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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】FMの発明家 エドウィン・アームストロング(特許紛争に疲れ果てて自殺した悲劇の天才発明家)

2022.09.23

SKIP

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらは全て先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。FMラジオ放送、アマチュア無線、業務無線、過去にはアナログテレビジョン放送など様々な場面で使用されているのが周波数変調(Frequency Modulation, FM)です。FMは情報を搬送波の周波数の変化を利用して伝達する変調方式のことです。FMの誕生により経済や産業がさらに発展し生活が豊かになりました。FMを発明したのがアメリカの電気工学研究者で発明家だったエドウィン・ハワード・アームストロング(Edwin Howard Armstrong)です。FMのほかにも、再生回路やスーパーヘテロダイン方式、超再生回路など様々な画期的な発明を世に残してくれ、20世紀の偉大なエンジニアとして後世に名を遺した人物です。そこで今回はFMを発明したアメリカの電気工学研究者、発明家のエドウィン・ハワード・アームストロングの生涯を振り返っていきます。

 

エドウィン・アームストロングの生涯(特許紛争とアメリカ陸軍への参加)

1902年(明治35年)、エドウィン・アームストロングはアメリカのニューヨーク州ニューヨーク市のチェルシー地区に誕生しました。その後アームストロングは家族でヨンカーズ(ニューヨーク州南部のウエストチェスター郡)に引っ越し、そこで暮らしました。アームストロングは小さなころから電気や機械に興味を持っていたそうで特に電車が好きだったようです。ラジオの勉強をするようになったアームストロングはたった11歳で家の裏に無線アンテナ棟を建てたこともあったそうです。

しかし、アームストリングは聖ヴィート舞踏病という筋肉障害に悩まされた時期もあり、なんと2年間も自宅で勉強する日々を送ったそうです。その後も科学への興味が薄れることはなく、コロンビア大学に進学し、ハートレー研究所で学びを深めました。1913年(大正2年)、アームストロングは電気工学学位を取得し、卒業しました。

大学を卒業した同年、アームストロングは再生回路(Regenerative circuit)の発明に成功しました。再生回路は正のフィードバックを加えて感度と選択度が高められた検波回路のことです。これが利用された再生式受信機が単純な回路で高性能であったため。後にラジオの受信機として広く普及しました。

1914年(大正3年)にはアームストロングが再生回路を “wireless receiving system” として特許申請し、特許を取得しました。しかしその2年後にリー・ド・フォレスト(アメリカの電気・電子技術者であり発明家)によってほぼ同じ発明が特許申請されました。同年、特許取得したことにより特許紛争が勃発し、RCAとウエスティングハウス(アームストロングの特許を採用)とAT&T(ド・フォレストの特許を採用)で法廷闘争となりました。結果、第一審ではアームストロングが勝利したが、第二審でド・フォレストに負け、合衆国最高裁判所によってド・フォレストの特許が有効という判決が下りました。この特許紛争は後に技術的誤解に基づく判断だったとされました。

1917年(大正6年)、アームストロングはアメリカ軍の陸軍専門部隊の通信隊大尉となりました。パリに渡り陸軍の無線通信システム設定に尽力しました。2年後の1919年(大正8年)にはアメリカに帰国しました。アームストロングは第一次世界大戦と第二次世界大戦では、彼が所有していた特許を無料で米軍に使用許可していたようです。

 

エドウィン・アームストロングの生涯(FMの発明と度重なる特許紛争)

アームストロング発明の再生回路に関する特許紛争が続いているときにも、彼は研究を続けていました。この時アームストロングは、コロンビア大学の研究室にて広帯域周波数変調(FM)の研究に取り組んでいました。1922年(大正11年)、John Renshaw Carson(変調方式の一つである抑圧搬送波単側波帯変調方式を発明した米国の大手通信会社AT&Tの研究者)によって「FMは何の利点もない」という旨の論文が発表され、Proceedings of the IRE 誌に論文が掲載されました。その後アームストロングはFMの開発に成功しました。

従来は振幅変調(Amplitude Modulation, AM)と呼ばれる形式であり、音声信号の強弱は搬送波の振幅で表されていました。彼が発明したFMは周波数の変化を利用して強弱を表し、AMよりもきれいな音声を発することができるというメリットがありました。FMは高く評価され1933年(昭和8年)に特許を取得しました。そして、FMにメリットがないという仮説を撤回するために、FMの利点を示す論文を執筆し1936年(昭和11年)にProceedings of the IREに掲載されました。

FMが発明された後の1934年(昭和9年)5月から翌年10月まで、RCA(Radio Corporation of America)が借りていたビルでFMラジオ放送の実験をしていました。しかしながら、テレビ放送に期待をしていたRCAはFM技術の使用特許を購入していませんでした。

1936年(昭和11年)、連邦通信委員会(FCC)によってFMの公開実験が全国報道されました。この報道ではジャズのレコードを従来タイプのAMで放送したあとにFMで放送しました。するとAMとFMの音質は歴然であり、FMの価値が評価されるきっかけとなりました。

1937年(昭和12年)、アームストロングは自費で初のFMラジオ局を建設しました。周波数42.8 MHzで放送が可能となり、160 km離れた場所であってもクリアに音声が届くようになりました。

しかしその後、RCAはFMラジオが主流になることを危惧しそれを防ぐ目的としてロビー活動を開始しました。FCCはFMの周波数帯の移動を行い、初期のFMラジオ局を苦しめることとなりました。さらに、周波数移動の波に乗り切れず廃業を余儀なくされる放送局も出てきてしまいました。一部放送局はFMの中継局を失ってしまったためAT&Tの有線リンクを購入し始め、もちろんこの動きはAT&Tにとっておいしい話でした。

さらにその後、なんとRCAはFMラジオの発明は自社であると主張し始めました。加えて特許も取得したため、アームストロングとの特許紛争が勃発しました。アームストロングは自身の特許侵害で訴えましたが、一時的にRCAが勝利したため、アームストロングはFMラジオに対するロイヤリティ支払いを受け取ることができなくなってしまいました。

特許紛争に大金をはたいてしまい、アームストロングの生活は荒れていきました。精神的にも疲れ切っていたアームストロングは、1954年(昭和29年)1月31日、アパートの13階から飛び降り自殺を図りました。翌朝作業員が男性の死体を発見し、それはアームストロングでした。

アームストロングは妻マリオンへ向けて遺書を残しており、「あなたに神のご加護がありますように。そして私の魂に慈悲を」と書かれていたそうです。マリオンはRCAとの特許紛争を受け継ぎ、最終的にマリオン側の勝利に終わりました。

 

今回は周波数変調(FM)や再生回路、スーパーヘテロダイン方式、超再生回路など様々な発明品を残し、生前に取得した特許はなんと42もある20世紀の偉大なエンジニア、エドウィン・アームストロングの生涯について振り返ってきましたが、いかがだったでしょうか。彼は様々な偉大な発明を成功させたにもかかわらず、何度も特許紛争に巻き込まれ、つらい人生を送っていた人物でもありました。度重なる特許紛争に心身ともに疲れ切った彼は自殺という形で人生に終止符を打ってしまいました。非常に優秀で世界の発展に貢献した人物でありながら、このような終わり方となってしまったことは残念でなりません。世の中を変えてくれた発明家は人一倍輝かしい人生を送っていたはずだと思うかもしれませんが全員がそうではないようです。もしも、彼が違う人生を送っていたならば、他にも革新的な発明が誕生していたのかとも期待してしまいます。日々幸せに生活出来ていることに感謝を忘れないでください。