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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 蒸気機関の発明家 トーマス・ニューコメン(他者が発明した別の基本特許を使うために手を組んで、ニューコメン機関の実用化に成功した努力家の発明家)

2023.07.24

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。エネルギーを生み出すための道具として、かつては蒸気機関が活用されていました。現代は電力や火力、原子力など様々なエネルギーを得る方法が見出され、蒸気機関は時代の影に身を潜めることになりましたが、間違いなく蒸気機関の発明があったからこそ今の技術力が手に入ったといえるでしょう。そんな蒸気機関を初めて実用化した人物が、イギリスの発明家であるトーマス・ニューコメンです。ニューコメン機関と呼ばれる発明を持って、人類の技術発展に大きく貢献しました。その後の産業革命を大きく動かした立役者として、現代でもその功績が讃えられています。今回はそんな、トーマス・ニューコメンの生涯を振り返っていきましょう。

トーマス・ニューコメンの前半生(10年以上かけてニューコメン機関を発明)

トマス・ニューコメンは、1664年、イングランド南西部のデヴォン州ダートマスで生まれました。実家は金物商を営んでおり、5人兄弟姉妹の3番目に生まれました。1678年ごろ、エクセターへ修行にいき、ダートマスに帰還する1685年には実業の金物商となっていました。コーンウォールやデヴォンの鉱山に赴き、機器の製造や販売を行うことも仕事の一部でした。ニューコメンが蒸気機関に出会ったのは、鉱山の排水問題を解決するために取り組んでいたときのこと。当時の鉱山では、坑道内の出水をどのように排水するかが大きな問題となっていました。ニューコメンは金物商を営みつつも、やがて鉱山の排水について取り掛かるようになりました。このときに見出した方法が、蒸気機関を活用して排水を行う方法です。同時期にダートマスで出会ったガラス職人のジョン・コウリーと共に、鉱山排水のための機関を開発することに心血を注ぎました。

ニューコメンとコウリーは、10年余りの期間を思考と実験に費やし、ついに1710年、最初のニューコメン機関が実用化されました。この蒸気機関はピストンで蒸気を閉じ込めたシリンダの下端に、蒸気の入口と冷水の噴射口とを設けたものです。冷水入口のコックを回して冷水を噴射すると、中の蒸気が凝縮され、シリンダ内が真空状態になります。ピストン背面の大気がピストンを下へ押し、ピストンを鎖で吊っているビーム(大きなてこ)の一端を引き下げて、ビームの他端から吊り下げたロッドを介して坑道底の排水ポンプで水を汲み上げます。次に蒸気入口の弁を開くと、ポンプの自重でピストンが持ち上げられて、シリンダ内部はその下のボイラーから入ってくる蒸気で再び満たされます。この動作を繰り返してポンプを駆動し、坑道の排水を行うという仕組みです。

ニューコメン機関は鉱山主たちから絶大な支持を集め、イギリスのみならずヨーロッパの各地からニューコメン機関を求める訪問者を呼び込みました。事故も少なく、排水の効率もよかったニューコメン機関はたちまち人気となり、ニューコメンは偉大な発明者として名を残すことになります。

トーマス・ニューコメンの後半生(セイヴァリの基本特許を使うために手を組む)

ニューコメンの機関は実用的であり、高い人気を博しました。しかし、1698年の時点で、すでにセイヴァリが取得した特許によって、すぐには独自の特許を取得することができませんでした。そのため、ニューコメン機関はセイヴァリ機関として販売することを余儀なくされました。ニューコメンとセイヴァリは1705年ごろに接触したと考えられており、両者は協力関係にあったと思われています。ニューコメン本人は一切の特許を取得しておらず、権利はすべてセイヴァリにあったものと見られます。セイヴァリの死後はジョイント・ストック・カンパニーが特許を買取り、ニューコメンはあくまで構成員として名前を残しました。

ニューコメン本人による蒸気機関の建造は、1720年を最後に終了しました。仕事のためにロンドンに滞在することが多くなっていたニューコメンは、友人の家で2週間病床に伏し、やがて力尽きました。ニューコメンの死後も、ニューコメン機関は使用され続けました。ワットが蒸気機関を改良した後も、操作性の良さや価格の安さを理由に根強い人気を保ち続けました。最終的には1950年代まで、運転可能な状態であったと言われています。

今回は、蒸気機関を発明し、それを初めて実用化したトーマス・ニューコメンの生涯を振り返りました。鉱山の排水から始まり、莫大なエネルギーを獲得できる機関の発明は、あらゆる産業で働く人の助けになりました。死後もなお愛される機関を作り上げたことは、ニューコメンの非凡な才能の現れだったといえるでしょう。蒸気機関に変わる新たなエネルギー機関が出現するまで使用され続けたことは、称えるべき功績のひとつです。蒸気機関は発明者によって数々のバージョンがあるので、歴史を追いかけると新たな発見があって面白いかもしれません。

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