ブログ

【SKIPの知財教室(IP Hack)】胃カメラの発明家 杉浦睦夫(杉浦研究所創業者)

2022.07.08

SKIP

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらは全て先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。私たちの体の中を確認することで重大な病気の早期発見に貢献しているのが胃カメラです。胃カメラを用いることで咽喉、食道、胃、十二指腸までの様子を映像で直接確認できるようになりました。胃カメラで異常を発見し、速やかに精密検査へと誘導できるようになったことでガンなど生死にかかわる病気をいち早く発見できるようになりました。そして、人間ドックでも利用され、今や私たちの健康維持には欠かすことのできない医療技術です。そんな胃カメラ技術を発明したのが日本人の杉浦睦夫(すぎうらむつお)でした。光が届かない食道内部を小型カメラで記録するという前代未聞の難題に立ち向かい、長年研究を続けてくれました。彼が胃カメラ技術を開発したことにより、世界中の医療が劇的に進歩し世界規模での医療の発展に大きく貢献しました。そして彼の研究成果は広く認められ取得した特許件数はなんと20件にも上ります。そこで今回は世界で初めて胃カメラを開発した日本人の杉浦睦夫の生涯を振り返っていきましょう。

杉浦睦夫の生涯(胃の中を撮影するカメラの開発依頼まで)
私たちの体内で異常が起こっていないかを確認する手段として一般的になっているのが胃カメラです。今や人間ドックなどでも利用されており、健康維持に欠かせない存在となっています。この胃カメラ技術を発明したのが日本人の杉浦睦夫でした。ここでは世界で初めて胃カメラ技術を発明した人物の杉浦睦夫の生涯を振り返っていきます。
大正7年(1918年)、杉浦睦夫は静岡県浜松市浜名郡中ノ町村(現在の東区中野町)に誕生しました。幼いころは中ノ町尋常小学校、浜松一中(浜松北高)で教育を受けました。そんな睦夫が進学先として選んだのが東京写真専門学校でした。
写真について詳しく学び、卒業後の昭和13年(1938年)にはオリンパス光学工業(現在のオリンパス株式会社、日本の大手光学機器・電子機器メーカー)への入社を果たしました。オリンパス光学工業への入社後には顕微鏡に関する研究をするようになりました。35ミリカメラの改良など、光学機械を中心に当時の世界最先端技術に関する開発業務を担っていました。
オリンパスで光学機器の研究に尽力して数年が経ちました。昭和24年(1949年)、東京大学付属病院の外科医だった宇治達郎が睦夫のもとを訪れました。そこで宇治達郎医師は「胃の中を撮影できないだろうか」と言い出したそうです。「超小型カメラの製造ができれば胃の中を撮影することが可能ではないだろうか」と言われ、睦夫は胃の中を撮影するカメラの研究を始めることになりました。このとき睦夫は「光があり、レンズがあり、フィルムがあればたとえカメラがどこにあっても撮影はできる」と回答したそうです。しかし、睦夫の周囲からは「体の中までは光が届かない。胃の中を撮影するなど不可能だ!」という声が多数上がっていました。
当時の医療技術では、体内を確認する手段としてレントゲンと胃鏡が精一杯でした。レントゲンはX線を利用して体内を確認できますが、胃の内部の壁面の様子を確認することはできません。また、胃鏡で胃の内部を観察して診断することが可能でしたが、診察できる医者が少なかったことと患者に大きな苦痛が伴うというデメリットがあり、広く普及するまでには至りませんでした。
睦夫と宇治達郎医師が一緒に東京行の電車で岐路についているときに大きな台風が直撃し、電車が臨時停車してしまったそうです。そんな状況にも関わらず、カメラの専門家だった睦夫と、宇治達郎医師は真剣に胃カメラの話に花を咲かせていたようです。ここから、睦夫は胃カメラを開発するための研究を本格的に開始していきました。

杉浦睦夫の生涯(胃カメラの発明とそれ以降の活躍)
宇治達郎医師から胃カメラの開発を依頼された睦夫は胃カメラ研究を開始しました。もちろんオリンパスに勤めながらだったため、昼は仕事、夜に胃カメラの勉強と研究という生活を続けていました。
睦夫が胃カメラを開発するにあたって目標としていたのが以下の4点だったようです。1つ目が「危険がないこと」、2つ目が「患者に苦痛を与えないこと」、3つ目が「胃壁全てを短時間で撮影できること」、4つ目が「病巣の判定が出来る鮮明な写真が取れること」でした。これらを目標としながら、宇治達郎医師と機械に精通した技術者であった深海正治と共に研究を進めることになりました。
睦夫らは撮影レンズを固定焦点とした超小型カメラを食道よりも細く柔らかいチューブの先端付近に装備し、連続フラッシュ撮影が可能な胃カメラを開発しました。動物実験を何度も繰り返し、ついに昭和25年(1950年)、世界で初めての胃カメラ開発に成功しました。同年の11月の日本臨床外科学会にて胃カメラ技術を発表し、睦夫らの功績が認められ、世界初の胃カメラ技術は特許を取得しました(特許登録第191516号)。
その後も胃カメラの改良をし続け、2年後の昭和27年(1957年)に胃カメラは、オリンパス光学工業からガストロカメラI型(GT-I)、ガストロカメラII型(GT-II)として販売が開始されました。
昭和30年(1955年)、睦夫は長年勤めたオリンパス光学工業を退社し、岡谷光学工業株式会社に顧問として入社しました。2年後に岡谷光学工業株式会社を退社し、昭和33年(1958年)には株式会社杉浦研究所を設立、代表取締役社長に就任しました。社長に就任しても睦夫はもちろん研究に専念する生活を送っていたそうです。
自身の研究所で研究生活を送り、昭和61年(1986年)、睦夫は68歳という若さでこの世を去りました。
睦夫らが開発した胃カメラの技術によって、それまでは確認できなかった胃壁の内部などが「安全に」「苦痛を伴わず」「短時間で」「鮮明に」撮影できるようになり、重大な病気の早期発見に貢献しています。そして、身体各部位の精密検査を通して普段気づきにくい疾患や臓器の異常、健康度をチェックする目的で行われている人間ドックの項目としても胃カメラが採用されています。
晩年も研究所で研究を継続し、ファイバースコープやビデオスコープなど数多くの光学機器を発明しました。睦夫が取得した特許はなんと20件近くにもなり、テクノロジーの発展に大きく貢献してくれました。彼の功績を後世に伝えるため、平成12年(2000年)4月18日には、日本放送協会が提供する「プロジェクトX~挑戦者たち~」にて、第4回「「ガンを探し出せ」~完全国産・胃カメラ開発」として特集が組まれました。
私たちの健康状態が比較的容易に確認できるようになり、重大な疾患を見つけやすくなったのは、睦夫らの胃カメラの発明のおかげといっても過言ではないでしょう。

今回は胃カメラを発明した日本人の杉浦睦夫の生涯を振り返ってきましたが、いかがだったでしょうか。胃カメラが日本人によって発明された医療器具だったとは驚いた方も多いのではないでしょうか。胃カメラによって食道や胃の中を鮮明に確認することができるようになったことで、ガンなど生死にかかわる疾患や病気をいち早く発見しやすくなりました。胃カメラがない時代は、「病気を見つけられずに治療ができなかった」と思うと、現代がいかに恵まれた環境かがわかりますよね。私たちの生活には欠かせない医療やそのほかの技術は全て過去の研究者たちが研究を重ねてくれたおかげです。しかし、胃カメラがあるから絶対に大丈夫というわけではありません。日常的に健康維持に気を配りながら生活をしましょう!

アーカイブ