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公知文献の実施形態に記載の化合物で拒絶されたときに読む判例(無定形合金事件)

2011.05.10

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無定形合金事件 東京高等裁判所昭和60年(行ケ)第51号 昭和62年9月8日判決
(二)本願発明の非晶質金属合金の成分及び成分割合は引用例記載の非晶質金属合金の成分及び成分割合に包含され、両者はその構成において上位概念(引用例記載の発明)と下位概念(本願発明)の関係にあり、かつ、両者は引張強さ、硬度及び熱安定性を有するものであることにおいて同一性質のものであることは前記1認定のとおりであり、前掲甲第三号証によれば、引用例に記載された実施例1ないし29中には、式TiXjにおけるX成分としてホウ素のみを選択した非晶質金属合金は一例もなく、発明の詳細な説明中にこの点についての具体的な開示は存しないことが認められる。
 したがつて、本願発明の非晶質金属合金の持つている前記引張強さ、硬度及び熱安定性という性質によつて把握される本願発明の効果が引用例記載の発明に比して際立つて優れたものであることが認められる場合には、本願発明は引用例記載の発明とは別個の発明として特許性を付与されるというべきである。
 被告は、選択発明の成立要件の一つとして後行発明が先行発明を記載した刊行物中に具体的に記載されていないことを要するとした上で、合金に関する発明である本願発明及び引用例記載の発明についても,有機化合物の用途発明についてとられている処理の仕方と同様に、先行発明の特許請求の範囲に記載された化合物の各部位の置換基がマーカツシユ型式によつて限定されている場合には、一つの特許請求の範囲に記載された化合物に該当する化合物で実施例に挙げられていないものについては、実施例に挙げられている化合物と均等な効果を奏するという意味において実質的に記載があるものとみるべきところ、引用例記載の発明は特許請求の範囲において構成要件の一部がマーカツシユ型式で限定されているから、引用例に記載の実施例1ないし29中にはX成分としてホウ素を単独で含む例は一例もないとはいえ、右実施例はすべてがX成分としてホウ素のみを含む合金と均等な合金についての実施例というべきであり、その結果として、引用例にはX成分としてホウ素のみを含む合金についても実質的に開示があつたことになる旨主張する。
 いわゆるマーカツシユ型式は、化学関係特許に用いられる特許請求の範囲の表現型式であつて、二以上の物質又は官能基等の名を列記し、「そのなかから選択されたもの」という型式でこれを表現するものであり、引用例の式TiXjにおけるX成分が形式的にはこの型式を用いたものであることは前記1(二)認定の事実から明らかであるが、マーカツシユ型式で記載されているからといつて、特許請求の範囲に記載された物質又は成分割合のおのおのについて具体的技術内容が開示されていないのに、その開示されていない物質又は成分割合を選択したものについても、これが実質的に開示されているとすることは、単なる擬制にほかならないのみならず、およそ先行発明の特許請求の範囲がマーカツシユ型式で表現されている場合は、たとえ後行発明が顕著な作用効果を奏することが証明されても、選択発明の特許出願をいわば門口で退けることにもなり、相当でない。 
 ちなみに、産業別審査基準「有機高分子化合物」(その1)には、明細書の特許請求の範囲の記載が特許法第三六条所定の要件を備えているかどうかの判断基準の一つとして、特許請求の範囲の表現型式としての一群の化合物の総括的表現(上位概念又はマーカツシユ型式による表現を含む。)は、「それに内包される個々の化合物が、その発明において発明の作用および効果上均等であることを認めうる場合以外は原則としてこれを使用してはならない。」(3.62)と定められているが、これは、総括的表現に内包される個々の化合物が発明としての作用効果上均等であると認め得る場合でなければ、明細書がその発明をまとまりのある一つの技術的思想として開示したことにならないのみならず、明細書の発明の詳細な説明に照らし、個々の化合物が発明としての作用効果上均等であると認め得ない場合には、発明の詳細な説明の記載と一群の化合物を総括的に表現した特許請求の範囲の記載との脈落が断たれ、特許請求の範囲の記載が発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項のみを記載したことにならないからにほかならず、右判断基準はもとより相当であり、その考え方は合金の場合にこれを準用することができるが、そうであるからといつて、選択発明の成否を決めるに当つて、後行発明が、先行発明が記載された明細書に具体的に記載されていないかどうかを検討する場合、被告主張のように先行発明の特許請求の範囲がマーカツシユ型式で表現されているときは、明細書に実施例として具体的に挙げられていない組成物も、実施例に挙げられている組成物と均等な効果を奏するはずのものであるから、実質的に開示されているものとみるべきであるとして、選択発明の成立を認めないことは、先行発明の明細書に具体的に開示されている化合物であればこそ、そのような化合物をことあらためて後行発明の内容として特許を求めることは特許制度の趣旨に添わないから許されないとする選択発明の成立要件の意義及び限界から大きく離れることとなり、到底首肯することはできない。それゆえ、被告の主張は採用できない。

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