カーン基金)を運営しています。

発明家としてだけでなく、音楽や社会についての興味も人一倍強いカーンは、まさしく天才と呼ばれるにふさわしい人物だといえます。発明においては10を超える特許を取得し、技術や発明、産業に関する賞を何度も受賞しています。

フィリップ・カーンの後半生(アメリカに不法移民として移住して、不法移民のまま起業して成功する)

カーンの人生が大きく動き出したのは、1982年にアメリカを訪れたときでした。旅行者としてアメリカに赴いたカーンは、ヒューレット・パッカードに就職したものの、不法滞在者だとして解雇されてしまいます。カーンは他の会社でコンサルタントとして働きながら、ボーランドインターナショナルを起業しました。当時はまだアメリカの居住権を取得しておらず、ツーリストビザで4年の時を過ごしました。1986年、アメリカの永住権を手に入れ、現在ではアメリカに帰化しています。

ボーランドは数々の商品を開発していますが、特に注目すべきは最初のヒット商品である「ターボパスカル」です。インテルx86用の言語処理系を幅広く開発し、関連してオフィス用ソフトウェアも大量に開発していきました。同時期の同ジャンルの最先端といえば、世界的にも有名な企業であるマイクロソフトとロータスです。発売当初こそターボパスカルやオフィス用ソフトウェアの売れ行きは順調で、莫大な利益を産み出しましたが、マイクロソフトの痛烈な反撃に合ってしまいます。市場内のポジション争いでマイクロソフトに勝つことは難しく、ボーランドのオフィス用ソフトウェアは市場からの撤退に追いやられてしまいます。しかし、会社が潰れたわけではなく、次のチャンスを虎視淡々と狙っていました。

このオフィス製品を巡った闘争で、ボーランドはむしろ知名度を上げました。世間的には「あのマイクロソフトに勝負を挑んで生き残った企業」というイメージで捉えられ、称賛する声も多く見られます。そこには、対外的な理由のみならず、商品の品質の良さも影響しているのではないでしょうか。カーンは12年間、ボーランド社を社長・CEOとして牽引してきました。しかし、ベンチャーキャピタルからの投資も受けずにゼロから年商5億ドルの大企業に育て上げた腕前を持ちながらも、会社の方針について取締役会と対立し、1995年にはCEOの座を追われてしまいます。その後は取締役として会社に留まりましたが、1996年に辞職することを決めました。

ボーランド社を辞職したあとは、他の会社の運営に力を入れました。それぞれの会社でも魅力的な商品を開発しています。妻のリーと設立したStarfishでは、デバイス統合のための核となるプロトコル (core IP) のほとんどを開発しました。また、カーンのもっとも有名な発明品としては、Lightsurf社で開発したカメラ付き携帯電話が挙げられます。2006年には全世界で6億台を超える販売台数を記録し、ますますその認知度を高めていきました。現在は、生命科学とワイヤレス通信技術を試みる企業であるen:Fullpower TechnologiesのCEOとして活動しています。

今回は、通信機器の製造で大きな成功を収めたフィリップ・カーンの生涯を振り返りました。彼が立ち上げたボーランド社は、マイクロソフトと競合しながらも生存競争を生き抜いた数少ない企業です。会社の方針を巡って対立が進み、カーン本人が離れることになってしまったことは残念ですが、数々の功績を忘れてはいけません。現在も新たな技術を発明し続けているフィリップ・カーンには、今後の期待も高まりますね。もしかしたら、技術革新によって歴史が変わる瞬間に立ち会えるかも知れませんよ。

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