ブログ

【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 自動車の発明家 フレデリック・ランチェスター(経営論で有名な「ランチェスターの法則」を生み出した発明家)

2023.08.07

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。そしてこのような発明は、ものづくりに限った話ではありません。システムや体制などの部分も、先人によって構築され、現代でも活用される仕組みが数多く生み出されてきました。そんなシステムのひとつに、経営論で有名な「ランチェスターの法則」というものがあります。これは業界内のシェア率が高い企業を「強者」、それ以外を「弱者」と分類して、弱者が強者にどうやって勝つのか、という戦略です。元来は戦場で使用された分析手法であり、モデルの優秀さから経営学にも応用されるようになりました。この法則を考えついたのが、イギリスの技術者であるフレデリック・ランチェスターです。今回はそんな、フレデリック・ランチェスターの生涯を振り返っていきましょう。

フレデリック・ランチェスターの前半生(自動車の発明をするがビジネスとしては成功せず)

フレデリック・ランチェスターは、1868年にロンドン南部・ルイズハムに誕生します。父親は建設業を営んでおり、小さい頃から技術に触れる環境にいました。工学系の知識を持っていたランチェスターは、高校卒業後にハートレイ技術専門学校を卒業し、21歳でガスエンジンを制作する会社に就職しました。

会社に勤務する傍ら、2年を費やして自動車の設計を行いました。このときに発明したスターターに関して、特許を取得しています。

1895年、ランチェスターは27歳のときに「ランチェスター・エンジン会社」を創業しました。看板商品の「ランチェスター」ブランドを生産し販売を始めましたが、市場の共感を得られず、成功したとは言えない結果でした。当時のイギリスにおいて自動車の技術は遅れたものでしたが、このブランドは独創的なメカニズムによって先進的な技術を取り入れてました。しかし、独創性が強すぎたため、市場の理解を得られなかったのです。最終的に、ランチェスターは大手自動車メーカーであるデイムラーに会社を売却し、経営の歴史を終えました。会社の権利が移ったあとも「ランチェスター」ブランドは販売され、1950年代まで生産が続けられました。

この頃、ランチェスターはデイムラーの技術コンサルタントとして、飛行理論の研究に没頭しました。第一次世界大戦が始まる1914年、45歳で「ランチェスター技術研究所」を設立して、様々な研究を行いました。世界的にはヨーロッパで軍事衝突が起こっており、どの国の人々の戦争の脅威に怯えて暮らすか、戦争に関わる人間になるかの選択を迫られていました。ランチェスターが軍に加担したとの記録はありませんが、彼が1916年に発表したレポートは、どの国でも軍事的な戦略として採用されるようになり、間接的に影響を与えたと言えるでしょう。

フレデリック・ランチェスターの後半生(ランチェスターの法則を生み出す)

このレポートは、初め「集中の法則」というテーマで発表されました。第1法則と第2法則があり、のちにこの法則は「ランチェスターの法則」として知られるようになります。古典的な戦闘の場合には、個々人による一騎討ちの寄せ集めであるので、戦争による戦闘員の消耗は単純に味方の人数と敵の人数の一次式となります(一次法則)。それに対し近代的な戦闘の場合、戦闘員の消耗は味方の人数と敵の人数の2次式(双曲線)になることが示されます(二次法則)。よって古典的な戦闘とは消耗する人数が大きく異なり、近代的な戦闘では古典的な戦闘と比べ、人数が多い方の軍隊が大幅に有利になります。ランチェスターの法則は戦闘において、明確な効果を発揮しました。戦争が終結したあと、このモデルは経営論として応用されるようになります。現代でランチェスターが讃えられているのは、経営論のとしてのモデルを構築した部分が大きいとされています。多くの企業がこのモデルを活用し、市場の分析を行い、成功を収めてきました。この法則を見出したランチェスターが経営のことまで考えていたのかは不明ですが、自動車ブランドの経営に失敗したからこそ見える景色があったのではないでしょうか。

1919年、51歳のときに結婚。相手は20歳も年下のドロシーという人物で、ふたりの間に子どもはできませんでした。その後は音楽好きが高じてHiFiラジオの生産にも取り組みましたが、こちらは失敗という結果に終わりました。約20年ほどの結婚生活の末、ランチェスターは78歳でその生涯を終えました。

今回は経営戦略として有名な「ランチェスターの法則」を作ったフレデリック・ランチェスターの生涯を振り返りました。初めは自動車の生産を行っていたランチェスターですが、経営はうまくいかず失敗。しかし彼の技術は、他の人から見て人並外れたものでした。戦闘における分析モデルとして構築された法則は、のちにマーケティングで使用されるようになります。ものづくりだけでなく、人や市場を動かす法則が形成された経緯に目を向けてみるのも面白いですね。

アーカイブ