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【SKIPの知財教室(IP Hack)】コンピュータネットワーク+マウスの発明家 ダグラス・エンゲルバート(Bootstrap Institute(現Doug Engelbart Institute)創業者)

2022.07.29

SKIP

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらは全て先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。私たちの生活に欠かせなくなったスマートフォンやパソコン、タブレットなどはほんの最近普及したものです。近年はデジタル社会、IT社会と呼ばれる世の中となり、鉄道や航空機などのインフラをはじめ、世界中の生活基盤としてコンピューターやインターネット回線が必須アイテムとなっています。20世紀の中頃、コンピューターやネットワーク回線の基盤を作り上げた人物がアメリカ出身の発明家、ダグラス・エンゲルバート(Douglas Carl Engelbart)でした。エンゲルバートは、コンピューターの入力機器として一般的となっているマウスや、複数の文書を関連付けるシステムであるハイパーテキストなど現代のコンピューターサイエンスの基礎を作り上げてくれました。生活する上で何気なく使っているコンピューターやネットワーク回線ですが、エンゲルバートがいなければ世の中は全く違った世界だったかもしれません。そこで今回はコンピューターやネットワーク回線の基礎を確立したアメリカの発明家、ダグラス・エンゲルバートの生涯を振り返っていきましょう。

タグラス・エンゲルバートの生涯(幼少期から大学院時代まで)
1925年(大正14年)1月30日、タグラス・エンゲルバートはアメリカ合衆国のオレゴン州ポートランドで誕生しました。エンゲルバートの父カール・ルイス・エンゲルバートはドイツ系アメリカ人、母グラディス・シャーロット・アメリア・マンソン・エンゲルバートはスウェーデン人とノルウェー人のハーフでした。また、エンゲルバートには姉と弟がいました。
エンゲルバートたちは普通に幸せな暮らしを送っていましたが、小学生のころ父が亡くなり、ポートランドの郊外に引っ越すこととなりました。郊外での生活が始まり、ポートランドにあった高校を卒業しました。
その後エンゲルバートはオレゴン州立大学への進学を果たしましたが、その頃は第二次世界大戦中(1939-1945)であったため、徴兵(国家が憲法や法律で国民に兵役を服する義務を課す制度)を受けアメリカ海軍に入隊することとなりました。
戦時中は2年間フィリピンにてレーダー技師の役割を担っていたそうです。その頃にエンゲルバートはある論文と出会いました。それはアメリカの技術者ヴァネヴァー・ブッシュ(アナログコンピューターの研究者)によって書かれた「As We May Think」でした。この時にエンゲルバートはとても衝撃を受けたそうです。そして、エンゲルバートは「知識を誰でも入手できるようにしたい」と考えるようになりました。この出来事は彼が研究者人生を選ぶこととなる大きなターニングポイントとなりました。
1945年(昭和20年)、第二次世界大戦が終結し、エンゲルバートはかつて通っていながらも、徴兵によって卒業できなかったオレゴン州立大学へ復学することを決めました。オレゴン州立大学では電気工学に関して学びを深め、1948年(昭和23年)に電気工学学士を取得し卒業しました。
大学を卒業してからはアメリカ航空諮問委員会(NACA、米国政府の機関の一つであり航空工学の研究の請負・推進・制度化を担っている。NASAの前身)に就職し、1951年(昭和26年)までの3年間モフェットフィールドにあったエイムズ研究センターで勤務していました。
戦争が終結してからは情報科学やコンピューター科学に関する論文や記事を読み込んでいました。さらに、戦争中のレーダー技師の経験からある程度の情報科学の知識を持っていました。さらにコンピューターに関する知識を深めるため、カリフォルニア大学バークレー校大学院の電気工学科へ進学することを決めました。そこで電気工学に関してさらに研究し1953年(昭和28年)に修士号を取得、2年後の1955年(昭和30年)には博士号を取得しました。
大学院時代からCALDICというコンピューターの構築に携わり、複数の特許を取得していたようです。その後は助教としてアカデミック現場に残りましたが、「知識を誰でも入手できるようにしたい」という自身の夢を実現できないと感じて大学を辞めました。そして、エンゲルバートはDigital Techniquesという会社を立ち上げ、博士課程で取り組んでいた記憶装置の研究を実用化しようと試みました。でもやはり夢が諦められず1年間でその会社をたたんでしまいました。

