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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 蒸気機関を積んだ飛行機の発明家 クレマン・アデール(「航空の父」として称えられるが、実用化には失敗した発明家)

2023.08.11

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。しかし成功の裏には、数々の失敗も当然存在します。歴史の影に隠れた失敗があったからこそ、今日に至るたくさんの成功が生まれてきたのです。産業がもっとも発展した時代といえば、中世ヨーロッパを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。蒸気機関が生まれ、画期的な生産がなされたこの時代は、まさに人類が現代のような進歩的な技術を身につける最大のターニングポイントであったと言えるでしょう。そんな折、蒸気機関はあらゆるものに搭載され、実用化を試みる機会が多くありました。19世紀末、フランスの発明家・クレマン・アデールは蒸気機関を積んだ飛行機「エオール」「アヴィオン」を作り上げました。しかし、そのどちらも実用化は叶いませんでした。とはいえ、彼がもたらした研究成果は、のちに「航空の父」として称えられることになります。今回はそんな、クレマン・アデールの生涯を振り返っていきましょう。

クレマン・アデールの前半生(電気工学と機械工学の研究者として成功する)

クレマン・アデールは、1841年、フランスのオート=ガロンヌ州ミュレで生まれました。アデールははじめ、電気工学と機械工学に携わる研究者でした。ふたつの領域においてはいくつもの新領域を発見し、偉大な科学者として名を馳せるようになっていきます。もともとは電気工学を専門とし、1878年にはグラハム・ベルが作り上げた電話を改良し、より使いやすくすることに成功しています。1880年にはこの成功を元に、パリで最初の電話網を作成する功績を残しました。翌年には、劇場から加入者の家にオペラの音声を配信するシステム「テアトロフォーン」を作成しましたが、販売には至りませんでした。

クレマン・アデールの後半生(蒸気機関を積んだ飛行機の試験飛行に挑戦する)

アデールはやがて、航空の分野にも挑戦するようになっていきます。電気工学分野では大いに活躍したアデールですが、当時のイギリスでは航空学の研究が進められていました。これに関して興味をもったアデールは、重航空機を飛ばすための問題について取り掛かるようになります。この時から死ぬまで、重航空機の問題を解決する手段を見つけるために、時間と投資を費やしていきました。

アデールが最初に参考にしたのは、ルイ・ピエール・ムイヤールという人物の知見です。鳥の飛行について研究したもので、メカニズムを飛行に取り入れれば、大きく重い機体でも飛べるという仮説を元に開発が進められました。1886年、アデール初の飛行機である「エオール」を制作しました。コウモリに似た形をしており、4気筒・20馬力の蒸気機関が搭載されたものです。重量は極めて軽く、主翼が変形するシステムを搭載していました。飛行試験では約20cmの高度で約50mの飛行に成功しています。有人飛行で有名なライト兄弟よりも13年も早い飛行でしたが、この飛行試験の成功は偶発的なものによる成功の面が大きく、人を載せて飛ばすほどの飛行能力はありませんでした。

次のアデールはエオールの二作目にあたるアヴィオンⅡ号の制作に取り掛かりました。現存する資料の多くが「アヴィオンの制作は作業が完遂されず、次機の制作のために放棄された」という説を唱えています。アデール自身は1892年にアヴィオンⅡ号で200ヤードの飛行に成功したとの主張をしていますが、記録として残されてはいません。

とはいえ、アデールが航空に関して興味深い研究結果を残したのは事実です。陸軍省の長官・シャルル・ド・フレシネはアデールの研究結果にいたく興味を持ち、フランス陸軍省は全面的にアデールを支援し始めました。この支援を受けてできたのがアヴィオンⅢです。機体は相変わらずコウモリのような姿形をしていますが、素材にはリンネルと木材を採用していました。蒸気機関をふたつ用い、30馬力まで出せるようにしたのが主な改良点です。地上滑走のテストは十分に行い、陸軍の前で飛行実験を行いましたが、陸軍はこの結果を見てアデールへの支援を打ち切りました。テストを見ていた人の中には300ヤード以上の飛行に成功したと言う人がいる一方、離陸もせずに機体は損傷したと主張する人もいて、真相は闇の中ということになります。フランス陸軍は飛行テストの結果を公開せず、機密として扱ったため、人々は噂話程度にしか情報を得られませんでした。

アデールはフランス陸軍からの援助を打ち切られると、すべてを放棄して隠居生活を送り始めます。晩年にはぶどう園の経営で暮らし、余生を満喫していました。しかし、アデールが成功した初の飛行を称える声が多く、1922年にレジオンドヌール賞を受賞します。4年後、トゥールーズでその生涯を終えました。

航空史を研究する人の中には、アデールの飛行はすべて失敗だったとして、アデールが高い評価を得ていることに異を唱える人もいます。アデールが自分の成功を誇張していたということも、反発感情に影響しているともいえます。しかし、アデールが成功した初の飛行は、人類史に残る成功として、高い評価を集めています。

今回は、フランスの発明家であるクレマン・アデールの生涯を振り返ってきました。空の魅力に取り憑かれたように発明を行ったアデールは、ついに飛行機を実用させることができませんでした。しかし、彼の研究が航空学を大きく発展させることにつながったのは間違いありません。高評価に反論する人も多いアデールですが、よい部分にも目を向けたいものですね。

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