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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー アルミニウムの精製法の発明家 チャールズ・マーティン・ホール+ポール・エルー(同じ年に生まれて、アメリカとフランスで独自に同じアルミニウムの精製法の発明をして、同じ年に亡くなった不思議な二人の発明家)

2023.08.21

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。1円玉や飲み物の缶などに使用されているアルミニウムの製法も、画期的なアイデアによって生成されています。アルミニウムを精製する方法のひとつに、溶融させた物質を電気分解することによってアルミニウムを精製する溶融分解法があります。そしてこの溶融分解法の代表例が、アメリカのチャールズ・マーティン・ホール、フランスのポール・エルーによってそれぞれ独自に開発されたホール・エルー法です。ふたりは面識がないにもかかわらず、同時期にまったく同じ方法を発見した人物として知られています。彼が見つけ出したアルミニウムの精製法は、現代でもあらゆる製品の製造に役立っています。今回はそんな、チャールズ・マーティン・ホールとポール・エルーの生涯を振り返っていきましょう。

チャールズ・マーティン・ホールとポール・エルーの前半生(アメリカとフランスでそれぞれ独自にホール・エルー法を発明する)

チャールズ・マーティン・ホールとポール・エルーは、1863年にアメリカとフランスでそれぞれ誕生しました。

ホールが生まれたのは、アメリカのオハイオ州。12歳のときに鉱石に興味を持ち、自宅裏の実験場で功績の実験を始めました。オーバリン大学に進学すると、在学中に教授のフランク・ジューエッとの影響でアルミニウムの製法にひかれ、様々な実験をし始めました。

同時期、フランスではノルマンディーになめし革工場を営む一家にポール・エルーが生まれました。15歳のころに、フランスの化学者であるアンリ・エティエンヌ・サント=クレール・ドビーユが著したアルミニウムに関する論文を読み、鉱山に関する関心を高めていきます。高等学校を卒業した後、1882年には鉱山学校に入学して学び始めました。

ホールは大学卒業後も実験を続け、試行錯誤の末にアルミナを溶融塩電解させるための融剤としてグリーンランド産の氷晶石が最適であることに気付きます。そして1886年に溶融した氷晶石にアルミナを溶解させ、電解させることで陰極にアルミニウム粒子を生成させることに成功しました。

一方ポール・エルーは、父の逝去により、工場を継ぐことになります。当時から金属の電気精錬に興味を持ち、当時銀よりも高級でアクセサリーにも使われていたアルミニウムを安価にできないか考えていました。

1886年、小さな発電機を用いて溶融した氷晶石に酸化アルミニウムを溶解させ、電解でアルミニウムを製造する方法を発明し、特許を得ました。上記で記載した通り、ホールもエルーと同時期にアルミニウムの製造に成功しており、二人の業績を讃えてホール・エルー法と呼ばれています。

チャールズ・マーティン・ホールとポール・エルーの後半生

ホール・エルー法が発見される前は、金属アルミニウムの精製は鉱石を金属ナトリウム、もしくはカリウムと共に真空状態で加熱する方法で行われていました。しかしこの方法は複雑であり、原料も当時は高価なものだったため、製造コストの高さが問題となっていました。そのため19世紀後半には、アルミニウムは金や白金などのような貴金属よりも高価な物質として扱われていました。

ホール・エルー法は大量の電気を消費するので、その電気をどこから持ってくるのか、という問題点が指摘されていました。しかしこの問題は、ヴェルナー・フォン・ジーメンスの発電機によって解決されました。ジーメンスの発電機は実用的であり、大量の電気供給を可能にしたものでした。さらにホール・エルー法の原料となる酸化アルミニウムも同時期に発見され、アルミニウムの製造を大規模に、効率よく行えるようになったのです。1888年、ホールはアルミニウムの製造工場を起こし、のちの世界的なメーカーとなりました。

ホール・エルー法に変わる新たなアルミニウムの製造技術は、今でも開発が行われています。しかし、いずれも実用化には至っていません。現代でもホール・エルー法の優秀さは評価され、アルミニウムの製造に有効利用されています。19世紀に生まれた技術が今も息づいていることを考えると、尊敬の念を禁じえません。

ホールはこの功績を讃えられ、アメリカ科学界最高の名誉であるパーキンメダルを受賞します。受賞から3年後の1914年、白血病のためこの世を去りました。そして奇しくも同年、エルーも地中海でヨットに乗船中に亡くなりました。

今回はアルミニウムの精製法であるポール・エルー法を発見したチャールズ・マーティン・ホールとポール・エルーの生涯を振り返りました。当時貴重な物質だったアルミニウムをより効率よく、大量に精製する方法を見つけ出した功績は、後世に語り継がれるべき功績です。また、これを発見した二人の科学者に面識がないにもかかわらず、同じ方法を同時期に見出し、同年に生まれて同じ年に亡くなるということには奇妙な縁のようなものを感じます。偶然の一致に過ぎないのかもしれませんが、神様が意図を持って二人の天才を世に送り出したと考えるのも楽しいものですね。

 

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