タグラス・エンゲルバートの生涯(コンピューター科学に関する数々の発明)
1957年(昭和32年)、カリフォルニア州のスタンフォード大学との関係があったスタンフォード研究所(後のSRIインターナショナル)に雇われました。入ったばかりのころは、ヒューイット・クレーン(アメリカで有名なエンジニア)が取り組んでいた磁気デバイスの研究と電子部品の小型化に関して手伝っていました。この時点でなんと10を超える特許を取得していたそうです。
研究所に入ってから5年後の1962年(昭和37年)、彼が思い描いていた夢に関するレポート「Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework(人類の知性の増強:概念的フレームワーク)」を執筆し研究提案を行いました。翌年の1963年(昭和38年)には「A conceptual Framework for the Augmentation of Man’s Intellect(人間の知性の増幅のための概念的枠組み)」を公表しました。
これらのレポートによってARPA(アメリカ国防高等研究計画局、軍隊使用のための新技術開発及び研究をするアメリカ国防総省の機関)からの予算が獲得できました。これによりオーグメンテイション研究センター(ARC)をSRIに新たに設置し、oN-Line System(NLS)の開発を本格的に開始しました。
エンゲルバートはARC研究員らとともに、ビットマップ・スクリーン(画像データを座標と色で記録しておくシステム)、マウス(コンピューターの操作全般に用いられる入力機器)、ハイパーテキスト(複数の文書を相互に関連付けて結びつける仕組み)、グループウェア(企業など組織内のコンピュータネットワークを活用した情報共有のためのシステムソフトウェア)など数多くのインターフェース要素を開発していきました。エンゲルバートが研究していたころは現在のようなパソコンはありませんでした。ましてやコンピューターは一般の人が手に触れることがないくらい珍しい時代でした。
エンゲルバートが考えたアイデアを基に、SRIの研究員だったビル・イングリッシュによってコンピューターを操作する用のマウスが開発されました。エンゲルバートは1967年(昭和42年)に特許を申請して、1970年(昭和45年)にマウスの特許を取得しました。開発された当時のマウスは金属ホイールが2つある木製の製品でした。有線が本体の後ろから出ていたのが、ネズミの尻尾と似ていたことからマウスと名付けられたそうです。
このように情報科学、コンピューター科学の基礎をたくさん築き上げた人物でした。1970年代後半からは数々の誤解によって彼が研究所内で孤立するような状態になりながらも、なんとか1980年代後半からは理解されるようになったそうです。多くの功績を世に残し、世界中のテクノロジーの発展に貢献してくれたことは紛れのない事実です。

1988年には、ダグラス・エンゲルバートとその娘であるChristina Engelbartは、人間の知性の強化を研究するために、Bootstrap Institute(現Doug Engelbart Institute)を創業しました。ダグラス・エンゲルバートは、晩年まで様々な賞を受賞していました。2013年(平成25年)7月2日、ダグラス・エンゲルバートは腎不全のため88歳でこの世を去りました。もし彼がいなければ、暮らしは今と全く違ったかもしれません。

今回はコンピューターやネットワーク回線の基礎を作り上げたアメリカの発明家、ダグラス・エンゲルバートの生涯を振り返ってきました。エンゲルバートは現在のコンピューターサイエンスの基礎となるシステムや製品を数々発明し、現在の「知識を誰でも入手できる世の中」を作り上げてくれました。現在の世の中は情報社会、IT社会と呼ばれ、コンピューターがないと生活できないような状態となっています。身近になりすぎたからこそ、ありがたさを感じる機会が減ってきているかもしれません。このように技術の誕生秘話を知るだけでも、身近な物事に対する見方が変わってきますね。今後の発展がどうなるのかとても楽しみですね!

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